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彗星マジック「ポストグラフ」

フィジカルを効かせた「生きて帰りし」物語。

 小さいグリッドを平面、立体ともに設定して、演者の生身の体と、こころの持つ
全力を出させるように仕向ける「ファンタジー」が売りだ、ということは
INDEPENDENTという「一人芝居」という形態でのショーケース公演でよくわかった。

 がだ、あくまでもショーケースはショーケース、きちんとした形できちんとした尺の
公演を見て、ストロングポイントと(できれば)ウィークポイントを見定めないと
この劇団の公演を「見た」という感覚と記憶ができてこない。
ショーケースだけだったら、「あ、本公演見てみたい」という感覚と記憶しかない。
・・・これが前説で「見たことある人手を挙げて」というくだりで手を挙げきらなかった主な理由。

 そんなこんなはさておいて、フランス革命から王政復古、ナポレオン戦争、
そしてフランス再革命により、フランスから王政は完全に排除された、という
「ラ・マルセイエーズ」を地で行く血腥いお話が基本線。

 この基本線に印象派の画家というキャラクターが持つ「不器用さ」、
さらには女性は個々人の能力や人格を認めてもらえず、
一山いくらでまとめられていた歴史の打開(これもまた別の意味で革命だ)を混ぜて
劇団の売りである座椅子の座面正方形面積分の平面と黄金比率の長方形ぶんの体積という
小さいグリッドを設定して、その中で全力を出させるように仕向けるのが今回の趣向。

 故にものすごくフィジカルが強く、コンテンポラリー演劇の進化系を見た、
と言いたいが、話が進めば進むほど、既視感というやつがじわりじわりとやってくる。

 ・・・これって、小倉のリバーウォークに両方共ある北九州芸術劇場と北九州市立美術館分館が
最近数年コラボしてやっている「所蔵美術品と演劇の掛け合わせ公演(求む、正式名称)」を
思いっきり演劇側に寄せているぞ、という発見。

 この企画、北九州市立美術館が所蔵しているコレクションの中から毎年一枚の絵なり
一体の彫刻、という立体物を飛ぶ劇場の泊さんと美術館学芸員がセレクトして、
作品のなんだかんだをイメージして作った戯曲を一本美術館分館で演り(60分程度の尺)、
その後美術館学芸員と泊さんがギャラリートーク(15分程度の尺)のちに
客席部分の裏にレイアウトされた絵画現物を鑑賞する(最大30分の尺)というパッケージ。

 この企画、絵画等と演劇というものが「知的冒険エンターテイメント」に化けるんだな、
「知的冒険エンターテイメント」に化けたら「物事を考えるための引っ掛かり」が
観手に生まれるように仕向けている。

 その仕向をギャラリートークと現物の絵画鑑賞の尺分を演劇として「延長して」、
板の上で繰り広げる人物像とキャラクター像を高い精度と密度でデッサンし、
アーティストもそうだけれど、人間生きていく、ということは「私自身のより良き理想の線」という
ものを書きたいと追い求めるのが性分、さらに「私自身のより良き理想の色や光のあり方」も
追い求めているんだ、ということを熱量高く見せていた。

 こういう縁をもとにして、どんどん広がってくれたらありがたいのだが。

劇団チョコレートケーキ「ドキュメンタリー」

「因果応報」を何らかの形で受けておかないと、わたしたちは先に進めないのか?

 そういえば、この劇団に岐阜の中津川で「福岡においでよ」と言ったことを
キびるフェス、キックオフイベントで薄っすらと思い出す。
まあ、福岡初登場で、福岡に薄っすらと「ゆかり」のある、しかも仄暗い「ゆかり」を
お話にして持ってくることが、正直すごい。

 というか、この板の上で語られている「事実」にわたしは思わず憤怒して、
1990年、私が高校二年の時献血を始めた、というか入り口は献血車が
直接学校に来て、それからぽんプラザホールの近く、今はドラッグストアモリか
牛丼の吉野家が入っているところに献血ルームがあって、そこでは
お菓子も食えるし、ジュースも飲める、いい時間潰しだ、という動機だったけれど。

 そういう動機から、「あら、あなた結構動脈太いのね、だったら成分献血行ってくれ」と
言われ、あのころは出して、戻してのサイクルが異様に長くて、長めの洋画一本まるまる
見ることのできる時間だったけれど、今は機械が良くなって、テレビ見流すかなにもしないで
ボーツとしたほうが(以下略。

 で、成分献血をやると全血献血200ミリで献血回数1回カウントが3から5回カウントになって、
気がつけば居住地の役所から銀色有功章やら金色有功章が宅配便で送られて、
家に飾るしか使いみちのない分厚い盾だから速攻押し入れにしまって、
どこへ行ったかわからない。

 そういう事があったから1995年、新しい制度での顕彰制度では直接赤十字から
ガラス製のちっちゃいお猪口、50回が銀色がかかった青、100回が金色がかかった
黄色をもらうようになったのだ。

 こういうふうに「私と献血」というもう一つの物語をじわじわと思い出すくらい冒頭部から、
老医師が登場してボツりポツリと語りだしたとき、生まれた空気感は元本の
森村誠一氏が書いたノンフィクション小説ではなく、遠藤周作氏が書いた
この福岡、更にいうと九大病院で起きた出来事を書いた「海と毒薬」の
流れを想起させるような時間の流れ、空気の漂いだった。

 というか、老医師が森村誠一氏のノンフィクション小説をくずかごに入れる場面が
妙にしっくりきて、語り口と佇まいが「海と毒薬」の勝呂医師をなぜだか想起してしまう。

 更にいうと、内部告発者のプロパーさんが「海と毒薬」の主人公、結核からの肺気泡を
治しに勝呂医師のもとへ行く男、フリーのノンフィクションライターが遠藤周作本人、
そのぐるぐる回りによって、「物の本質」がくっきりはっきり見えてくる。

 このお話の裏テーマは「血液」をめぐる「日本赤十字社」と「ミドリ十字=731部隊」の
今しがたまで続いていた暗闘の歴史だったのかもしれない。

 というか、赤十字が血液事業に乗り出したのはミドリ十字=731部隊より、どうも遅かったらしい。
おまけに、「社会貢献」と「銭金」を秤にかけりゃ、「銭金」が文字通り重たい世の中、
万が一自分や家族、親類縁者が輸血必要時に面倒がなくなるだけ、という半ば保険に近い
赤十字のやりかたではミドリ十字=731部隊にはかなわない。

 がだ、ライシャワー氏という「日本とアメリカをつなぐ大事な存在」が突然刺される、
という「テロ行為」から当人に輸血された血液がミドリ十字=731部隊が供給した
血液だったことがもとで肝炎になっちゃった事件をきっかけに「黄色い血追放キャンペーン」が
始まり、輸血用の血液はミドリ十字=731部隊は関与しないで、と赤十字、喧嘩状を叩きつける。

 そうなるとミドリ十字=731部隊は輸血用の血液からは手を引くが、血友病患者用の
血液製剤というビジネスモデル構築を裏で進め、確立と同時に預血事業から手を引く。

 その後どうなったか、をガチのドキュメンタリーとして落とし込んだのがこの演目。

 一見、不完全燃焼に思えるエンディングだが、1985年以降の献血史、とくに
物語が語られた翌年に成分献血が始まり、1989年、地道な調査の結果
NNNきょうの出来事から始まった一連のキャンペーンからミドリ十字=731部隊が
血液事業全体への関与ができない、というか罰則を含んだ禁止という処分を受け、
2002年に法制化という厳罰となり、2012年国有化、となれば、告発も意味があった。

 がだ、人間って、じぶんも、そうだけれど良い行いの種と同時に悪い行いの種も蒔いている。
そして、良い行いの種からの稔りは他者や異者に自慢したがるが、刈り取らなきゃいけない
悪い行いの種からの稔りは自慢どころか見られると困る急所に化け、他者、特に異者に
刈り取らせようとしている。

 刈り取らせようと無理やり働かせた人間は恨み骨髄、晴らそうとやっきなことを思えば、
北方四島問題やら何やらの日本という社会が抱えている全問題は人間が人間である以上
解決は不可能に近い、解決できる道は、自分自身で悪い行いの種からの稔りを
ヤブから蛇という脅しに負けず、これでもか、これでもかと刈り取りきって、焼き尽くすこと。

 

柴田智之一人芝居「寿」

「この今まで、どう生きてきたか」の集合体が人類の歴史。

 ・・・とは言うものの、歴史自体には理由なんてないし、起こったことに対する
意味なんて、何にもない、ただ単に起こった「結果」を「演じている」、ただそれだけ。

 という空気が開演前の表演空間から漂っていた。
なんていうか、シンプルに「老人介護施設の現実」を見せてもらうと
「人それぞれに違った人生があって、この人生をまるまる引き受けること」が
いわゆる人権の尊重や尊厳を守ることにつながる、とはいうけれど。
(自分がやられて嫌なことは嫌だろ?)
 
 現実は自分がやられて嫌なことを他人に押し付けて笑いながら生きてた人間も、
自分がやられて嫌なことを他人から押し付けられて泣きながら生きてきた人間も
同じ老人介護の施設にいて、おんなじように下の世話や寝かしつけ、食事の介護を受けている。

 どっちがどっちかよくわからんが、望んでいたことが現実と違う、と
怒って、けれどもどう怒っていいか、というか自分が一体どうしたらいいかわからなくて、
気がつけば介護者、支援者との関係がおかしくなって、介護者、支援者の人権が侵害され、
尊厳が破壊されて、不安定な空間が生まれる。

 その中で、尊厳を保っている一人の老人との交流を通して自らの尊厳を取り戻す、
というのが前半部、火葬場の炉前、自動的に燃やされるところまで運ばれていく様子を
想起してしまいそうなコンテンポラリーダンスというか舞踏を挟んで、この老人が
どう生きてきて、どう尊厳を失い、取り戻していったか、という後半部へとつながる。

 学校の先生をしたのは戦後だよな、本当は特攻隊に入って、死ななきゃいけなかったのに、
そういう家庭の立場、立ち位置だったのに、飛行機に乗るには背が低すぎて、
潜水艇に乗る、と決まれば大きい病気をして乗る(死ぬ)ことが叶わず終戦。

 ・・・だから、周囲は「死んでくれりゃいいのに」と戦争に行けなかった人を陰で言い募り、
逆に「死んでくれてありがとう」とも戦争で死んでいった人を陰で言い募る。

 その人がいると邪魔なので、戦争や自然災害で死んでいなくなれば、都合がいい。
という思考パターンが70年以上私達の心の中に巣食っているから、ふうっ。

 生きているうちに良い結果しか回ってこない人間も、悪い結果しか回ってこない人間も、
ああだ、こうだ言っても、何にもならないし、何にもならないことを重く考えても私の身が持たない。
こういうふうに根っこだけ見て自分を生きてれば・・・なんとかならねぇよ!

コトリ会議「全部あったかいものは」

「大事なこと」だから、数回続けて言う。

 金曜日の夜、20時開始って、なんかドキドキする。
というか、昼過ぎまでにやることをやって、18時半に家を出て、
世間は仕事終わって、という流れを逆行しながらぽんプラザに向かう。

 落ち着いているのか、いないのか、よくわからないうちにドアが開いて
物語の空間に放り込まれると、兎に角驚いた!

 ぽんプラザの空間、客席をしまいこんだ平土間に表演部ギリギリまで
客席を「引き寄せて」、観手に「見切り」や「死角」を感じさせない作りが斬新。

 表演部には8畳の畳の間に毛布とかばん類と雑誌、真ん中にテーブル。
テーブルの上にはヘッドホンと何か。

 空間の把握作業をしていると、いつの間にか前説が始まり、携帯電話の電源を
落としていないことに気が付き、電源を落とすと、もう物語だ。

 ・・・食品の工場で働いたことのある人間からみて、異物混入防止のため、
外部からの「持ち込み」という行為には神経を尖らせている。
がだ、休憩室に同業他社の商品は持ち込んじゃいけない、なんて言われなかった。

 もしかして、飲料水メーカーの工場って、同業他社の商品は持ち込んじゃいけないのか?
という疑問を抱えたまま、畳の上にペットボトルのフタが。

 どうやらこの工場では最近、愉快犯か何か、よくわからないがこのペットボトルの蓋が
もとで工場のラインが止まる、壊れる、という事故・事件が起こり、夜勤の始業前に
警察が来て捜査という名の犯人探し、というか、濡れ衣着せという行為が始まる。

 最初は犯人探し・濡れ衣着せという出来事から、「工場・会社」という
集団の中で起こっている「バイト・パートと正社員」、「妻と愛人」、「見えない社内恋愛」、
「真面目と不真面目」、「健常者と(精神・発達)障害者」、そして事故の「加害者と被害者」、
更に「生と死」という隔たりの有りすぎるがゆえの「わかりあえなさ」を「リアルすぎる会話」で
「7時間」の間に「8畳の休憩室」で起きた出来事を「70分」に圧縮してみせた。

 ・・・自分の悪い癖なのかもしれないが、「自分が初めて踏み込む人間関係」で
「わたし」を話そうとするとこの演目のように「大事なことだから、数回続けて同じ内容」を話して、
「私は、果たしてここにいていいのだろうか」てなことを思ったりもする。

 この「繰り返し」が強調された冒頭部では「自分も外から見たらこういうウザさがあるのか」と
思っていたら、段々と個々人が生活の中で抱えている苦しみをじわじわと見ていけば行くほど
この会社・工場が変な働かせ方、法律違反スレスレの待遇(一日6時間以上働かせたら
健康保険と厚生年金はバイトでも会社は加入させなきゃいけない!!)が事態を招き、
会社の荒れが働くひとの荒れを招き、事故、事件は起こるべくして起きた。

 そして、いつものように朝が来る。

 松田聖子の「赤いスイートピー」という曲、初めてしっかり聞いたが、
物語の状況というバイアスかもしれないけれど「不倫」を「アイドルの文脈」に
翻訳すると、こうなっちゃうのか!

ヒカリノオト第6回公演「さよなら、サンカク」

権力を持つと、人は支配的に振る舞う。
そうでなければ、人は奴隷根性を丸出しにする。

 「この人と関わると、自分のためにならない」存在に対して、
どう接したらいいのか、わからない。

 正直、「自分のためにならない人の存在と意見なんか、私にとって害悪」という
フィルタを自分で設定してしまって、「触らないで、関わらないで」という攻撃を
気が付かないうちに繰り出している。
・・・って、自分が勝手にそういう害悪と関わるように持っていって、ふうっ。

 劇団名、「ひかりのぉと」じゃなく、「ひかりの、おと」だという音とアクセントの
配置だということを開演前の影アナウンスで知る。
わたしはまだまだ知らない事が多すぎる。

 今回の空間のしつらえは冷泉荘とか、紺屋2025、エンジョイスペース大名という
小さくギュッとした空間を効率よく使って、世界を広げられるように表演部の壁に
物語に必要な道具を配置するやり方を少し広めのスペースに落とし込む格好。

 この空間で繰り広げられるは、数年前話題になった「幼女を誘拐して、長期間監禁した事件」に
関するなんだかんだをざっくりと分解して、「なぜ、こういう事が起こって、当事者の心境は
どのように発生して、どう変化していくのか」という5年と少しの物語。

 心理学とか精神医学の業界用語(テクニカル・ターム)をもっともらしく使って言うと
「ふたつの機能不全家庭」という存在を通して「なぜこの事件は起きたのか」ということ。

 まず、「加害者側」の機能不全家族は「すでに亡くなっていて(劇中では)存在していない」
父親が支配的で、家のすべての決定事項を自らだけでくださないと気がすまない、
ということは父親以外の構成員に「逃げ場」を与えない、ということで
「機能不全」を起こしている。

 逃げ場を与えないから、「支配を直に見て、人は支配するものだ」という
感覚を持ったまま育ち、要領よく世間を生きる男性と逆に、「支配を直に見て、
支配そのものにに嫌悪感を抱いて、世の中を捨てて引きこもる」男性、
その間に挟まれて、世の中のすべてを自ら含めて責め続ける母親という女性しか存在していない。

 一方、「被害者側」の機能不全家族は「母一人、(女の)子一人」、しかも生まれてすぐに父親を
事故か事件で亡くしてしまい(下衆い言い方をあえてするが、贅沢しなけりゃ生きていけるくらいのお金を保険かなんかでもらっているから、母親に「労働の匂い」が感じられない!)
母親が同性である娘を「自分自身が立って、生きていくために使う唯一の支え」に
してしまったことで「機能不全」を起こしている。

 このふたつの機能不全家庭が「三角形の窓」を接点にして不幸にも出会い、
「人は支配するものだ」という思い込みを充足するために誘拐、監禁した。
「支配そのものに嫌悪を抱いて引きこもる」存在は新しい支配を直に見ても
どうしていいかわからず(悪いことは悪い、と外の常識を下手に入れたら自分の命が危ない)
とにかく誘拐監禁された存在の命をつなぐようにする。

 母親たる存在はより一層不平不満をこじらせて本当に病気になり、
とうとう痴呆まで入ってくる状態になるか、娘という存在が突然外れて
一人になり、娘の存在を忘れてどうしていいかわからず、同級生で
ギラヴァンツ北九州(らしき)プロクラブのユースからトップに上がった
とある選手の父親と不倫関係という「新しい支え」を不幸な形で手に入れた、という
これまた「機能不全」を強化した状態になってしまう。

 監禁された娘は「(自身の中で)きちんとできている大人の私」という
空想の人格を作り、独り言という形で会話しないと狂っちまう。

 機能不全が強化されると人は不幸を続々と再生産してしまう。
この連鎖を断ち切るためには、誰か不幸を全部引き受けて、誰もが嫌がることをして、
誰からも嫌われて、一人ぼっちになって消えることをしなけりゃ解決しないと思いこんでしまう。
・・・だから、引きこもる存在は父親を階段に突き落として殺し、母親もおんなじようにして殺し、
ついには自らを殺させて監禁されていた存在を解放させるように仕向ける。

 こういう七転八倒でそれぞれがもがいて苦しむさまをコンテンポラリー演劇というくくりで、
隠し味に「言葉という呪縛、音という呪縛の怖さ」を効かせて見ていると、
私自身の中でもこういう苦しみが存在していて、その苦しみが「誰かが好き勝手に言葉を操り、
音を操ることで、自分を含め、他の誰かが悲しい想いをしたこと」に憎悪を感じ、
憎悪から人間不信、で私の人生の大半を生きてきて、ものすごくきつかった。
私だって、下の妹の出来ちゃったのトラブルの時、父を殺せばよかったのに、
なぜできなかったのだろう、そんなことまで考える。

 このきつさとささくれを少し乱暴にビリー・ジョエルの「ピアノマン」がほぐしてくれる。
スカパー!(J-Sports)で野球を見始めた頃から、この曲を聞くと、勝ち負けやら
傷ついた、とかなんとかや優劣なんて本当はどうでもいいことなんだ、というふうに心が整っちまう。

 
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