飛ぶ劇場 「大砲の家族」

重厚すぎる緊張感。

伊丹十三がもし生きていたら今の社会「対立」を
このような形で表現したかもしれない。

 どうして人は「生きる」のだろう、そしてどうして人は「死ぬ」のだろう。
さらには、「生きる」と「死ぬ」の境界線は一体どこにあるのだろう。

 最近、「我」と「他」そして「異」の関係をよく考えている。
「我」と「共通」というか「思い」や「考え」が重なることができれば
「他者」、「思い」や「考え」が噛み合わなかったら「異者」という
「線引き」をするようにはしているが、その先にあるもの、
することがわからずにいる。

 その流れで演出家協会から「ドイツ演劇特集」という企画で
ブレーンストーミングがある、と連絡をもらい、何をどうするかわからないが
とりあえず出ます、と連絡するが「未経験はついていけないかも」という
お話があり、だとしたら聴講でいいや、と方向性を決めたが、
本申し込みの段階で参加しても大丈夫ですとか言われて
演出家協会サイドとのやりとりの中で聴講からいつの間にか参加に。

 ・・・これがまあ、かなり刺激的で、今後につながる事が多かった。

ハンバーグ工場の仕事が終わった足でブレーンストーミングの
会場に向かい、そこの時点までに考えついたことなどを簡単にまとめて
雑談をし、本題にはいる、自分の考えついた以上のものを要求されるから
さらに即興的に考えるしかない、終われば軽く飲んで終電ギリギリで家に帰る。

 こんなことが火曜日から金曜日まで続き、
このヘロヘロ感を引っ張って久しぶりの北芸へ向かう。

  ハコの中に入るなり言い様のない「重さ」というものを感じる。
自分が幼い頃、大阪に住んでいた時、特に午前中の「心斎橋だより」という
テレビ番組が終わったあとに感じたあの空気感だ。

 ドアが開くまでに来ていないから、いつもの場所を諦め、
そこから少し下のところにポジションを取る。
近くにはきららのふるどのさんがいたが、空気自体が
雑談というものを許さない空気になっているから
ただひたすらに反芻モード。

 そうしているうちにいつのまにか本編に入っていく。
お話はとある「分断国家」、「休戦状態」という
「ゆるやかな緊張下」での日常から物語が始まる。

 この「ゆるやかな緊張」が止めどなく流れているから
日常の中で「見えているけれど、見えていない」たくさんのものが
これでもか、これでもか、と見えてしまっている。

 「集団」と「個」、「常識」と「非常識」、
恋愛や精神的というか宗教的、さらには物質的な「禁忌」というものとして。

 この「禁忌」というものがもたらす「痛み」というものがインポテンツであり、
PTSDという「障害」として心や体に出てくるのかもしれない。

 もしかしたら、わたしたちは「抑圧」というものを望んでいるのかも。
ついでに、「自由」というもの自体が「理想」であり、「価値」だった、
という一つの結論にたどり着いてしまう。

 この「理想」と「価値」にたどり着くための「地図」が今、ここにあって
わたしたちはこの「地図」を見ながらあっちウロウロ、こっちウロウロするけれど、
「時代の流れ」というものは残酷なくらい激しくて、迷い続けている。
迷い続けている中でわたしたちは「家族」を作り、「親になる」のだろう。

 さらには、「何を食べて生き、何を食べずに生きる」ことから
「生きている」ではなく、「生かされている」のだろう。

これがわからないからわたしたちは「強さ」を求め、
「強さ」を求めたがゆえに生まれた「毒」によってバランスが崩れ、
今、そこにある全てが「ふりだし」に戻った。

このあたらしい「ふりだし」には「アダムとイブ」はいない、
さらには、「ノアの方舟」も存在しない、ただ荒涼たる大地のみ。
どうなるのか、どこへいくのかわからない。
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ふくおかプレ学演祭

これもまた、ひとつの「新しい」。

 5月のバーベキュー大会以来のえだみつアイアンシアター。
改装工事が終わって、より「演劇空間」というものになっていた。
まず、出入口の塩梅がこまばアゴラ劇場風味になっていて、
フリースペースができていた。

 中もしっかりとした段目ができているし、空調も完備している。
天井のバトンもきちんとしたものがたくさんある。

 そういえば、今年初めに平松さんのスクールをアイアンで受けてから
「演劇と私」ということに対して整理がついて、そこから物事が動き出したわけで。
行き着いた先が「ふるいわたしよ、さようなら、あたらしいわたしよ、こんにちわ」と
いうことなのか、てなことを考える。

 そんなことはさておき、京都や名古屋で始まった
「学生による、学生の」演劇バトルを福岡に持ってきたこの試み。
今回は立ち上げから日が浅く、あまりメンツが集まらなかった模様。
まあ、「他流試合」を禁止しているところもありそうだし、
これをきっかけにして「自分の中にある身体言語」を試してみたい
「挑戦者」を増やせたらなおいいのだが。

【演劇集団Re:音速でんでん虫】
ある喫茶店、というか、カフェの日常をプロレスのような
スピード感で見せている。
このスピード感に「男性-女性-男性」の関係なのか、と
見せかけて、「男性同性愛」の可能性、さらには「人間-宇宙人」と
いう関係にまで広がっていく。
この広がりを一つ一つ「切り替えていく」見せ方が秀逸。

 切り替えが上手いから、「人間って案外適当なのだ」ということや
「馬鹿と利口は背中合わせ」ということが思うことができた見後感。
 

【劇団あそびこころ】

 人のことをあまり悪くは言えないが、演劇やってて「岸田國士」
(きしだくにお)を読めない、というか言い間違いをするなんて。
それでも、岸田國士は過激で、あたらしい、という発見。

 プライドの高い男と彼を支える女。
周りはみんなこの夫婦を心配してはいるが、
「女性が社会ではたらく」ということについて抵抗があるのか、
「利用する、利用される」ということに対して疑っているのか、
「疑心暗鬼が止まらない」感じがストレスとなってねっとり、べっとりしている。

このねっとりべっとり感を「美女Ver.」と「醜女Ver」で
即座に切り替えて見せていくからかなりえげつない出来に仕上がっている。

【演劇ユニットそめごころ】

 このカンパニー、実質的初見なのだが、ベースとなっている
「2012年西南学院大学演劇部」はよく見ていた。
てか、この代の主なレパートリーが「野田地図」だったからともいうが。
まず、新入生歓迎公演が「農業少女」、次が「表へ出ろいッ」、
自分は見ていないが、カンパニーとしての旗揚げが「THE BEE」。
今回はじめてオリジナリティで勝負をかけた。

 というか、野田秀樹がアングラに片足突っ込みそうになったことは
本当だったのか、と言わんばかりの出来だった。
さらに言えば、「アングラ」って一体何だ?
「始まる」から「終わる」、「終わる」の先にあるのは一体何なんだ?
こういうことを「ものがたり」と「げんじつ」のふたつをよく混ぜてみせるから
正直、怖かった。

 「あの人達」がああいう「非道いこと」をするのは、
「何か」に対して「復讐」をしたかったのだろう、
それにしてもなぜ「復讐する」のか、否しなくてはいけなかったのか、
わだかまりの残る見後感。

Hall Brothers  「すごい人生」

ことばの石つぶては本当に痛い。

 前の日、台風が来るかも、と言いつつ何も起こらず
いつものように仕事が終わり、博多駅の新幹線高架下にある
居酒屋へ行き、「むぎ焼酎時間無制限飲み放題・500円」と
若干の食べ物で呑んだくれたのがまずかった。

 むぎ焼酎、というかむぎ焼酎「もどき」の濃い水割りを
飲みながら中途半端な量、食べ物を食べたからだろう、
胃袋から脳みそに泥酔がストレートに伝わって
どうしようもなくなる。

  あのあと博多阪急の地下で塩吹昆布を買い、電車に乗る。
南福岡駅で降りていろいろあった大事な人に会おうと思い、
久しぶりにある場所に寄ってみた。
なんか、まだ来ていないからと言われて、出直すも
体がふらふらなものだから二度目で引き下がる。

 そこからがさあ大変。
家に着くなり便器に直行。
お風呂に入り、また便器と友達になる。
このあとそのまま寝床に直行。

 翌朝、母が不機嫌だ。
・・・便所がアレまみれだったらしく、掃除が恐ろしく大変だったとのこと。
うーん、なんか変だ、わたしの心と体。

 そんなことがあって、しんどい気持ちを抱えながらハコに向かう。
表演空間、まさしくドラッグストアのバックヤードだよ。

 こういうところの日常って、なんだか単調すぎる。
毎月、毎週シフトが決められて、その時間帯に仕事行って、
マニュアルに沿って働いて、終われば終ったで何かしら用事をして帰る。
こういうことの繰り返しはものすごく虚しい。

 単調である、ということの虚しさがわかっているからこそ
若者は「平凡」であることを恐れているのかもしれない。
狭い範囲で人生を過ごしてしまうことを恐れてしまう、とも言うが。
だからこそ、「刺激」というものを求めてしまうのかもしれない。
一番手っ取り早いことがパチンコ、その次がお馬さん、
自転車、お舟にオートバイという「公営賭博」。
さらには、株や債券という「金融賭博」もありまっせ。
種銭は「ねずみ講」というもので稼げばいいじゃないか。

 でもなぁ、そういうことを仕事場に持ち込むと色々とめんどくさい。
延々と儲けたとか、損したとか、そんな話をされると正直うざい。
そのうざさが「悪い言葉」になって当人たちの知らないところで
「話題」というパスがグルグルと回ってしまっている。
パスが回れば回るほど仕事のクオリティが落ちてどうしようもなくなる。

 結局じぶん「だけ」が「いちばん」になりたくて、
こういった「だけ」が積もりに積もっていたら
「世の中」の有り様がいつの間にかおかしくなっていた。

 本当は毎日を生きるということ自体「すごい人生」なのだけれども。
わたしは他者にわたしを映して、他者はわたしに他者を映す。
そのやり取りの繰り返しで色んな物を感じ取って、
少しずつ少しずつ微妙な変化が起こっているのだが。

 そこのところをうまく感じ取れないもどかしさ、というものがあるのだろう。
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