鹿児島演劇見本市(その三)

 ・・・大分のフーズ見学の合間に書けるかな、
なんて思っていたら肝心のネタ帳を忘れて、
最新のところから書いちまった。
てなわけでサクサク行くよ、サクサク。

演劇ジャッド会チームフルエ


 今回は「賽の河原」。

 人は「生きる」について、充分注意するが、死ぬときは死ぬ。
やりたいことが山とあっても、ある日突然に「秘密の階段」の
入り口へと進まされて、あとはいつもの様に面接、と言うか
尋問を受けて今後の処遇が決まって、というのだろう。

 言えることは唯一つ、「苦しまなければいけない時に苦しむ」。
こういうことが目に見える色調、耳で聞こえる色調を白で統一することで
きちんと表現できている。

 で、ファッションの世界のなんだかんだによって
「賽の河原」に迷い込んだ女の子が
「不思議の国のアリス」を思わせるくらいの案内ぶり、というか。

 そして、白で統一されていた空間から
「色が戻った」ときの「華やかさ」の裏にある
なんというか、空っぽの虚しい感じが足下に渦を巻いていて
いつどこで巻き込まれるか、分からないところまで見せてやがる。

 空っぽの虚しい感じに巻き込まれると、何もかもが嫌になって
今まで持っていたたくさんの「つながり」がどんどん切れていって
「ひとり」になってしまいがち、そうなると「死」というものに
引っ張りこまれてしまうのだ。

 がだ、この世で散々泣いたのならば、あの世で泣かずに済むのかな。
この世で散々他人を泣かしていい思いをしたのならばあの世ではどうなるのかな。
そんなことをつらつらと考えた見後感。



演劇集団非常口 


 やっときました新作が。
物語の入りはものすごく詩的。
けれど、なんかえげつないほどリアルな入り。
・・・新水俣駅から裏の山を抜けて、大口に至る道、
あの道のカーブの具合い、そして標高差をずんずんと上がっていく、
そんな感じが板の上で表現されている。

 自分たちが普段生きているところより標高が高い、という
感覚を持って「男と女の葛藤」というものを見ると
こらまた、なんとも言えない。

 家族がいて、普通に生きている男が何の因果か知らないが、
美しい女の人に出会って、いけない関係になってしまう。
戻りたいのだけれど、「霧雨」によって足止めを喰らい、
永遠のグルグル廻り。

 これを見て、見本市に行く前、天文館のブックオフで
たまたま立ち読みした東村アキコの「主に泣いてます」という漫画を思い出す。
・・・世の中には二つの「美人」が存在している。
その美しさを武器にして人生をのし上がってきた「美人」と
美しすぎるが故に「普通の生活」ができず、
いたるところで誤解を受けて傷ついて、いつも涙を流している「美人」。

 「普通の生活」ができない、されどこの美しさを使って
上を目指すこともかなわない悲しみが「霧雨」によって包まれている。

 そして「霧雨」に包まれた場所を離れ、また標高を徐々に下げて
いつの間にか「日常」へと降りていったと同時に何かが消えている。

 そういえば、東村アキコは宮崎の人間だったよな。
こういう「霧雨」のような美女の悲しみの描き方は
南九州の持つ独特な感覚なのだろう。
てなことをつらつらと思った見後感。

 このふたつは「女性」というものの切なさ、悲しさつながりなのかな。
お金やモノに恵まれることと、心に恵まれる、という二つは両立できない。
だとすれば、どちらを選べば、というか、「命」はそのどちらか片方に
無理やり「運ばされる」、詳しいことはあの世での「尋問」で聞かれて
その後の処遇が決まり、また次の「生」を生きていく。
何もかもが消去された「まっさらな状態」で。
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飛ぶ劇場 「睡稿、銀河鉄道の夜」

証明自己。(自己を、証明せよ。)

バージョンアップとは、こういうものなんだ。

 この演目を見たのは「ぽんプラザ10周年記念・九州、福岡地域演劇祭」以来。
そのあと、そこにいたひとりひとりがそれぞれ「旅」を続けていた。
というわけで、これらの「旅の成果」というものがそこらかしこに見えている。
 
 この演目の肝は観客席が「参加席」と「一般席」に分かれていて、
「参加席」のお客さんと一緒に一つの作品を作り上げる趣。
「つくり上げる感」というものがものすごく楽しい、ということは
よくわかっているけれど、「旅の成果」というものを見てみたくて
今回は「一般席」でおとなしく、じっくり見る。
[混ぜこぜ感、巻き込まれ感」というやつを見てみたかった。

 さて、旅の途中で鵜飼秋子氏が「結婚」という人生の分かれ道に歩みだし、
ブルーエゴナクという新しい道から穴迫氏が旅に合流した。

 んなことをつらつらと考えていたら表演部でウォーミングアップが
「参加席」と共に始まり、「一般席」もそれに合わせて
「息を合わせ」ようとしている。
・・・ほんと、「スポーツのような」演劇だな、この演目は。
ひとつひとつのムーブやマイムに「反応」がビンビン伝わってくる。
「反応」がものすごい精度と密度で伝わってくるから
「物語」が息をしている、息をしているから生きている。

 多分、「生きること」ということは、「目的地の見えにくい旅」を
なんかなし、続けていることなのかもしれない。
私はどこから来て、どんなところを通り、どんなことを成して、
どんなことを成さなくて、そしてどこへ向かうのだろう?
そんなことを前よりも「不思議なリズム」で演っている。

 そこには、色々な「生き方」があり、「いろいろな死に方」がある。
様々な形があり、そこには「運の善し悪し」ですべてが決まってしまう現実がある。
いつもの生活がある日突然良い方に転がって多くを得ることもあるし、
悪い方に転がって自らの命を含めたすべてを失うかもしれない。
これらはすべて様々な時代の空氣がそうさせるのであって、
個々人の努力だけではどうにもならない。

 そういう様々な場面で起こっている「すべて」の要素を取り込んで、
これらの要素を飲み込んで消化してみたら、
世の中で起きる出来事や、運、不運というものは
すべて紙一重のバランスで存在していた。
そう考えていると「運がいい」ということは誰かを何かしらの形で
「食べて」生きているわけで、「運が悪い」ということは他の誰かに
「命」を始めとした「何か」を差し出している、
これを「喜んでその身を捨てる」から「喜捨」というのだ、
という現実が板の上にあった。

 ということは、私達が「生きている」という事自体が
「ほんとうのさいわい」にたどり着くための糧になっているのだろう。

 宮沢賢治、という書き手は五体を使って働いてきた人間だった。
その言葉から五体を使って働いてきた人間にはごまかしが効かない、というのは
本当だったようだ、その事実を引っ張りだすこともこれまたすごい。

ギンギラ太陽s「外食王オムレット」

シェイクスピアと福岡の融合。 

いままでのギンギラとはすべてが違う。
今までの屋台骨を支えてきたメンバーがほとんどいなくなって、
作劇の形、いろいろな態勢、編成を一度「壊して」、新しく組み替えた。

 今回から「当面」の座組は 一昨年の「漂流画祭」などのご縁で、
きららという熊本の劇団から池田さんと豊永さん、
劇団ぎゃ。のゆきえさんとみさか、
非売れ線系ビーナスの田坂さんを持ってきた。

 今回の座るポジション、座ってみると「スーパーマーケット三国志」のときと
ほとんど同じポジションだったことに気がつく。
あの頃は、出会ったばかりのオフィスの本田さんが隣にいて、
自分の後ろの列にはあんみつ姫の踊り子さんたち、賑やかだった。

 その頃や、「旧体制」でのギンギラとは今回は会場、客席の空気が違う。
天神の旧NHKのレストランの余興で演っていた頃から
福岡ドームビッグライフ、それから西鉄ホール、パルコ劇場を始めとした
全国とジャンプアップしたところを一緒に「歩いてきた」人たちの空気を見なかった。
なんて言うか、演劇初心者とギンギラ初心者、程よく演劇を知っている人々、
そういうのが程よく混ざっている空気。

 で、開演前の記念写真大会で「家電業界」のお話をひとしきりやりながら
記念写真やなにやらでファンサービスに徹するのは今まで通り。
というか、ぎゃ。のゆきえさんがedionのかぶりもの、
みさかがケーズデンキのかぶりものときたらサッカーJリーグ。
中でも田中マルクス闘莉王つながりじゃねーかと。

 いや、彼がプロとしてのキャリアを始めたのが広島で、
・・・あ、あの頃はマツダが経営主体で、
DEODEO(=edion)が経営に乗り出す前だったか。
そういえば大分でトリニータとのプレマッチがあって、
その試合の広島、「釣男が穴」と言う状態だったのを見て、
ケーズデンキがスポンサーの水戸に移って場数踏んで
今に至るんだよな、なんてことを思い出す。
おまけに、ゆきえさんにサンフレッチェのゲームシャツ着せて
翌日の大一番、ホーム仙台戦にいい景気付けさせたかった。

 がだ、一度幕が開くと今までとは違う「ガチの演劇」をやっている。
まずは「ほっともっと」対「ほっかほっか亭」の軽い剣劇から。
このシーンの座組が秀逸。
「ほっともっと」側に福岡の演者を持ってきて、
「ほっかほっか亭」側には熊本の演者を持ってきてる。
・・・ムネトさん、うまいよ。

 いままでは客席前のほうが「客いじりゾーン」と言う形で
劇中、そのゾーンに座っているお客さんとコミュニケーションを取っていた。
今回はそういうのが全く無く、きららの「身体言語」の美しさ、
ぎゃ。のハリウッド的なエンターテインメント、というそれぞれの
持ち味を生かして「外食産業」のお話をシェイクスピアの
「ハムレット」というお話を使い、知っている人にとって
ぎりぎりのアレンジを効かせて表現してる。

 ここに福岡の人間ならよく使う「ロイヤルホスト」や
「ウエスト」というファミレスやら「マクドナルド」と「ドムドムバーガー」という
ハンバーガーチェーン、コンビニは「大人の事情」で
「ローソン」しか出せなかったが、
これらの企業の性格や持ち味という「引っかかりどころ」が多数揃えられていて
見る人それぞれの「物語」と混ざり合わせて、「化学変化」が起こっている。

 そういえば、じぶんは「ハンバーガー」というやつを日常的に食べ始めたのが
「ドムドムバーガー」だったんだよな、四條畷にいた頃、
マクドナルドは少し離れた「住道」やうめだの「阪神百貨店地下フードコート」でしか
食べられない「ごちそう」だった。
それが何より証拠にはハンバーガーが一個210円もした。
今のようにバリューセットというものもないわけで。
めったに食べられないからバンズというパンも一般には売っていない。
・・・食パンを丸くくり抜いて焼いて、「イシイのハンバーグ」を
挟んで、「ハンバーガー」として食べていたこともあった。

 そういう時に片町線四條畷駅すぐ近くにドムドムバーガーができた。
ハンバーガーがそこにある生活が始まった。
そのあと、ドムドムバーガーから踏切よりのところにマクドナルドができて
質、量ともにすごすぎるプロモーションが始まった。
ポテトSサイズ無料券だとか、毎週日曜ごとのゲーム大会
(ストロベリーサンデーつき)、キッチン見学、カラオケ大会、
あの手この手でといった塩梅。
・・・そこにはたくさんの恥ずかしい思い出が。

 こういったことがあって、親の都合で大阪を離れ、福岡に来て、
最初の外食がウエストの焼肉、それからウエストのうどん、
ネギや天カス入れまくりが嬉しかったわけで。
ロイヤルホストのアメリカンステーキというビフテキに
チリコンカンが乗っかった奴もうまかった。

 そういう「物語」がこの場所にいたひとりひとりがそれぞれ持っていて、
板の上で起こっている物語と重なり合って、いろいろなものやことが
起こり始めていく瞬間を見てしまった。
そうして生まれた、ものすごいエネルギーが満ち満ちていた空間だったことは、
すべてが終わったあとの、万雷の拍手が証明していたのかもしれない。

 「オムレット国」がびっくりドンキーに思えたのは
演劇を始めた時、自分がびっくりドンキーの
セントラルキッチンで働き始めて、そこで学んだこと、
感じたことそのものがその場所にあったからだろう。
あのセントラルキッチンで学んだことが
今のわたしの生活と演劇という「道具」を支えている。

 元からのメンバーがいないのは
寂しいかもしれないが、それぞれが
それぞれの課題を携えていろんな場所でたたかっている、
当面はそれをじっと見守るしかない。

鹿児島演劇見本市(その二)

 さて、各演目ごとの話を始める、という本題に入ろうか。
今年も2演目ごとに区切って話をしよう。

アクターズファクトリー鹿児島


 去年、なかなかの出来を見せた「ワンダー3」のような
お話の続編で勝負をかける。
美味しくないどら焼き、家族なのに威嚇してる、
言葉は褒めているが、気持ちは褒めていない言葉、
微妙なセンスのお洋服。
それぞれの登場人物が突拍子な登場。

 お話の流れが「地獄を見たあの日から・・・。」という感じで
なんとか前回を受けたくすぐりは効いている。
この展開を受けて場所は砂漠、どうも見えない敵に追われているようだ。

 「疑心暗鬼が止まらない」空気はよく出ている。
ここにどこか頭のネジが一本どころか数本抜け落ちている
「マヌケぶり」というキャラクターが絡めばいい感じなのだが。

 ・・・うーん、どうも「小細工」というものに頼りすぎているなぁ。
演者のスケジュールの関係やなんだかんだ、というのはわかるねんけど。

 「見えない敵との戦い」→「天下御免の向こう見ず、生き残る」
→「新しい、見えない敵に怯える」→「家族と言う名のワンダー3、再結成」
→「それゆけ、ワンダー3」という全体的な流れなんやけど、
20分ではどうも密度はスカスカ、精度もかなり厳しい。

 というわけで、どういう物語だったか確認するために
本家の「ワンダー3」を改めて見返したいが、おやすみしている自分が。
・・・とすれば、一回「ワンダー3」から離れて、一昨年のような「ガーリーさ」を
全面的に押し出した短編の組み合わせ、というやり方もありだったのかなぁと。


劇団CLOVER


 海はよ~海はよ~、と村木和夫の「おやじの海」が聞こえてきそうだ。
「伝説のマグロ」を追っかけている漁師の男が奥さんの出産に立ち会う為、
ある産婦人科にやってきて、なんだかんだと。
まあ、漁師という「お仕事」は半端な感覚ではできないわけで。
そういうことがテニスの松岡修造を彷彿とさせるムーブマイムで
表現はできている。
 ここに、「望まれない妊娠」というものをしてしまった
若い女の人が絡んできて女の人の両親に「言い訳」をするお話が混ざり、
「演劇作品の中で、生活と言う名の演目を演じる」という「二重構造」を
仕掛けてみる趣。

 この仕掛けが、「女一人で子供を産んで育てる」ということの
「大変さ」というか今の時代と社会状況のきつさ、というものを
うまく表現できていて、「沢山の愛」というものの重たさが
じわり、じわりと伝わってくる。
だからこそ、生まれてくる子供はどういう形であれ、大切にせにゃならんのですよ。

 ・・・うーん、漁師の奥さんの「出産」が大須賀洋幸(名前、間違えたら申し訳ない)の
「それはエノキダ!」にある苗字、名前は忘れたが「テキトー夫婦」の
「あっお腹痛くなった、食べ過ぎかな」で病院に行ったら実は子供ができていて
臨月で即出産、というエピソードを彷彿とさせる。
ここに次公演の「もっとほめて」を絡めてうまくまとめたな、という感じ。
またしても「お客さんをぐっと掴んで放さない」をしているが、
その姿勢を強固にするための方策を考えないと、「競争相手」は多いぞ。

鹿児島演劇見本市(その一)

「ちゃんす」をください。


 金曜日からエグいくらいに大雨。
九州道、鹿児島県内の入り口、シラス台地に
大水が染みこんで通行止め、復旧めど立たず、ということ。
それでも新幹線は動いている。
あの地震の時といい、この大雨の時といい、時間通りに動いている。
というわけで、博多バスセンターでバスの切符を払い戻し、ATMでお金をおろし、
金券ショップで新幹線の切符を買い、飯も買わず、バタバタと来た
新幹線に乗る指定席券を追加で買うひまがないほど。
そうなると心がごちゃごちゃしてしまう、さざめいてしまう。
がだ、新幹線は早い、日の高いうちに鹿児島についてしまう。

 早く着くのはいいのだが、ごちゃった心が収まらない。
収め方を心得ないと「汚い人たち」に巻き込まれてえらいことになる。
そんな重たい感じを抱え、宿に入り、えらく少ないうなぎを食べ、
また呑んだくれて、おとなしく寝る。

 起きて、風呂に浸かって、飯食って、また巻き込まれて、
宿を出て、天文館から鴨池の市民ホールに出るのは
中央駅から行くのよりえらくしんどい。
どこに連れて行かれるのかわからない状態が強化されてしまう。

 それでも、窓の景色を見て、ぎりぎりのところで降りて、
遠回りだけどなんとか時間通りにたどり着いてしばし雑談。

 ここ数年、「ちゃんす」をください。てな感じで
この試みを見て、書いていたらすこしずつ芽が出てきた。
いや、去年の「みぞれ」がINDEPENDENT:FUKに出るんやもんな。
こういうふうに「ちゃんす」を生かしたところが現実的にあって、
なんとかなるかもしれない、と考えれば「挑戦者」は続々と集まる。

 というわけで、試み始まって以来最大の10本、
30分一本勝負が20分一本勝負という形になった。

 この「10分の差」がいろいろな意味で出来、不出来を
はっきりと見せるくらいの「恐ろしさ」というやつになっている。
そういえば、長久手の「劇王戦」は20分一本勝負だよな。
こういう「対バン系小演劇」の尺は30分ではなく、20分で
これが「演劇」の入り口、質が上がって30分、
盛り込めるようになって、45分から50分、ここまで来て
60分、やっと90分に挑戦できる力がついた。
ここを飛び越えて長い尺から挑戦するという道もあるのだが。

 というわけでこれから各演目ごとの話を始めよう。

万能グローブガラパゴスダイナモス 「ガラ博」(その六)

のぞみ捨てない、あきらめない。

 今日はお金の日、てなわけで珍しく始まる前に呑んだくれる。
新天町のプロントでまずは景気つけ、ぼーっとして唐人町。
商店街をウロウロして鳥のなんだかんだを仕入れて、
開場前ひと通り呑んでいつの間にか出来上がる。

 改めて、ほんとうにいいリハビリ。
なんて言うか、一つ一つの演目、というか
役者にファンがついていて、ほんとうに楽しい感じだ。


(元一組2回目)
 前説からの流れこみ。
あるカフェレストランの日常、特に「閉店作業」で起こる
なんだかんだを「どつき漫才」というかたちで表現している。
半ば飲酒運転じゃないか、これはから相当「遊んでいる」、というか。
遊んでいる中にも「何かに怯えている」様子や
それでいて冷静でいようとする感じ、そこに「盛り上げよう」というきもちが
妙なテンションで混ざっている。

 そういった一つの現場の外にもう一つの現場が
ストリーミング配信でやってきたのか、はたまた何かの悪戯なのか、
じわりじわりと飛び込んでくる。

 このふたつが独特の恐ろしさを作っていて、なんだか怖くなる。
・・・なんか、どこかで「亡霊」というやつが暴れだして大変なことになっている。
ラブホテルでの様子を「声や音で見せる」ところはブレアウィッチのような処理の仕方。

 ここにコンテンポラリーダンスで「身体言語」を引っ張りだす技法を
うまく使って、前説、椎木さんがウィスキーの瓶を持ってなんだかんだしてから
本編になだれ込む「伏線」を活かすように収めにかかる。

 より一層「近親相姦」のえげつなさと狂気がそこにあって、
その「深い愛」に嫉妬したのか何なのかわからないが、
男が「近親相姦」の現場に踏み込んで「殺し」に行ってきた。
こんな「鬼気迫る」感じが行くところまで行ったあとの虚しさ、
虚しさを不思議なダンスで纏めあげて、なんとも言えない空気になる。


(とーい組)
 ・・・おっぱいがいっぱい。
一人の男を好きになってしまった複数の女の子。
彼女たちには「共通の悩み」というやつがあった。
「貧乳」、好きになってしまった男の子はどうやら
「おっぱい星人」だった模様。
・・・だとしたら「最低条件」である「おっぱいがある」に
至るまでは「共同戦線」というやつを張ろう、
そうなってから「競争」というやつを始めよう。

 おっぱいを手軽に大きくするには「シリコーン」やら
「生理食塩水パック」を手術で入れる、というのが一番なのだが、
高校生には後々の事を考えてもお金がかかりすぎる。

 そうなったらとにかく食べて、運動するしかない。
胸にはなにがいい、まずはタンパク質、そしてキャベツ。
もう少しお金があれば脂分をカットして、効率良く作れるのかも
しれないが、持てるギリギリのところで努力をする。
この「諦めたくない」という「熱」がすごい。
ググッ、ググッ、今に見てろ、ググッ、ググッ、底力てな感じ。

ひとつひとつのムーブやマイムに雑なところはあるけれど、
シンプルなところが柿喰う客より一層過激でたまらない。
おまけに若者の汗まみれを見て、忘れていたものを取り戻した、というか。
プロフィール

itumo25254you

Author:itumo25254you
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