男肉 du soleil 「石田剛太のスペースコブラ」

これが「すずなり」というのか。

 チケットぴあに座席を「卸した」段階ではぽんプラザ60人ポジション。
このポジションで「最前列」を「男肉飛び散る席」という「参加席」、
「最後部」を「絶対安全席」といういわゆる「スカウティング席」、
あと残りは状況によっては・・・という塩梅で色分けをした。

 で、ガラパのただが「特別出演」、おまけに流行に敏感な若いもんが
どこからかわらわらと集まりすぎていつの間にかぽんプラザ108人ポジションまで
「増席」しているよ、という訳で当日受付で座席の交換、という事態に。

 座席に入ると、最後部のみだった「絶対安全席」というところが
さらに数列分広がっている、そんなことを感じていると、珍しくこやなぎさんをみた。
・・・なんか、お腹まわりが大変なことになっているぞ、もしかして、もしかしたら。
その後聞いた色々なお話から、彼女のプロフェッショナルさ、
ということを強く感じた次第。

「妊娠」の一番大変な時期にラジオやテレビの不規則すぎる時間帯、
身体ものすごくしんどいだろうにそういうのを表にも出さず「伝えている」。

 そういう人たちと「気にして、気にしない」関係を作れていることは
わたしにとってものすごく幸せなことなのかもしれない。

 気がつけばぽんプラザホールであまり開放しない、と言うかできない
一番上、コントロール前の立ち見スペースまでお客さんがぎっちり入っている。

 中洲にあるどこの店のキャバクラ嬢なのか、という女の子から
いわゆる「演劇マニア」、さらにはクラブ系の空気を持った人、
おまけに外国人の方々まで客席に「投げ込まれて」、おまけに携帯電話の使用、
写真撮影までも可能ときやがる。
これがトランスで、これがクラブの文脈でやる演劇というのか。

 前説からクラブ風味全開。
有り体に言えば「シモネタ」、過激に言えば「セックス」でまとめた
ヒップホップミュージック、人は何でも「やる気になれば」できるものだな、
いろいろな意味で、ということを感じつつ空気を温め、浦和レッズ名物
試合開始前のウォーリアという「発声練習」をぶちかまし、
激ノリ、激アツの状態で本編に入る。

 お話のベースは寺沢武一の「コブラ」という退廃感あふれる
スペースファンタジー、しかも日本初の全編CGで作られた漫画を使っている。
ここにクラブの「コールアンドレスポンス」が効いて、空間全体がトランス状態。
完全に脳みそがとろとろになって、キャバクラの何とも言えない状態で
「女王様スイッチ」がきっちり入ったタダがそこに「いる」と
物語がとんでもないことになる。

 タダの持ち味は「甘さのある美しさ」なのだが、隠しアイテムで持っている
「女王様スイッチ」を全開にすると(以下略。

 クラブの空気によって見落としがちだが、身体言語の塩梅もよい。
あとは、一日2時間、バレエのバーレッスンをきちんとやればもっと良くなる。 

 こりゃすげぇわ。
新しいエンターテインメントとはこのことか。
そうだとしたら、全席指定制でおとなしく椅子に座ってみるもんじゃない。
オールスタンディングでぎゅうぎゅう詰めになりながらお酒を軽く入れながら、
人によっては「脱法ドラッグ」やら(良い子は真似しないように。
そういうふうにして心と体をゆるゆるにして物語と空気が生み出す
「不思議なリズム」にたゆたうことが楽しみ方なのかもしれない。

 もしくは中洲にある旧福岡東映のキャバクラ「バロン」で
Wet Blanketの「たすけて青春ピンチヒッター」と代わりばんこで
ショーをぶちかましたほうがもっと楽しいかもしれない。
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Wet Blanket 「たすけて青春ピンチヒッター2」

多種多様、おまけに多彩なメロディ・ライン。

それにしても、今年の演劇大学に行けなかったことが
結構なダメージになっていたようだ。
最初の演出家トークと交流会に参加する、という方向性が
結果、変な違和感、というものを抱えてしまっている。
全日程通して沢山の人と「出して、受けて」というものをやらないと
「わたし」というものが良きにせよ、悪しきにせよ、でけへんな。

そんなイライラ、というか、やりきれなさを抱えながら
久しぶりにぽんプラザホールへ向かう。

 ハコのなかに入ると空間のつくりがいつものWBと違う。
強いて言えばギンギラ太陽の作り、これだったらぽんプラザホールの
座席の組み方ではうまくいかないな、一度平土間にして椅子おかないと
マイシロを十分確保して安全に出来ないよな。

 客入れ音も一捻り効いてやがる。
特に曲順、追えば追うほど、物語を見て感じれば感じるほど
「このタイミングで、この客入れ音を使ったのか」と
分かる人には分かる作りにしているよ。

 そんなことを考えているといつか見たアフロなんとかの「ライカンスロープ」を
彷彿とさせる導入部、陰陽師の力を使い、災いを封じて「
ひとつをふたつ」にする物語のち現代の高校へと空気が変わる。
今の若者はすごいなぁ、修学旅行出発前にも朝練で一汗だもんな。

 そんなさわやかな空気を揺り動かすかのように
悪の工作員が女子の着ているものを狙う。
これを見てやいやいやいと正義の味方登場。
 この感じ、「永井豪とダイナミックプロ」風味じゃないか。
工作員の「変態さん」具合や、ピンチヒッターの変身具合、戻り具合までも。
隠し味は「昭和アホ草紙あかぬけ一番!」だよ、驚いた。

修学旅行につきもののアウェイ感(いい意味での)がもたらす恋愛模様があり、
ここに「文化侵略」という世相をそれなりに反映したネタが挟まって、
ある意味、今の社会そのものをライトに風刺しているところに
石森章太郎、八手三郎のヒーロー・スーパー戦隊が物語の肝になっている。
・・・しかもすごいところは「秘密戦隊ゴレンジャー」と「ジャッカー電撃隊」という
初期のスーパー戦隊ものは使わず、「バトルフィーバーJ」と「デンジマン」、
「太陽戦隊サンバルカン」から昭和終わりまでのやつはすっ飛ばし、
平成のスーパー戦隊シリーズの要素はフルコンプリート。

 巨大化して、ロボットが出てきてロボットが変身して、合体して、
さらには複数体ロボットが出てきて、中盤以降にプレミアムキャラを投入して、
複数体ロボットやマシンを合体させて・・・となんかえげつないことになっている。

こういうお金がかかりそうなえげつなさを若者らしくチープに
歌って踊って、アクションして、駆けずり回って、
少し物足りないがお色気も、シモネタも、まあとにかく何でもありだ。
ついでに「まつりのあとの寂しさ」までもきちんと織り込んでいる。

 おまけに最後のボスキャラが「やられる」ところは
浦沢直樹の「プルートゥ」という「鉄腕アトム」をオマージュした
漫画の一番最後の最後を意識した作りじゃないか。

 いろいろな意味で工夫あふれるエンターテインメントだよ。

 そういえば、劇団ぎゃ。は親富孝通りの「あんみつ姫」というところで
エンターテインメントを「鍛えた」事があった。
今度はWet Blanketが中洲の旧福岡東映の場所にあるキャバクラ「バロン」の
ステージを使って、この「たすけて青春ピンチヒッター」シリーズを
「大人向け」に再編成してエンターテインメントを
「鍛える」時がやってきたかもしれない。

iaku 「流れんな」

「善人と悪人は紙一重」。

  いろいろとつき刺さるわ。
てか、最近色々なことで「こじらせて」いる、とはこのことか。
家の中での出来事、ハンバーグ工場、演劇の仕事、すぐれない天気、
うまく物事が回らなくて、結果ストレスが溜まって「こじれて」しまっている。

 うーん、春木か、こないだ行ってきたサキトサンズ、
場所が春木の隣和泉大宮駅すぐだったとは。
もう少し早めに出て、函館記念を岸和田場外で打てばよかったかな。
さらには小松島記念に突っ込むのは、と思ったが自分としての
勝負レースを見つけたので「調整」という形で突っ込んでしまう。
・・・で、それが結果オーライで来てしまうからシャレにならない。
そんな話をドアが開く前しばし雑談する。

 ほんとうに良く出来た空間のつくりだ。
やけに風情のある居酒屋兼大衆食堂の趣。
見て、空気を感じた瞬間、「懐かしさ」と「切なさ」というものを
ググっと感じてしまう。

 ・・・雨か、加えて木造、漆喰の感じが匂いからしてよく出来ている。

 そういう空気を感じて、冒頭部に入るからえげつなさが数割増しだよ。
働き詰めに詰めた母親がトイレで一休み、けれども和式だと
踏ん張らなければいけない。
ふっと踏ん張っちゃったら脳梗塞か心臓発作でそのまま天国へ。
そういう様子を見せられるとかなりしんどいわな。

 それから時間が進んで、世の中は大変なことになったらしい。
どれくらい大変か、というとリアルで言えば諫早湾干拓事業の
問題で有明海が瀕死でたいらぎ貝の潜水漁ができなくなった
ことに加えて、水俣病のような工場からの汚染物質が流れ込んできた。

 こういうことがあると、海で生きてきた人々も身の振り方を
考えてしまいたくなる、というか考えなくてはいけない。

 さらには人の記憶、というものを「可視化する」という
ある意味「神の領域」に棹をさすような研究をする人がやってきて
今まで記憶の「鍵をかけていた」領域に土足で踏み込もうとしている。

 ここに生と死のことや、男と女の不思議な縁が絡みに絡んで
板の上で起こっているすべてがやばすぎる。
このやばさをリアルに伝えているからもっとやばい。

 このやばさが人は「善人」と「悪人」の間を揺れながら生きている
ということがそれとなく表現出来ている。
さらにはその「善人」と「悪人」の間でゆれてひねくれてしまいがちだ、
ということまで見えてしまう。

 ほんと、人間って斯様に難しい。

演劇集団非常口 「四畳半の翅音」@福岡

サバイバー。

 まどかぴあリーディング公演、鹿児島リーディング公演、
伊佐での実演初演、福岡公演とひと通り見て、感じたことをベースにして
まとめようとしたが、どうもしっくりこない。

 わたしたちの目には見えにくい「仄暗い差別」というものを
「演劇」というやり方で形にして「可視化する」とこうなるのか。
「可視化する」と世の中で起こった出来事の全ては
繋がっている、繋がっていた事がよく分かる。

 こうしたことを感じれば感じるほどツイッター上にある様々なツイートや
フェイスブックで時々見られるへんてこりんなことばに対する
違和感が日に日に強くなる。
なんというか、そのままで受け取れば、「心の栄養になるいい言葉」なのだが、
発している人の「人格」というか、よくわからないものによって
「皆を傷つける、有害なことば」に変わってしまっていることを悲しく思うのです。

 もしかしたらこのことが「しっくりこなさ」の理由だったのかもしれない。

 そんなことを考えていると本編が始まる。

 今までと変わったところは「物語」の距離感。
「収容所」と「カステラ工場」が日ノ丸荘の近くにあった「感覚」だったのが、
伊佐公演の後に「送迎のマイクロバス」が出ている距離感に直されていた。
この塩梅が「事態の深刻さ」というものをより一層表現できている。

 物語の土台は数年前の口蹄疫にまつわる諸々なのだが、
それからあとに起こった東北大震災、福島の原子力発電所爆発、
さらには広島、長崎の原子力爆弾、満州・朝鮮・沖縄・中南米移民、白虎隊、
そして水俣病とハンセン病、さらにはえたとひにん、
さらに広げたらイラン、イラクの化学兵器使用、中東問題、
アパルトヘイト、そしてアウシュビッツのホロコースト。

 人間の内面にまで落としこむと生まれ育ちの問題、
さらには異性を愛しているのか、同性を愛しているのか、
お金を信じているのか、お金じゃないものを信じているのか、
そして、どう生きていたいのか、どうしたいのか。

  自分の意志で「生きたい」と思えばどんなことだってやる。
逆に自分の意志で「死にたい」と思えばそうなってしまう。
「なるようにしかならない」とはいうが、過度な危機感による臆病からくる
「生きていかなくてはいけない」と「すべてはなるようにしかならない」と
ある種の覚悟からくる「生きていかなくては!」の言葉の強さ、
感覚の違いが「生き延びる」と「生き延びさせられる」の差になる。
ああ、これがアリー・セリンジャーとセルジオ越後の違いだったのか。

 ここのところをきちんと分けて考えていたから一方は結果を出し、
分けて考えることが出来なかった方は結果を出せず、
その恨みつらみを鬱屈としたことばにして吐き出している。

 けれども、「生き延びさせられる」人間には「生き延びた」人間のことばは
あまりにもリアルで、刺激が強く、心の奥底へなかなか辿り着かない。
その鬱屈、という共通点はあるけれど。
 
 これらはすべて、「わたし」と「他者」、
そして「異者」との「関係性」の物語だったのかもしれない。
「わたし」と「他者」、そして「わたし」と「異者」の
関係とは一体どこが違うのだろう?
そんなことに対して考察を深めていたら、ひとつの結論に辿り着いた。

 「わたし」は「わたし以外の存在」に対して
少しでも「共通」というか「分かり合えるところ」があれば、
その存在は「他者」であって「分かり合えるところ」が全くないのは
「異者」ということなのかもしれない。
そして、わたしは「他者」というものを必要として、「異者」というものを
努めて排除しようと考えていることを「思い知らなければ」ならないのだろう。

 このことが脳裏にちらついてくると
この「四畳半」の空間が極めてソフトな「収容所」に見えてきて、
その感覚が街から都市、都市から県、県から国、
国から世界と同じ問題がどんどん膨らんでいく。
さらには「胸糸病」というものが「放射能」や「生物・化学兵器」と同じように
「異者」を排除するために用いられた手段なのではなかろうか、と戦慄さえ覚える。

 「異者」として排除されないために、何をすればいいのだろう?
「他者」と「異者」の選別をする存在の考え方を理解する、
そのために「教育」というものはあるのかもしれない。
しかし、そういうふうに見ると「わたし以外の存在」によって
「生き延びさせられる」ということになり、
生殺与奪権をその存在に握られてしまうことになる。

 そうならないために、わたしの中にある全ての知恵を使い
必死で「生き延びる」とこんなにわたしが「強く」なり、
この強さを持てば持つほど「生きて」いかなければならないのだ。

 この事実を感じれば感じるほど、
東日本大震災でうんざりするくらい唱えられた
「絆」という言葉が紙よりも軽く、薄っぺらい言葉に聞こえてしまう。
そんな言葉では論じることのできない、
「繋がり」と「縁」に「呼ばれる」様が凄く出てきていて、
それでもこの「繋がり」と「縁」というものが息苦しく
吐き気がするほど懐かしく、忌々しい。

 そして、自分の意志で「生き延びる」ことを選んだがゆえにあるものは死を選び、
またあるものはカステラ工場という「火葬場」、もしくは収容所自体に火を放ち、
押入れの壁をぶち破ってすべてを掘り出し、懐かしく、忌々しい「繋がり」と「縁」を
一度断ち切り、新しい「生きる・生き延びる」を手に入れようとした。

 その様はあまりにもリアルで、残酷だ、けれどもどこか美しい。

iaku 「人の気も知らないで」

「責任」とはなんぞや?

 心が折れるくらいの大雨をすり抜け、日田から福岡空港、
桃だから早めに着いて、チェックインと保安検査をしなければ
飛行機に乗ることができない、ゆえに博多阪急で飯を買うことも
保安検査前のレストランでめしを食うことも諦め、時間を削るように
たどり着いたはいいものの、「到着遅れのため30分延び」だとよ。

 保安検査を抜けたところの売店、第一ターミナルにはいいものがなく、
蒸しパンと水で何とかお腹の空き具合をごまかすが、待つのは長い。

 ようやらやっと飛行機に乗ることが出来て、外国人機長の
へんてこりんなノリにやられつつ、安定飛行から乱気流に巻き込まれ、
安定飛行に戻るも、もうすぐ着陸態勢に入る僅かな隙間に
よく温めたかつサンドをサーブする桃の客室乗務員に感心しながら
かつサンドを食べるともう関空。

 クタクタのだしがらになってラピートのレギュラーシートに
身体を預けるとなんば、それから地下鉄で梅田。
今回は通路の選択がよく、ストレスなく東通り近くにたどり着き、
宿に入る、風呂に入り、タイガースを見ながら飲んで、書いていると気を失う。

 気がつくともう朝だった。
また体をほぐし、温まって、飯を食い、宿を出てハコを探す。
探しきったら、大きいほうが出てきてさあ大変。
トイレのできる場所を探して、ある喫茶店に入り、出してから
コーヒー飲みつつまた書いている。
場所に慣れてなんぼか話をするとこれまた面白い。
この面白さを抱えながらハコに戻り、かさはらさんと
「四畳半の翅音」を大阪でやれたら面白い、というパスを出していると
もうお席への案内時間だ。

 それにしても色々と「凝った」表演空間だ。
「オシャレなカフェ」で起こりそうな、
あるいは起こっている「出来事」を
そのまま「演劇」にして、そのままの場所で見せる趣。
・・・福岡で言うたらソネス系のアレか。

 客層も老若男女程よく混ざっているし、いい空気が満ちている。
それにしてもお昼時、リアルに料理をつくる匂いがするとなぁ。
気持よくなってとろとろと眠りそうになる、開演前なのに。

 逃げ場がなくなって、演者が普通の生活感抱えて入ってくると
いつの間にか物語に吸い込まれる。

 シティリビングとか、ぱどとかの
ああいう「広告」を作っているところで
働いている女の人三人が結婚式の余興について、
打ち合わせを始めるところから物語は始まる。

物語の流れを感じれば感じるほど、
ある意味戦慄感、ライトに言えば「サブイボ立った」。

 ひとつひとつの「失う」という作用がドミノ倒しになって襲い掛かるさまが
「欠けること」や「失うこと」は心が痛むくらいかなりやばいことなのだな。
そして、わたしがひどく疲れていた頃「右足を失う感覚」の夢をよく見ていた、
その夢はなんというか、「根こそぎ持っていかれる」、そんな感じだった。
そういったものが脳みそに残っているから「そこにいない」女の子が
お花見の帰り、飲んだくれて自転車に乗って事故に巻き込まれて
右手を「根こそぎ」持っていかれることが脳みその中でリアルに蘇る。

 そうやって根こそぎ持って行かれて、
体の一部を「欠けて」、あるいは「失って」しまっても
わたしは生きていかなくちゃいけない。
他者が「縋る」ことを許してくれるのであれば縋りたい。
まあ、「ありがとう」の思いだったのかもしれない。

 そういう「人の気も知らない」で「責任」というものを論じてしまうと
「責を任ずる(シェアする?)」ではなく、ヘタすると
「他人を責める」事になってやいないかい。
シェアする「責任」だったらそれはそれでいいのだが、
いろんな問題もあるだろうて。

 そういう咬み合わない議論をするときに、
乳がんでおっぱい取っちゃった、という話をさらりとやられたら
「一度でも体の一部を欠いてしまえばあらゆる喪失の出来事は些細なこと」
としてシビアになってしまうのかなぁ。
恋人を失ったり、そばにいる人が突然いなくなったり、
仕事の休みがなくなって働き詰めになったり、
そんなことどうでもいい、になってしまうのか。

 うーん、女の子はかなり過酷な人生を生きているのかも。

 戯曲と、演出、そして演者の技量という
「三位一体」の密度と精度が際立って良い。
故に、ものすごく引き寄せられる物語だった。

 それにしても、雷と大雨の音があまりにもリアルで、
これから四国直島に向かうというのに、心配だ。

南無サンダー 「闇鍋ダイブ」

地獄の沙汰もなんとやら。

 やっと見に行けた。
第一遭遇はマニ先が扇貝である、と思い込んで行ってみたら何だこりゃと。
扇貝の入口近くで調べてみたらマニ先はかんとうかんである、博多埠頭から
しこしこと唐人町まで歩いて、時間までに間に合ったからよかったものの。

 それからしばらくしてきららのミキティが「ここ、恐ろしくいい」やら
T親分が「すげぇ」なんていうからあの時マニ先キャンセルしてでも
行ったほうが良かったかな、と思うことしばし。

 で、今回どこからか「公演あるよ」とネタが回ってきた。
こういうもろもろの経緯があったので、ネタ元に対してパスを出すも
「何が何やら」という返ししか来ず、「まあ、このカンパニーとは縁がない」と
流れに任せていたら、あら驚き、信じられないところからパスが来た。
・・・是非に、と言われたら行くしかないだろ、と気がつけば手配している。

 表演空間、ものすごく安上がりにできているけれど、恐ろしく手が込んでいる。
そして、花札で最初の結界を作っているのを見て絵柄の月について考える。

 そんなことを考えているといつの間にか物語に飲み込まれる。
・・・「本水」使われたらまじでヤバイ。

 あとは「仁義無き戦い」と「極道の妻たち」、「北斗の拳」、「聖闘士星矢」、
それぞれのお話を徹底的に混ぜあわせてなんともいえない熱量を持った
ストーリーラインに、「フカヒレ」を取るためにサメを生け捕りして、
ヒレ「だけ切り取って」生きたまま海に返す、というお話から、
お盆まで全く雨がふらず、大変猛暑だったところから広げて
地球上のほぼすべての水がなくなった、
さあどうする、という「近頃色んな所で狂っている」世相を
きちんとスパイスとして効かせている。
うん、「めんたいロック」を「演劇」の文脈でやるとこうなるのか。

 「博多水族館」はあれ、「海がない」=「海が干上がった」ということで
「京都水族館」を連想させる、とスカウティングレポートを
書いている途中にふと思い出す。

 どういうふうに「人生」を「選ぶか」、なんだよな。
「自ら考える」なんてことを世の中は言ってるけれど、
それってどうなんやろか?
「本当に」自分で「考えたら」色々不都合があって排除するくせに。
都合のいい「自ら考える」なんてことはなんだかな。

 なんていうか、自ら考えて「人生を選ぶ」とこんなに一本筋が通っているんだ。
かっこわるく見えるが、実はそれが一番かっこいいのだ。
筋が通っているからどんなに本水を客席にかぶっても許せる。
きちんと開演前ケアしているし。
むしろ山笠の「勢い水」のような感じで「もっと景気よくやれ」と
ビニール持って、踏みながら思う。

 そう思いながらも「やっぱり、無念を背負って生き続けるのだな」とか、
「世の中がひっくり返ってもわたしはわたしを生き続けなければいけない」とか、
自分の中で思っていたことを再び反芻している。

 どう変化して、どう生きたいのか、「新しい自分」をどうなじませるか。

ブルーエゴナク 「サヴァリーナトロメイド」

性と死を覗き、見た。

 なんていうか、北九州市小倉北区紺屋町の空気だよ。
福岡市博多区中洲、と違うところは薄皮一枚で「堅気の人間」が
生活していく空間が、あるということ。
このカンパニーのホームグラウンドがちょうどここにあって、
初めて見学した時、と言うかこの場所に行った時、
ハコのドアが開くまでひたすら街の空気を感じていたからよくわかる。

 「歓楽街」の甘く、退廃的な空気と生活していく空気が
絶妙な感じで混ざっていて、おまけに風、というか、空気の通りがいい。
そういう「流れ」というものがぽんプラザホールにできていた。

 ここに普通の「女の子」が二人存在していて
空間に入っていく見手と細かくコミュニケーションを取っていく。
入り口には綺麗に着飾ったおねえさんがこれまた細かくコミュニケーション。
キャバクラ的雰囲気を感じさせて、足を踏み入れたらここには
最先端、最先鋭の「身体芸術」が行われそう、もしくは行われる空気になっている。

 というか、こないだあった北芸プロデュース公演
「LAND→SCAPE/海を眺望→街を展望」を
おもいっきり意識した表演空間やなぁ、
「時の流れ」と「人の流れ」を見せる、という点で。

 こんなことを考え、客音に感心していると、
入り口にいた綺麗なお姉さんが表演空間に
ドサリ、ドサリと無造作に「投げ込まれて」物語が始まる。
というか、「お花のように」きれいな女の子、というか
「お花のように綺麗に飾られた」女の子って確かにいるんだな。

 キャバクラとか、風俗、という世界は正直複雑。
「嘘」と「ホント」、「生」と「死」、「正直」と「魑魅魍魎」、
「利口」と「馬鹿」、とにかく対照をなすものが背中合わせにくっついて、
そして激しく混ざっている。

 こんな世界で「働いて、生きている」女の子は「華やかさ」という「明」と
男の子には想像の付かない「おどろおどろしいなにか」という
「暗」というか「暗黒」の間にある「グレーゾーン」のところで
「わたし」を保ちながら生きている。

 信じられないくらいの大金を稼ぐ代償なのかもしれないが。
「華やかさ」というものの裏にある「暗黒」を男の子は果たして知っているのか?
知っていたとしてもその暗黒を「受け止めて」、「恋愛」までに成長できるのか?

 そういうことが出来ないことがわかっているから、
暗黒をうっかり見て、感じて、あまりにも恐ろしすぎたので
そういった女の子、というか世の中のすべての女の子に対して
「二股」、「三股」と「浮気」という形で「いじめて」しまうのかもしれない。

 そういうことで女の子は苦しんで、疑心暗鬼が止まらなくて、
自らで自らを痛めつけ、周りに迷惑をかけて、居場所をなくしてしまう。

 まあ、楽しくやるのはいいけれど、そこで生まれた「苦しみ」まで
背負う覚悟がなければまずいよな、という見後感。

 紺屋町、中洲と来て、今度は大阪宗右衛門町にある
「ウィングフィールド」で公演をやったらどう見えて、どう化けるのかな?

ノコリジルモ 「プラネッタ/コスモシャウト」

これが「完成形」だったのか。

 彼女たちは演劇をして、人様に見せることで
ある意味、変化に変化を重ねてひとつところに収まらなくなってきた。
この演劇を通して感じて、学んできたことを携えて
別々、というかそれぞれの道を歩き始めたことが前作から見えてきた。

もし、そうだとしたら、「次の段階」に向かうための「発展的解散」とも取れる。
おまけに客演の活かし方が抜群なものだから、演劇を通して
「いい出会い」を重ね、いい感じで「おとなになった」なと。

 くまがいはどこぞのスタバで働いているようだし、
ふたばはふたばでどこぞの高校で先生している。
まあ、色々大変だがくまがいもふたばも演劇やめるな。

 「プラネッタ」

 そんなことはさておいて、「宇宙」のお話なのに、
表演空間はキャンプ場とはこれ如何に。
ものすごく森森森としているのですが、おまけに「宴の前」なのか
「宴の後」なのか、さらには街音としての「天理教の御詠歌」と
客入れ音としてのスピリチュアル系な音が混ざり合ってなんとも言えない。

 ここに「乙女心」という「悪意」と和洋取り混ぜたホラー、
さらには、謎の存在が見方によっては「お馬鹿」に見える感じで登場。
「宇宙人」との初めての遭遇、というものは案外こういうものかもしれない。

 わたしたち人間は地球を食い尽くさないように
バランスよく食べる「雑食」という術、「断食」という術を見つけて実行した。
そして、「病」という防衛手段を装備している。
宇宙人はそういう概念がないらしく、かたっぱしから自分の性質にあった
食物を食べつくし、次から次へと星を渡り歩く。
争いは好まないけれど、欲望に歯止めをかけられないがゆえに
自分の居場所を自分で壊してしまう。

 そういうことがなんか厭だ、と感じた存在が地球人に種をつけて
子供を産んで、育てた、その女の子・・・なんかかぐや姫テイストだな。
現代のかぐや姫はベジタリアンなのか、面白い。

「コスモシャウト」

 マジで怖い。
「秘密は秘密ではない」と謎をかけられると何故かたまらない。
秘密にしたければ、押し黙って、なにもしないほうが賢明かもしれない。
歩くなり、働くなりをしていれば、その「動くからだ」が言葉を発し、
これまた秘密が秘密でなくなる。

 もしかしたら「秘密」というものは「静寂」そのものなのかもしれない。
「静寂」とは、私の心にしかない音を聞く、ということからしても。

秘密をめぐる謎解きが恋の謎解き、そして愛の謎解き、
さらには「天地創造」の謎解きにまで変化する、それも何気なく。
まさしく、恐ろしく哲学的で、高度な禅問答とはこのことか。

 ただしいも、わるいも、うそもほんともなんにもないのだ。
そんなものぜんぶまぜて、「なんでもあり」にしてしまえ。

こういう一捻りあるものをさらっとシンプルに見せていることが正直すごい。
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