Wet Blanket 『椿♥姫』

「古典」と「現代」の芸能がええ感じで混ざっている。

 ああ、オペラというものに行ってみたいやね。
というか、ぴあという雑誌を通して「メトロポリタン歌劇場引越公演」というものを知り、
その料金の高さにおののき、アサヒビールのコマーシャルでプラシド・ドミンゴを知り、
トゥーランドットという演目で本火を使うことのややこしさを知り、と次に繋がることだらけ。

 で、こういう形で演劇に関わり、ミラノスカラ座やら、いろんな所の引越がやって来ることを知り、
チケット代は3万円どころか、4万円、下手すると5万円なんていう「一体どこの世界なのだ?」という
状況になり、「新国立劇場」という国内オペラの常打ハコができたり、いろいろあって。
こうして若いものがオペラという「古典」が良い感じで触れられるような仕組みができてきたわけで。
 そんな思い出といま、ここで起こってることを思い出し、そこに横たわるいろんなことが湧き出したのが
さらに加わり、考察がより一層深くなってしまうではないか。

 そんなことをつらつらと考えながら、客入れ音を聞いているとプッチーニやヴェルディのオペラは
ストリングス(バイオリンとかチェロという弦楽器陣)がものすごくキラキラとした
音を出していながらも全体的な感じはまろやかな曲線美なんだよな、と感じる。

 本編にはいるとまあ、驚いた。
「恋愛」、というものの本質がいい塩梅で表現できているよ。

 人間、否、動物は孤独であることが難しい生き物であるわけで、
「恋愛」という「孤独を埋める作業」というやつが必要になってくる。
がだ、「恋愛の手段、目的、方法」というものを人は自らの責任で選べるから厄介だ。

 その厄介さを「アイドル」という「偶像」に恋してしまった男と
「アイドル」という「偶像」にたまたまなってしまった女で
「擬似恋愛」という手段から「マジの恋愛」にまで至るところを表現したのが
「椿姫」という演目だったのか、という発見。

 そう考えてみたらいまのAKBやら何やらとか、エイベックス系とか、
アニメ萌え系とか、ももクロを始めとした地下系、その他もろもろの
「アイドル」というものは姿形を変えてどの時代にも存在していた。
その存在は大昔、とてもとても「お上品」だった。
というか社会そのものがお上品だったことが感覚として入ってくる。

 時代がお上品でも、お下品でも「芸能」という世界に身をおいている人間は
「愛される」ということが主な仕事なのかもしれない。
その「手段」として、歌があり、お芝居を始めとした「演技」というものがあり、
「踊り」というものをよりよくする、あと自分の体をより良く美しく、というやり方もある。

 そうすることでそれぞれがそれぞれの「埋められないもの」を埋めていくのだな。
この「埋めていく」作業で他者との争いがあり、欲求を満たせてるうちはいいのだが
だんだんと満たされることが難しくなる、そうなると追い詰められ、空虚さを知り、
光から突然影となって、迷いさまよった挙句に心も体もボロボロになってから
「本当の愛」を知ったが、時すでに遅し。

 誰のものでもあるし、誰のものでもない。
だからこそ、自分で自分を保つために何かを成していくのかもしれない。
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劇団ぎゃ。 「真夜中のチョコレート」

人生の深みにはまってしまった、さらなる深みを見てしまった。


 今回のアートワークス、「ガーナの板チョコレート」ですか。
客入れ音、よくよく聞いてみると・・・あれっ?
・・・これ陳小春の「情瘤感菌」じゃねーか。
小春のオリジナルか、と思ったが、実は本歌がきちんとあって、
その歌はシャンソンだったのか、という意外なところからくすぐりをかけてくる。
さらに前説、ぎゃ。のオリジナルメンバーが原点であるところの
博多女子高校時の制服を着て、というかその当時を彷彿とさせる格好で
「エンターテイメント」をぶちかまして本編に入る。

 それにしては、いままでのぎゃ。らしくない入り方だ。
なんていうか、「運送業」というある意味「ブラック」な企業の
日常生活ってやっぱり、というか、かなりえげつないところを見せつつ、
じわりじわりと「異常なるもの」という波が足元からひたひた来ている。
 気がつけば、「ダルマ落とし」の一番上のところに座らされていて
「物語」というハンマーで一番下の段を一段ずつ「撃ちぬかれた」感じを味わうことになる。
てか、さんざん笑っていたら思わぬところから「深遠なるもの」を見せつけられた。

 「依存する」とは一体何なんだ?
というか、人はどうして「依存する」ことを安易に選択するのだ?
・・・もしかしたら、人間が十全に機能できる数は奇数ではなく、偶数なのかも。
人間が奇数で存在する時、そこにある「隙間」に「もの」や「出来事」が挟まると
「依存する」という行為が発生し、「ひと」が挟まると「共依存」という行為に化けるのだろう。

 よい精神状態で関われば、よい形で「依存」できるだろうが、
こういうふうにあまり良くない環境、精神状態で挟まってしまったから
体がチョコレートのように溶けてしまうのかもしれない。

 「リアル」な世界と「リアルじゃない」世界、というかリアルか、そうじゃないかが
わからなくなっていることが強い半面、切なくもある。

それぞれ異なった特性を持つ客演勢の「適材適所」の使い方や、エンタメで押し切るところを
あえて、「身体言語」の要素を取り入れて「からだに喋らせる」技法を使ってみたり、
さらにはこの後に続く「演劇大学・福岡」で自分の知るところより以前のぎゃ。を
これまた「身体言語」を使う白玉女史と組んで再編成してみたり、
「新しいぎゃ。」はこうするんだ、という方向性と強い意思をみせてもらった。 



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