hall brothers 「永遠に少年」

 「正しい」は怖い、本当に怖い。


 前回の「Hotel♡」では久々の公演だったのか、
チケット予約システムになんだかんだあってうまく予約が取れず、
久しぶりにローソンチケット、しかもロッピーを叩いて買ったのだが、
どうもポイントカードの連絡先をチケットの連絡先に「移動させる」ことが
うまくできないや、それで手数料を取るなんざ(以下略。
 こういうことがあって、今回なんとかシステムが動いて、手配して
はぎわらの心のこもったメッセージ入りの手紙をもらって、
(いや、まあ、前回の公演は珍しくそれなしの手紙だったわけで)
カンパニー自体が「平常運転」に戻ったようで何より。

 さて、表演空間がどこかの農場の倉庫兼休憩室といった趣で、
また、どこの角度からも「死に角」というものがなく、
斜めに「天」を切っているから見やすいし、少ないスペースで
奥行き、というものがきちんと出ている。

 ・・・初手から掴まれました。
ある春の嵐の夜、女が男を誘う様からお話が動き出す。
そして何事もなかったようにイチゴ農家の一日が始まる。
このひとつひとつのムーブやマイムがきっちりしているから
響きがとても良い感じ。
とても良い感じの響きだからこの家族が隠している「何か」が
じわりじわりとにじみ出てる仕掛けがなんとも言えない。

 というか、この家の「長男」が実は「発達」に
重大な問題を抱えていることを誰ひとり知らないようだ。
知らないから「不器用」とか、「芯がない」と妹は責める、
幼なじみの人はそれはそれで、と自然に見守っている。

 この人間関係に東京で芸能の仕事をしていた
女の人がこの街に戻って、芸能の仕事を始めたことから
おはなし自体が大きく動き始めていく。

 いや、本当に発達障害者は「正しい人」が「正しい」と信じ込んでいることを
「あなたはなぜできないの、他の人はできるのに」ということがとても、とても怖いのです。
この恐怖に日々「怯えながら」生活を重ねて、怯えているから体全体が固まり、
体の動き、心の動き、考えそれぞれが固まってしまい、なにもできなくなる。
で、「正しい人」たちからまた追い詰められている。
これら一連の流れがうまく表現できてる。
幸田さんが実によくハマっている、というか。

 ここに「いま、こうなるはずだったわたし」と「いま、げんじつのわたし」、そして「かこのわたし」が
重なったがゆえに起こるへんてこな意地やプライドがだんだんと大きくなって、
「正しい人」がそれぞれ自分自身を追い詰めていく様がスパイスで効いてる。
そのようすを発達障害を持つ長男は冷静に見ていた。
冷静に見ていたのだけれど、その様子を伝えるすべを持たなかったし、
「正しい」と信じ込んでいる人には「視点が違う」からその言葉自体が届かない。

 言葉が届かなければ、人は「からだ」を使って「しゃべる」しか手段はなく、
手っ取り早く伝わる手段がじつは「暴力」で「他者」を傷つけることなのでは?

 だから最後のところ、思う存分、「あなたは正しい、と思っているけど、じつは違う」と
幼馴染の女の子は長男に思う存分、ふんだんに喋らせて、それでも伝わらない、
で、自らの身を差し出して「わからせる」ように仕向けた。

 赤の他人はその言葉に目が覚めて、新しい自分を歩き始めた。
身内はまだ自分自身の「正しさ」に酔っていて、本当の声を聞こうとしない。
発達障害の兄を拒否し続けている、哀れというべきか悩むのです。


 ほんまに、正しいって怖い。
そして、「永遠に少年(少女)」だったのは、一体どっちだったのだろう?
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万能グローブガラパゴスダイナモス 「ガラ博」(その五)

飲み過ぎ、食べ過ぎは体と心を重くする。 


イベント自体も手馴れてきた、というか、自分の心と体がこなれてきた、というか。
この試み以前に自分自身の心と身体が感じていた「引っ掛かり」を解決するために
色々あきらめなければいけないことを解決するための作業を粛々と行う。

 粛々と行うと不思議なくらい心の引っ掛かりが取れてきた。
・・・いろいろな意味で、ありがたい。

 それにしても、ガラ博、お客さん自体もものすごい。
いろんな人が入れ代わり立ち代わりやってきて、
半ば「福岡演劇人サミット」という趣になってしまっている。

 うーん、お腹すいた。
食べないと変なストレス抱えてえらいことになるのはわかってる。
けれど、食べたものによっては感覚が詰まって落ちてしまう。
最近、食べるもの、飲むものに困ってしまう。

(手島組)
  導入部分から「ロック」が満ちている。
というか、野郎3人による「共同生活」というものには
ロックというものがつきものだ。
なんて言うんだろう、
「どうしたら良いのか、どこへ行くのかわからない野郎のぐだぐだした日常」が
今、そこにある、という作りになっている。
 まるでイングランド文学、ニック・ホーンビィの「ハイ・フィデリティ」では導入部分、
「ぼくのプレミア・ライフ」ではアーセナルの振るわなかったシーズンと自分の振るわなさ
が重なってどうしようもできなくなる部分をより一層陰湿にした感じ。
 アーヴィン・ウェルシュの「トレインスポッティング」や「マラボォストーク」ほど
嫌な感じはなかったけれど、ものすごく重たい。

 「働くこと」、「食べること」、「眠ること」、それぞれに
変なストレスを抱えると普通はどうってことない出来事でも怒りを見せてしまう。
ほんの些細な「生活音」にも「過剰反応」を起こしていろいろなことがたわんできしんでいく。
ここに不景気による小さなしくじりから仕事を失い、からだを壊し、心が壊れる様が
ありありと表現されていて、それでも生きていかなくてはいけないから
淀んでいる職場の深夜勤をしなければいけない状況でまた壊れてしまう。

 そこに、仲間が「新しい道」を見つけてその場から離れる。
離れてみたら「開くこと」ができることは幸せだった、ということと
多分、お金を始めとした人生そのものに「横着」を続けてしまったから
こんなことになってしまったのか、という発見をしたのかもしれない。

 福岡のどんよりとした曇り空を感じてしまった見後感。

 椎木組2回目については大千秋楽の話でまとめてしなければ。

万能グローブガラパゴスダイナモス 「ガラ博」(その四)

一味変わった恋愛祭


 うーん、あれっ、なんか消えていたのか、見失ったのか。
結果、土曜日の分を先にスカウティングレポートあげちまった。
さて、本題に入ろうか。
・・・ポップコーンではなく、天ぷら。
最近、スナック菓子食べる気がしなくなったし、ジュースも飲めなくなった。
がだ、休みの前の日になるとビールのたぐいが飲みたくなるのですよ。
食べながら、飲みながら、また他愛ないおはなし。
怯えることもなく、苛立つこともなく、ゆっくりできるのはいいことだ。


(阿部組)
 一目見ると「優柔不断な男とはっきりした女」の別れ話。
なんか、「優柔不断」って、「言い訳の天才」とも言い換えが効くのだろうか、と
ふと考える、その文脈で言えばこの男、言い訳が下手くそやなぁ。
「言い訳は所詮言い訳」なんてことを考えていると、
「ご先祖様」が唐突な形で登場してお話を引っ掻き回す。

 その感じが歌舞伎の要素、特に近松門左衛門と坂田藤十郎の掛けあわせが
程よく効いて、「埋もれた演目」にこういうのがあるのかなぁと思わせる出来。
歌舞伎で、いちどそういうものを見てみたくなってしまったじゃないか。
というか、松野尾がこんなに「喋り芸」がうまいから、このうまさに
阿部のホンが効いているからこう感じてしまうのだろうか?

 ここにプロレスのハンデ戦が入って来て、「浮気は家系」とか、
実は大きな事故で頭打ってしまって感覚が入れ替わったとか、
いろいろな「隠し味」が効いていて、引き出しの多さに驚かされる。

 こうして徹底的にふざけておきながら、「命の不思議さ」と
「何かを活かすために喜んで自らを捨てる」から「喜捨」なのだ、
そして人は生きている存在とつながっているだけでなく、
過去の「魂」とも繋がって生きている、魂がなくなれば
生きられないから、つないでほしい、つないでくれ、という
願いを込めて魂を与える。

 阿部の演者としての持ち味である「不思議な変態加減」が
不快感を感じず、むしろスパイスとして効いているのは
ある意味、「筋」が通っているからだ、と納得する。
にしても、よこやま、みょうにうつくしくなりやがるなぁ、おい。

(元一組)
 まあ、ガラパ以外でも前衛的な演劇を繰り広げているせいか、
手慣れた形でセッティングしているよ。
なんて言うか椎木さんがウィスキーの瓶を持ちながらつなぎの前説をしている。
ここから「車の鍵、よこせ」と「自然な形」で物語の世界に入っていく。

 ガランとした場所で今流行のユーストリームをやっているが徐々に
不思議な怖い世界が迫ってくる、ヒタヒタと来る不気味さをもって。
今までのこう言った「不気味さ」というのは「出し手」から「受け手」の
一方通行だったけれど、いまはインターネットという
「文明の利器」によって、「出し手」と「受け手」の関係が
「お互いに」、「出して、受けて」をひたすらに繰り返す。

 ぞわざわとラブホテルでの様子が入って来て、セックス、
「性的な目覚め」、その性的な展開が近親相姦なのか、
頭の中謎だらけで不思議な感じに襲われる。
・・・まあ、何かの形で「許されない恋愛」をしていたのだろう。
その「恋愛」を「壊すため」に・・・なのか。
この「許されない恋愛」とその顛末を薄皮一枚で見せた感じ。

 これ、飛ぶ劇寺田さんのやってるブロックが旗揚げで演った
演目より戦慄感がえげつない作りになっている。
「ブロック」はそれなりに間口を広くした作りになっているから
「好き嫌い」がそうは分かれないようになっている。
 がだ、これは心のなかの変なスイッチが入って来てとんでもないことになりそう。
そういう「とんでもない」ことを面白がれる人もいるが、拒絶する人もかなりいる。
この「好き嫌い」が元でいろんなことが起こってた、うん。

フーズカンパニー「本当ノート」@長崎+福岡

あなたがそう思うのならば、その通りだよ。
・・・あなたの「心」の中ではね。



 甘棠館でただが「自分は女優の他にこれで生きていきたい」という決意をしていた。
しかと受け止めたいが、時間いっぱいまでいると長崎での予定に間に合わない。
後ろ髪を引かれながら唐人町まで歩いて地下鉄、
それから博多駅でなんとか長崎行きの特急に間に合う、自由席だったが。
自由席の場合、佐賀まで我慢していたら何とか座れるわけで。
有明海を眺めつつ、脳みそ空っぽにして諫早過ぎたら
新しい長崎県陸上競技場の建設状況を睨むのだが、今回はタイミング悪し。
長すぎるトンネルをくぐると、そこは浦上、そして長崎。

 今回の長崎行き、懐が心もとない、特に現金。
というわけで、宝町のポケットシアターまでてくてく歩いてみる。
路面電車の窓から見る「道の形」はとても歩きにくそうだったが、
実際に歩いてみると、駅前から県営のバスターミナルに向かう
歩道橋を渡れば完全に一本道、かなりの速さで場所についた。
ええ塩梅にお腹が空いたのでガストでグリルチキンとトマトパスタ。

 何もかもが落ち着いたところでポケットシアター。
中に入ると、ええ意味でえげつない。
・・・こういう作りもあり、といえばありやね。
そんなことを少し考えるとええ塩梅にお姉さんたちがやってきて。
よしよしをしたりされたりしていると、もう本編。

 なんというか、「ある夫婦らしきものの日常」がむき出しになって、
「檻の中」に存在している、言葉や気持ちがどこか繋がっていないけれど。
繋がっていないことを友人に話し、出された解決策が「本当ノート」と
呼ばれる「交換日記」だった。

 また同じような「日常」が始まって、その日常が少しずつずれていく。
本当はひとつになっていたのかもしれないのに、じわりじわりと分かれていく。
分かれていけばいくほど「本当ノート」に書く言葉は少なくなり、
これとは別に「妄想ノート」という「あなたのしらないわたし」に書き込まれる
言葉が増えてくる。

 そうなると心がしんどくなってしまうので知らない間に
「コスモウェーブセラピー」という怪しげな奴にはまってしまう。
どうやら「コスモウェーブ」のセラピスト、というか教祖様と
そこにつながる「コスモマスター」のポジションを九州各県の
福田さんがセレクトしたプレイヤーがやるようだ。

 長崎前半は謎モダの白濱さんでこれがまあ、すごい。
熱いというか、暑苦しいというか、パワーが半端ない。
「生きているが故の熱」をこれでもか、と感じて、
「私は小さな宇宙なのだ」という感覚をこれでもか、と思い知らされる。
オフィスのT氏が「熱海殺人事件の云々」という話もそうだよな、というくらいの出来。

 福岡は久しぶりのk2t3秦さん。
まるできゃりーぱみゅぱみゅがある程度年をとったかのような
雰囲気を持って登場、いい意味でえげつない。
「私は小さな宇宙なのだ」ということは脇に置いといてわたしと(以下略。
なんだか不思議で妖しい「魔法」を掛けられてなんか感覚がフワンフワンする。
てか、k2t3の時、こんな使い方してたか、と驚いてしまう。

 ここだけで見たら単純におかしいけれど、
その「おかしさ」の中に「真理」がこっそり混ざっている。

 私はわたしのあずかり知らないところで
わたしの「現実」以外に別の「現実」が存在していて、
その現実は一つだけじゃなく、わたし以外の人数分存在している。
それぞれの「現実」が別の現実に影響される、と言うか
「侵食」していき、また「侵食」されるに従い、
それぞれの「現実」が穏やかさを失っていく。
穏やかさを失えば「現実」というものは生きているのか、死んでいるのか、
わけがわからなくなってくるものだ。

 その訳のわからなさはそれぞれ違う。
これらの領域に他人は安易に踏み込めないものだ。
にしても、福岡初日、飛ぶ劇の泊さんが云ってた「ある出来事」って
いったいぜんたい何だったんだろう?

万能グローブガラパゴスダイナモス 「ガラ博」(その三)

見れば、見るほど、「突き刺さる」。


 水曜日から始まったガラ博連戦もいよいよ最終日。
今回の日程はなかなかにハード。
仕事して、トレーニングで軽く走ったり、博多駅から唐人町甘棠館まで
ひたすら歩いたり、で、見て、バスなり地下鉄に乗って帰るの繰り返し。
というわけで、土曜日はなぜだかグダグダ。
グダグダだからこのあとの長崎行きのため、サッと帰ることの出来る
ポジションが取れて、まあなにより。

(豊永組)
 青年団若手系、特にうさぎストライプとかが試みている
「体にもふんだんに喋らせる技法」というものが
最近のトレンド、というものなのだろうか?
そういえば東京デスロックだってそうだし、さらに言えば柿喰う客も。

こういう最新トレンドを動かしていくためには「舞踏手(ダンサー)」としての
からだが必須項目、そのからだにただがうまく乗っかってなんとも言えない。
そんな空気に表演空間の塩梅が熊本で言えば新町近辺のお城のお堀端、
福岡で言えば地行の川と海の境目あたりの「水が見えるアパート」、
外は雨、という感覚がじわりじわりと伝わっている。

 つながれた男と働く女。
自らの意思で「飼われた」というのだろうか?
なんだか不思議で、なんだか倒錯的な共同生活。
日がな一日ベランダから川に釣り糸を垂らして
アウトドアとインドアの曖昧な境界線を楽しんでさえいる。
そんな男を見てつないでいる鎖を短くして「行動の制限」という
罰を与えてなんだかんだしている女。

 こういう「だめをこじらせている様子」から 「現代のやるせなさ」や
「追い立てられるストレス」がそれとなく表現できてる。
分かり合えないから分かち合えない、仕事に急き立てられ、
雪のようにやらなくてはいけないことは降り積もり、
変化に対するストレスまでのしかかって女はパンク寸前。
時間を追うに連れてどんどん疲弊していきやがる。

 疲弊が進むとよく眠れなくなるし、ちゃんとご飯が食べられなくなるから
さらにストレスがのしかかる、こういう恐ろしい状態を見ているから
男は男なりに愛を届けようとするが、不器用なものでなかなかうまく届かない。

 さらにストレスがのしかかって来るから、
男はストレスのもととなる女の携帯電話を捨て、
ナマズというかうなぎをベランダから流れる川から釣り上げて
焼いて女に食べさせ、静かにその場から立ち去る。

 人間、きちんと食べて、眠らなければいけないよ。
という話をマヤさんのことがあって以来、事あるごとに諭されている。
そんなことを少し思い出す。
そして、「人生の迷い道」を案内する存在として「いた」のかな。
こんな「残り香」を嗅ぐと、少し心がチクチクするのです。

(松野尾組・2回目)
 初見で以前書いた「インディゴブルーの本当」がベースにあって、
業田良家がスパイスとして効いているということは分かった。
このわかったことを「土台」にして更に深く見てみるとすごいな、と。

 ずっと前、あるものやことに関して、
恐ろしいほどの「憎悪」を発した時に感じた「二十歳の危うさ」がそこにあったのです。
人生というものは生まれてから20年はだいたい「家庭」という畑で様々な肥やしを
使ってじっくりと根を生やし、二十歳になってから大体40年で何かを成して、
肥やしとなって次に繋がる人生を育てる、その繰り返しなのだろう。
そのつながりをより良くするために男は40歳まで、女は30歳までを
どう「耕して」行くかで色々違うのではないだろうか?
この観点から見れば、なんか中途半端に耕しても十分に実ることは
じつは「こわいこと」なのではないだろうか?

 年齢が進んで、ロボットの知能に人間が追いついた時、
ロボットは人間の「人生」というものを「マネジメント」する立場から
人間の「人生」を「都合よく守る」立場に転じてしまう。
そこにロボットが人間に対して抱く密かな「恋」というか「愛」が絡んでくるから
ものすごく厄介、ゆえに頼れる他者はだれもいなくなってしまった。
・・・人間はそう簡単に死なない、死ねない、けれど「人間同士のつながり」が
亡くなってしまった瞬間、簡単に死んでしまう。
あとは、その「記憶」を雄雌二つのロボットが入れ替わり、立ち代り
再現する永遠のぐるぐる廻りが続いてる。
すべてを手に入れ、すべてを失い、孤独のままに死んで行く、その繰り返し。
その繰り返しにならないように「不運≒悪いこと」があり、
不運や失敗によって方向変換をすることで人は人として生きていけるのかもしれない。

・・・ん?書き進めていって、金曜日のことを忘れてしまった。
順序を入れ替えるか、どうするか。

万能グローブガラパゴスダイナモス 「ガラ博」(その二)

すごく心に刺さる、「真夏のひな祭り」。 


ものすごい緊張感のさなかに迷い込んでしまった。
いたたまれなくなって、見えないところに隠れて、
もそもそとパンを食べる。

その前に時間があったので、天神のコナスポで走りこんで、唐人町。
程なくして緊張が解けて、わいわいと雑談をはじめる。
この時間が、なんというか良いリハビリになるんだよなぁ。
最近、ギスギスしたところに身を晒し続けていたからか
ものすごくしんどいことになっていて、演劇そのものが嫌いになっていた。
・・・今はここまでしか言えない。
ものすごく疲れていたから少し休んで、ガラ博からぼちぼちと。

(杉山組)
 結論、女の子は歳を取ってもかわいい。
初手から掴まれました。
立石さんと濱崎さんの並びが、というかイチャつき具合いが
ただとよこやまの並びとイチャつき具合に見えてしまった。
ていうか、始まる前にボーっとしていた時、さっと女の子が
通っていたのを見て、「あれ、今のただだよね」と
よく見ると実は立石さんだった、言うことがあったわけで。
あのふたりも、きちんとキャリアを積めば違った形で
いい年のとり方をする、ということがわかってまあ、何より。
その様子を見ることが出来るか、わたしの命の問題なのだが。

 さて、前置きはそのくらいにしよう。
話を追ってみると、どうやら「タマ」という存在がいて、
その存在をめぐる女の子の諸々話、というのが「芯」として存在していて、
結婚、だとか、妊娠だとか、いろいろな変化がやってきた。
その「変化」に対する不安とかいろんなものを話すために
「タマ」という存在を使って集まったのだろうか。
そうしないと「不安」というものは毒性が強くなって、
この毒は心と身体をおかしくしてしまう。
・・・男はそこのところ、きちんとできひんもんなぁ。

 さらにはこの結婚や、妊娠、というものがいわくつきだったことがわかり、
「実は、わたし男でした」というカミングアウトまで飛び出して、
静かな「混沌(カオス)」とはこういうことなのか、という発見までやってくる。

 で、秀逸は「場」の見せ方。
じわりじわりと「ここは地球ではない」という「何か」を見せている。
「地球ではない」というと、ここは一体どこなのか、と考えるとなにか懐かしい。
・・・そういえば、小学校の何やらかにやらで玄海少年自然の家に合宿行った時、
談話室に少年SF小説があって、近い将来、地球がおかしくなって、
各国が宇宙空間に「宇宙島」という小さな国家を作るお話を読んだな、と。
その「宇宙島」から地球に帰るロケットに乗る「抽選」が当たって、という
お話で「やっぱり、人間は地球からエネルギーを貰って生きている」なんてことを確認できた。

 演者としての杉山さんは「かぶりもの」を取ったら
涼風真世の空気感、特に宝塚歌劇時代の「PACK」のそれと同じだな、と
周年記念演劇祭の「夏の夜の夢」で感じたことがあった。
がだ、書き手として見てみたら、引き出しが数は少ないが
ひとつひとつが広くて深い。
まさか、とは思うが「宇宙島サンフラワー」読んでいたのかもしれないな。
だとしたら只者じゃない、ということを感じてしまった見後感。

(横山組)
 「くそったれな毎日に折り合いを付ける」という意味で、
「ファッションモデル」という商売は存在理由があるわけで。
・・・ああ、また「挑発的な言葉」を使っちまった。

 こらまた初手から掴まれるなぁ。
ガラパでも、外の仕事でも「女の武器」をまったく見せないけれど、
知らない間に独特のフェロモンがチロチロと湧きだしてがただの持ち味。
今回は趣変わって、フェロモンがドッカーンと爆発している。
髪長いし、ローラのようなやばい化粧にやばい服。
・・・言葉悪いがお姫様抱っこして(以下略。
そこに地味編であべが女装している。
あの粘っこいネガティブ、という持ち味に地味な女の服を着せると
どこの会社にでもいる、「何かに深く傷ついたがゆえに地味であることを選んだ」
女の子、という存在がそこにいた。

 この両極端な女の子ふたりが入れ代わり立ち代わり「葛藤」を見せている。
・・・入れ代わり立ち代わり?なにか違うなぁ。
女の子の持つ「ほんとうの美しさ」に気がついた男がいて、
それでも当の本人はどこが「ほんとうの美しさ」なのかまったくわからず、
どこをどう見せたらいいのかわからない、わからないからメディアによって
作られたファッションモデルのような「綺麗」を「美しい」と間違えてしまう。
・・・この「ふたつ」は元は「一つ」だった、ということだった。
てなことをおもうと、色とりどりのお洋服が実はソフトな「鎧」に見えてくる。

 だれもがみんな、ファッションモデルのような「違う自分」になりたいのだ。
人生のあらゆる局面において「積極的」に攻めることができるような立ち位置に。
けれども、現実は消極的を選ばなければいけない状況に陥ってしまうわけで。
そんな「消極的なわたし」を「積極的なわたし」が挑発し、抵抗するバトルがあって、
こんなバトルにうんざりして、疲れ果てる。
・・・「わたし」は「わたし」からどうしても逃げられない。
ということは「いつか」は永遠にやってこない。
だとしたら「なりたい、ちゃんと、でもできない」という「悔しさ」を噛み締め
そして「ちゃんと」とは何なんだ、ということを探しつつ眼前のことに取り組む。
そうすることで「ちゃんと」を超えた「本当」にたどり着くのだろう。
・・・深いよ、深すぎる。
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itumo25254you

Author:itumo25254you
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