万能グローブ ガラパゴスダイナモス 「ガラパック」

次なる「展開」の萌芽を見る。

ガラパ、「節目」というものがやってきたぞ、どうなるんだ?
そんなことを考えていたら自分にも「節目」というものがやってきて、
四国の善通寺行って、京都行って、飛ぶ劇とただかおりに会いに行き、
大阪で太陽族を見る以外はのんべんだらりとして、
名古屋で刈馬と木ノ下、そしてラグビーのテストマッチ、
四国に戻ってマエカブ。

失業給付の手続きをして、枝光で弦巻見た後が・・・まずかった。
飲み過ぎて、ガラパックに使うお金を「溶かして」しまう、この馬鹿野郎。
今日が最後になるかわからないが、兎に角行こう。

【たさきこぱる組】
・・・名古屋で見た刈馬演劇設計社の親分、
面構えは九州で言うとガラパのしいきさんの持つ「熱量の高さ」に
長崎フーズの福田さんが持つ「書生的風味」を隠し味にした感じ。
書いて、演出するものは九州の演劇よりすごく「緻密」なもの。

すごく緻密だから脳みそに「効く」演劇、とはこういうものをいうのだろう。
がだ、九州でもひとつの「壁」を超えるためには脳みそに「効く」演劇を
作って、お客さんに「効く」体験をしてもらわないとまずいわけで。

どこがどういうふうにやるんだろう、という事は考えていたが、
こぱるがやれるなんて、というかコンテンポラリー演劇の申し子が
こういう「ガチンコの」演劇をやってしまったら「楽しむ」という感覚が
思わず飛んでしまうではないか。

お話の中身は出版社の小説編集部、ある大物小説家が死んで、
その後に起こった「不貞」をめぐる、ある意味とんがっていて、
ざわざわしているミステリーというか、ホラーというか。

そういう「怖い」を飛び越えた「恐ろしい」お話は一瞬にして
現実に近いところまでわたしを引き戻してしまう。
故に真剣に、集中して見てしまうものだ。

がだ、まわりの若い子たちから微妙な反応が。
これが「組み立て」の甘さ、なのかなぁ。
見手全体をズドンと物語に嵌めるための落差を作る「緻密さ」ともいうが。
そこが戯曲面でも、演出面でもできたら凄いことになる。

【よこやま組】

「女の子」の抱える何かに「くそったれ!!!!!!」とシャウト!する演劇。
さて、今回は何に「くそったれ!!!!!!」とシャウト!するのだろう?
カレー屋さんの娘とどこの馬の骨かわからない男、お父さんは
怪我しても働いてしまうから「敢えて」入院させている。

で、どこの馬の骨かわからない男、独学でカレー作りを学ぼうとしている。
その様子を見て、娘、なんか嫌がっている、なぜだ?

なぜだ?の答えをライブハウス、というか立ち飲みの居酒屋かで
それとなく見せている、どうやらこの娘、お姉さんが居るらしい。
で、どこの馬の骨かわからない男はお姉さんの旦那さん。
おまけにそこそこ売れていたロックバンドのギタリスト。
その「立ち位置」をほっぽり出してカレー屋を継ぎたいらしい。

なるほど、そこに「くそったれ!!!!!」と叫びたいのだろう。
「なんで、納得行くまでやらへんの」という叫びが聞こえてくる。

けれども、男はあっさりとほっぽり出してカレー屋をやる、と。
お姉さんの方はもしかしたら「納得行くまでやったからいいやん」という
思いだったのかもしれない、だから安心してうちにおいでよといったのかも。

というか、こういうこと、自分も大切な人、というか奥さんにそういうこと
言われることが多いから、妙に突かれた感があってドキドキする。

・・・ロッカー上がりのやるカレー屋も「文化形成」には
いいですよ、と言ってみる。

今回は層の厚さと試行錯誤を見ることになりそうだ。

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弦巻楽団「四月になれば彼女は彼は」

「日常」と「非日常」、そして、「演劇」と「生活」。

見て、結論から先に言うと、不思議少年の大迫さんが
おととしの若手演出家コンクールを取れなかったことがよくわかる、
物語の突き刺さリ具合であったし、技量に於いても他我の差は
明らかだった。

「ガチの演劇」と言うもので「日常」と「非日常」、「演劇」と「生活」を
薄皮一枚で接している様を見せられると、尚更。

空間の作りはごく普通の「会議室」というか
演劇・音楽練習室によく附設されている「製作者スペース」というところ。
そして、演者が一番最初に入って、一番最後に出る扉に
アイアンシアターにしかない、上の「日常」と「生活」空間、
下の「非日常」と「演劇」空間それぞれをつなぐ「階段」から扉を開けて
表演空間に「やってくる」、それだけで他我の差、というものを見せつける。

そして、劇中でつかった「戯曲」が岸田國士の「紙風船」、
これは福岡の文化芸術振興財団が2年サイクルで展開している
「一つの戯曲からの創作を通して語ろう」という「演出家コンペ」、
記念すべき第一回の「課題戯曲」だったのですよ。

あの時はなかむらゆきえのぎゃ。とたさかてつろうの
非・売れ線型ビーナス、MMSTと京都からやってきた
うーん、名前忘れたところがプレゼン審査に残って、
名前忘れたところがパワーポイントを「過信しすぎて」
システムダウンに対応できず脱落。

実演審査で当時の福岡演劇にはない「異質な演劇」というか
「コンテンポラリー演劇」の端緒を見せたMMSTがこれまた
他我の差をこれでもか、と見せつけて第一回のタイトルを取り、
その縁で東日本大震災後、福岡に半分本拠地を移した。

さて、本編の話をしようか。
基本的な流れはとある劇団が数週間後に打つ「本公演」に
向けた「試演会」の準備をする男と女。

・・・それにしても「試演会」と「本公演」の日程が詰まっている。
もしかしたらこの劇団の「看板女優」が前々から予定された、ではなく、
突然この劇団をやめて、「演劇」をすることもやめてしまったのかもしれない。
この突然空いた「穴」を埋めるために「試演会」をこのタイミングでやるのか?

そうなるに至った「事情」と「紙風船」という戯曲の内容が
薄紙一枚の接近具合で重なりそうで重なろうとした刹那、
爆発するかのように「分離」していく。

その様子を見ながらわたしは昨日の夜、結婚を約束している
「大切な人」と同じ内容を話していたことに気が付き、
話の中身、表情、呼吸、その他諸々を思い出しながら
「紙風船」、というか岸田國士戯曲の中に描かれている
「好き」が高じて「愛してる」になり、夫婦になったけれど
「現実」を知らなかったのか、知りたくなかったのか、
「理想の夫婦生活」と「現実の夫婦生活」の落差に苦しむ。
そして、落差に苦しんだ疲弊から夫婦は別れることが多い。
この事実に納得してしまう。

疲弊して別れたくないからお互いに落差を削って、
苦しい現実をもがいて、あがいて、這い上がって夫婦になろう、と
自分と大切な人はそう決めた。
・・・時間がかかりすぎて、ああ心がいてぇわ。

そういうひりひり感が60分間ずっと伝わってきて、
最後の「四月になったら連絡する、そう言っていました」、に繋がるんだよな。

・・・作劇も、演出もそして醸し出す雰囲気も弦巻さんって
アイアンシアターを「作った」のこされの市原さんに
どことなく似ているんだよなぁ。
「コンテンポラリー」に走らず「ガチの演劇」を目指している以外は。

ほんと、こういうのを感じると九州の演劇も、自分も
まだまだ足りないところ、及ばないところ、たくさんあるんだよなぁ。

株式劇団マエカブ 「傾き者のパレード」

ポップでロック な「現在(現代)劇」。

名古屋から朝早く徳島に向かって移動、ご飯食べて
一息つくとズブズブと睡魔が襲ってくる。
気が付くと2回の途中休憩すらすっ飛ばして徳島到着寸前まで
ひたすら眠り込んでいる。

徳島駅前について、坂出までの電車の切符を買い、
近くのうどん屋でご飯を食べ、時間になったので
まずは高松行きの特急に乗り、マリンライナーへ乗り換えて
坂出へ。

諸々ありそうなので帰り、坂出から福岡まで夜行バスを予約したが
公演が終わって、バスに乗るまでに待つ場所が何もない。
ネットカフェやサウナ、スーパー銭湯、ビデオ試写室さえも。

こうなってしまうと16時開演で終わるのが18時、5時間も
じっと出来ないし、そもそも初めて着いた場所でバスの乗り場すらも
把握できていない、こうなったら新幹線で帰ることも考えることにしよう。

それよりも何よりもまずはホールの場所を探そう、
すんなり見つかった、次は木戸銭払う動線がしっくりしない、
おまけに2000円と思っていたのが2500円だった。
・・・なんか変な感情が降り積もりすぎる、新幹線で帰ろう。
高速バスは今度のアートマ講座の帰りに変更だ。

箱のなかに入り、一息つくと驚いた。
ホールの形状が他とは違っている、というか違いすぎている。
「どういうこと」をするためにこの場所を作ったのか、しばし考えこみ、
「無目的」はよろしくないが、「目的がある」ということは
一見良いように見えるが、「時代の変化」によって「目的」が
陳腐化すると潰しが効かず、「目的にしがみつく」可能性を否定出来ない。

そんなことを考えていると、板の上では坂出の伝統芸らしき
「獅子舞」から「神楽」へと演目が進んでいる。
・・・ああ、これが「江戸歌舞伎」で言う「公演最初のセレモニー」なのか。
で、「前説」という「コント」があって、本編、という流れになるのね。

前の日に見た木ノ下歌舞伎はガチの歌舞伎を歌舞伎として持っている
「専門用語」と「身体言語」を 現在に沿うように「ガチの演劇」に翻訳した。

さて、マエカブはどう歌舞伎を「料理」するのだろう、とじっくり見てみた。
土台にあるのは週刊少年ジャンプでかつて連載されていた「花の慶次」、
この物語に「おそ松くん」じゃなかった、
「おそ松さん」や「あのコント」番組、そして
「あのテレビドラマ」の要素を
うまく混ぜ込んでポップでロック な
エンターテイメントという「現在(現代)劇」に直した。

こうなってしまうと歴史上の人物がどこかしら尖った兄ちゃん達に
見えて、どうしょうもねー「争い」が国を動かした、という事実、というか
歴史物語が「傾く」=「変える」というものやことの本質をこれでもか、と
見せていく。

更には「坂出ラブ」まで混ぜ込んでいくから不思議に楽しいのだ。

・・・楽しい後はすごく大変。
バスの変更がうまく行かず、新幹線の中で食べるものが(以下略。
マリンライナーは正規席に座れず、扉の補助席に座り、
新幹線の中は(以下略。
博多にたどり着いてバスのりばですったもんだと変更して10日ぶりに
家に帰り着き、死んだように眠る。

木ノ下歌舞伎「義経千本桜−渡海屋・大物浦−」

本当は、演劇が「社会の木鐸」なのかもしれない。

 ・・・緑の中を走り抜けていく真っ赤な電車。
名鉄電車の東岡崎を過ぎてから伊奈までのルートって、
本当にこんな感じだ。
いやまあ、頭の中で山口百恵の「あの曲」が鳴っている。

山を抜けて、街に入って、川を数本渡るともう豊橋。
一度外に出てなんだかんだして、今度はJRでハコの最寄り駅へ。
以外にもすんなりとたどり着くことが出来て、落ち着きながら
道中で見たこと、感じたことを反芻していた。

その「良し悪し」は問いたくないけれど、「文化の厚み」というものが
ところどころに現れてきやがる、というか「お金」がないことは
すごく辛いやね、作り出せないのはもっと辛いけれど。

更に言えば、わたしたちは「がさつな」ところがあるから
「社交」というものを成立させることが難しく、その源泉は
「発達障害」というものを地域的に抱えているから「まともな」
仕事に就くことが難しく、もっと言えば「知育」にも障害を抱えているから
尚更まともな・・・。

これを「意図的」に放置しなければ世の中はうまく回らないのか?
こんなことを考えると、前説がいつの間にか始まって、もう本編だ。

この「劇団」というか「演劇ユニット」というか説明がしづらいけれど、
得意技、というかウリは歌舞伎「独特」の「身体言語」と「時代背景」を
現在の寸と尺に直して、「演劇」というものに「翻訳」する、ということ。

歌舞伎「独特」の「身体言語」と「時代背景」を
「演劇」というもの「そのまま」に「翻訳」する、ということを
試みた「劇団」が前進座であり、花組芝居ということも言えるのだけれど。

というか、「劇団」というある意味「固定化」した集団がいつ生まれたのか?
歌舞伎、特に「江戸時代」の歌舞伎は「劇団」というか、
むしろ「演劇ユニット」という形態で興行を打っていた、
違いは「一公演ごと」の「雇用契約」なのか、
「一年間」の「雇用契約」なのか、その違いだけで。

こういうところから見ても、今の小演劇って「大江戸歌舞伎」の
手法を知らない間に学んで、利用している、そういう発見をしてしまう。

表演空間の作り方だってそうだ。
歌舞伎の台本の書き方は最初に「本舞台三間の間」という一文を書くが、
これは「能・狂言」から「歌舞伎」というものが始まっていますよ、を
表すだけで舞台上の表演空間はそうではないのが常。

がだ、今回の、というのかどうかは「初見」なのでよくわからないが
「平面」としてはほぼ「本舞台三間の間」という「能舞台」を踏襲している。
違いは「花道」というものの位置が歌舞伎のそれであり、
あと何らかの「規則性」を持って配置された「奈落」と
「奈落」に透明の板をかぶせた存在があることのみ。

そして、平面から40度の斜度を付けて客席に近いところを低く、
遠いところを高くしたことで歌舞伎独特の「高足の二重」を
「現代演劇」の中にうまく取り込んでいる。

「尺高」から「常足」、「中足」、そして「高足」と演者が細かく移動し、
「物語」を様々な高さと角度で「演じる」ことで「普通」と
「普通ではない」世界が「同じ地平」に存在していることをそれとなく見せ、
更には「時代は違えども、同じ物語が進行している」という時間まで
見せることができている。
こうなってしまうと、「源平合戦」という「政治的主導権争い」の
始まりが壮大な「反戦の物語」に化けやがる。
だから最初の音楽を「君が代」にして、「日の丸」を「背負う」という
ムーブマイムが所々に入っていくわけか。

更に言えば、「政治的主導権争い」によってなんの罪もない
数多くの民衆が「殺される」様を衣剥ぎによって表現し、
そうしてたくさんの人間を犠牲にしても、最後は
「津波」に代表される「予期せぬ出来事」で死んでしまうじゃないか、
そう考えると「戦争」とか「主導権争い」って無益だよね。

「無益だよね」ということをストレートに表現すると言論統制に
引っかかるんで「安徳天皇は女性だったかもしれない」という
エピソードを混ぜて、エンターテイメントとしても楽しめる仕掛けを
それとなく作っているのも流石。

ほんと、こういうのを見ているとメディアが「社会の木鐸」と
勘違いしているけれど、本当は演劇こそが「社会の木鐸」なのかも
しれない、という可能性を信じてしまう。

刈馬演劇設計社 「猫がいない」

「社会」は常に「生け贄」を求める。

  「七ツ寺合同スタジオ」という名前とこの場所ができた経緯は
自分が演劇に触れて一番最初にいろんなことを教えてもらった
河合塾の某講師(アサデス。に出ている世界史の青木さんではない)から
聞いたことがある。
(青木さんには入試直前の講習で
「お前はレヴィ・ストロースも知らないのか」と言われた。
そのことばが私の学びをずっと支えているのかもしれない。)

こう考えるとわたしの「発達」が未熟なせいで
自らを伸ばす進路に19歳で進めず、余計な遠回りをしてきたが
回り回ってこの歳になって自らを伸ばす進路に進めたのかな。
・・・河合塾に行ったあの一年間はものすごく貴重だった。

「希望」を持つにはいささか早すぎた、けれども、「絶望」するには
かなり「遅すぎた」のだろう、わたしの場合は。

都市のベストなバランス、というものを「エンターテイメント」の
観点から考えてみると「家内制手工業」と「工場制手工業」が
程よいバランスで拮抗し合い、ここに「工場制重工業」か乗っかって、
補助的に商業・サービス業が支える、当然「強い農業」が
良いバランスを下支えする必要はあるが。

そんなことを考えながらハコのなかに入り、
お客さんの空気を感じながら、自分を温めているといつの間にか
本編が始まっていた。

ある「殺人事件」の「元」加害者と被害者が冤罪が明けて、初めて
「出会う」というところから物語は始まる。

というか、この家、さらにはこの村には「謎」が多すぎる。
実に、あまりにも多すぎる、何故に、この「家庭」は母と殺された
上の娘、そして生き残った下の娘「だけ」だったのか、
夫は死んだのか、自ら出て行く道を選んだのか、どうして
若い男を母は「引っ掛けた」のか。

この村はかつて「別荘地」だった、というが、
現在は「外に開かれる」ことを「拒否」して
内へ、内へと「閉じこもって」いる。

これらの「何故」が始終ブリキのバケツにかつーん、と水漏れなのか、
水滴がかかる音として不気味に鳴っている。
物語を追いながらこの音を聞いていると、あることを思い出したのだ。

・・・人のこめかみにたった「一粒」の水滴を当て「続ける」、
もしくは脳みそに「細かな振動」を与え続けると最終的には
「狂って」しまう、という「軍隊」がよく使う「拷問手段」のことを。

ああ、これは社会、という「集団」が「何かを」守るのに
「村八分」という「排除」を利用してしまう、という
人間の「原罪」なのだろう。

この事案は、明らかに殺人事件、だとすると、
「地下室」で上の娘の死体が見つかった。
警察は家族に上の娘の死亡を伝えて、次のように言う。
「あなたの家族が死にました。」

さらに続ける、「事件の捜査を続ければ、あなたたち家族のことが
新聞・テレビ・週刊誌に出ますよ。
旦那さんの仕事や、娘さんの縁談にもさしさわりがあるのではないですか。
さらに、あなたたちは<招かれざる存在>じゃないですか(以下略。」

もし、この「事件」は自殺をしたという調書を出す、という形で
穏便に処理していたら、ここまでおかしくはならない、その「可能性」を
誰が、どのようにして「拒否した」のか、部外者の部外者たる
私たちにはわからないけれど。

このようにして「ムラ」社会では、どのような職業でも家族が事件に
巻き込まれることは大きなハンディとなる。犯罪に関係なかったとしても、
言い訳にはならない。
・・・故に、巻き込まれないように、巻き込まれないように「わたしを殺して」
生き続けるように「同調圧力」によって強制させられる。

こうなると、ムラの支配者にとって自らの「権力」を維持していくために
有利な状況になる。

この有利な状況を維持していくために
今日、誰かが誰かに有形無形のノルマを突きつけている、
そのひとつとして「同調圧力」が存在する、ということかもしれないが。

有形無形のノルマは、事件発生の時点で事実をゆがめる。

だから、冤罪はなくならない、むしろ「社会的排除」の手段として
「意図的」に使用している、という現実がある。

もう一つは、(自白等の)「強制」と「奨励」。
歴史的に言うと、ムラ社会には自殺(自滅)の長い歴史がある。
それは文化でもあり、組織的な行為でもある。

更に言えば、いつも「生け贄」にさせられるのは「真っ直ぐな弱者」である。
そういう人はどこかしら「目立って」しまい、というか目立たされて、
折にふれて「挑発」される、ちょうどバケツに落ちる水滴のように。

で、ある限界点を通過した時点でわざと暴力的に「事態を解決」
させるように仕向け、ありとあらゆることを押し付け、有無を言わせず
「排除」させる。

それで皆が納得して、というかさせられているところに
新しい外からの存在が「事実」を更に「修正」しようと乗り込んだ。
・・・これが「猫」の正体だったのか。

という現実を 「戯曲」の緻密さと「演出」の緻密さが
「掛け算」で合わさった「演劇」というもので見せられると
世の中が「弱者」に対して見せる 「拷問」を「追体験」してしまう。

本当に、人間って弱い、実に弱すぎる。

劇団太陽族 「執行の七人」

学校って「社会の縮図」なのだな。

シアトリカル應典院というところに始めて行く。
南海電車の新今宮駅からなんばへ向かい、それから地下街を
真っすぐ歩いて、行き止まりが近鉄と地下鉄の日本橋駅。
そこから雨がざかざか降る中を生玉に向かって坂を上がり、
上がった先に銭辰堂という仏壇屋、その向かいに目的地がある。

このお寺、いろいろなところから「お寺じゃないお寺」という形で
「人が集まる場所」という「信念」を貫いていわゆる「檀家さん制度」を
取っ払い、「仏教でどれだけのことができるか」ということに挑んでいる。

「教育」という面でも「パドマ幼稚園」という「最先端の幼児教育機関」を
運営していて、その延長線上に「演劇」が来るのは至極当然なのだろう。
けれども、玄関に貼ってあった「努めるものは道が開ける」という言葉に
些か違和感を感じた、その言葉の主が日本女子運動選手初の
オリンピック金メダリスト人見絹枝だとしたら、尚更。

・・・若くして、しかも自ら死を選ぶ人間の言葉は好きじゃない。
頂点に上り詰めたら、次は「生きる」ための・・・ふうっ、何言ってんだ自分。

それはさておき、太陽族の演劇に触れて、わたしはより演劇を
学ぶ決意をした、けれども色々あって太陽族や岩崎さんの仕事に
行くことが出来ず、ずっと不義理をしていたのだ。

で、今回は自分の身の回りに起きた「転機」を「生きる力」にする
旅の日程にぴったりとハマったのでなんとか行くことができたわけで。

さて、今回のお話のテーマは「教育」とはなんぞや?
最近、東京、名古屋、京都、大阪のいわゆる「エリート教育」を
施す小・中学校、そして高校は「考える力」生涯を通じて
「学びのモチベーション」を切らさない、という方向性で
「アクティブ・ラーニング」という手法へと
急速に舵を切り始め、「東京オリンピック後」を機にこの国の
「スタンダード」へと変化させる腹づもり、らしい。

・・・要するに、昔の様に単一の価値観ではなく、
多種多様な価値観をかちかちとぶつかり合わせ、
わかり合おうと「させる」ように「仕向ける」
ということなのかも知れない。

そうなると、PTAという「親が教育に参画する仕組み」って
どのように変化していくのだろう、というか、いったいぜんたい、
もともとの形ってなんだろう、という問を岩崎さん(というか奥さんか?)
が「実際」に「現場」へと飛び込んだことで見えたなんだかんだを
「演劇」に丁寧に起こした、のが今回の趣向。

「資本の格差」や「文化の格差」がある程度「高いレベル」で
担保されている「社会」のもとで運営されている学校の
PTAという組織は多分、こういう多種多様な価値観を
かちかちとぶつかり合わせ、わかり合おうとさせるように
「仕向ける」、ということとは無縁なのかも知れない。

このことを表すため、岩崎さんは板の上に乗っている人物の
「キャラクター」をこれでもか、とくっきり、はっきりと際だたせるところは
際立たせ、逆にぼんやりとさせるところはぼんやりさせている。

そうすることで「7人+守衛のおっちゃん」の「資本の格差」や
「文化の格差」、そして、「人生の違い」をきちんと見せて、
これらの「資本の格差」や「文化の格差」、「人生の違い」が
大きければ大きいほど、「案件の合意形成」に時間がかかるのだ。

ということと、多種多様な価値観をかちかちとぶつかり合わせ、
わかり合おうとさせるように「仕向ける」ためには
途中の「錆落とし」というお互いの「エゴ」をぶつけ合わせて
剥がして、剥がして、剥がし切る「作業」が必要だと
板の上で物語を「立体化」させている。

この「立体化」という「作業」をやることで「できない」ことは「できない」、
「できる」ことは「できる」、そのシンプルな「真理」をわたしたちは
「できないこと」を「できるようにする(なる)」と
「勘違い」してしまうようだ。

本当は「できる」ことを時間を掛けて探すことを子供の「前を行く」
大人たちが指し示すことが教育の本質ってやつなのだろう。

(劇)池田商会「末枝の沙果」

迷わず行けよ、いけばわかるさ。

瀧猫亭お得意の「隠された歴史」を丁寧に掘り下げる
NHK大河ドラマよりも良い仕事、西鉄ホールに初御目見得。
ホールの大きさを活かした横一面にズドン、と一発
田中一村の描く、ある意味「爽やか」な南国の「鍛冶屋」という
表演空間が展開されている。

そういえば、こういう「歴史もの」は大博多ホールでやっていて、
時間が恐ろしくかかるものをあの椅子で見るからひどく疲れて仕方がない。
この不安が西鉄ホールの安心できる椅子のおかげでなんとかなりそうだ。

今回は「鉄砲伝来」という出来事が起こった後、「純国産」の鉄砲が
できるまでの出来事とそれにくっついてくる葛藤。
これらを手塚治虫、それも晩年の「アドルフに告ぐ」から
未完の「ネオ・ファウスト」以後のテイストを加えて見せてきた。
そのせいなのか、恐ろしいほどテンポがいい。

テンポが良いからある刀鍛冶が「火縄銃」という当時の
「最先端技術」を見て、元から持ち合わせていた「ものづくり」の魂を
揺さぶられる、けれども「銃」というものが「銃」足り得るために
必要な「物凄いエネルギーを一点に集中させる仕掛け」を
作ることが出来ず、失敗して自らも、周りも傷つけてしまった。

それでも「ものづくり」というもの自体が「楽しい」ものだから
「ものづくり」にのめり込んでしまう、知らなくていいことをうっかり
「知って」しまったがゆえに「危険な道」をずんずん進むかのように。

まるで「禁断の木の実」を食べてしまった人類のように。

そして日本が元から大切にしてきた「木の文化」では
馴染みのなかった「雄ネジと雌ネジ」をどう作るか、という
「鉄の文化」を受け容れることで国産の鉄砲が生まれ、
ラストの展開に繋がるわけだったのか!!

兎に角、進むしかないのだ、進まないとわからないこともある。

したため 「文字移植」

「学び舎」でハイインパクトな「演劇」を見る。

演じ手にとっても、見手にとっても、「アトリエ劇研」は
「演劇の学び舎」だった、という発見。

徳島から南海フェリー、和歌山港駅から南海電車で天下茶屋、
それから阪急電車で烏丸、というルートを取らず、いきなり高速バスで
京都に乗り込み、KAIKAで飛ぶ劇場。

 それからヘトヘトの体で淡路乗り換えで動物園前、
大阪の数日間を過ごす西成のどやの個室へ潜り込む。
お風呂の床がなんか変だし、クーラーを入れると変な匂い、
おまけに布団や畳にノミなのか、ダニなのか、分からないが
ぴょんぴょんしていて眠れない。

ウトウトしながら痒がっているともう朝だ。
いろんなことを考えると、もう宿を出るしかない。
朝飯は道中で食べよう、というか金券ショップは何時からだ?
とりあえず京阪電車の切符を買わなければ。

というわけで、通天閣からなんば、心斎橋、淀屋橋と歩き、
結局梅田まで歩き通し、京阪の切符を往復買って、また淀屋橋。
落ち着いて、アトリエ劇研までの道を確認したら慌ててしまった。

・・・こっちは京阪三条までの切符しか、行きは買っていないよ。
帰りは株主優待の切符でどこからでも乗れるように仕掛けてはいるけれど。
とりあえず、特急に乗って、モヤッとしたことが京橋であったが、
なんとか京都にたどり着き、結果、それで良し、と。
バス停と乗るバスがわかり、一乗車ごとの切符を安く買えたのだから。
・・・東華菜館の川床で帰りがけまったり飲んで飯食いたかったが。

バスに乗って、案内通りに歩くと、すんなり場所は見つかり、
落ち着きながら周りを見てみると、結構踏み込んだ話が繰り広げられるわ、
なんていうか京都の若手演劇人が「自分たちだけ」の演劇から
「みんな」の演劇に変化していくための「わざ」と「すべ」を学ぶ場所、
自分もお金があればそういう場所を福岡の自分の家と隣の土地を買って
作って見たいが、立地条件があまりにも悪すぎる。

  そんなことを考えていてもなお痒い。
痒いから一度来た道を薬屋を探しながら戻り、
強力な駆除剤を見つけるが高い、そしてやばそうだ。
しかたがないのでまた戻る。

戻って、今日ともに見る人達の表情や纏っている空気を
感じながら箱のなかに入り、久しぶりに上の方にポジションを作る。

・・・この演目が福岡で公演できるようになった試み、
「ひとつの戯曲を通して演出家の技量を見てみよう」という企画、
まずは「プラン審査」という形で一度「わたしたちはこういう演劇をします」と
事前に提示した「課題戯曲」を使って「言語化」して「実演審査」に進み、
審査員の合議で決める「最優秀賞」と観客の投票によって決める
「観客賞」という2つの章典が。

この流れを最初から最後まで追っていたら
少しはまともなことが書けたかもしれないが、諸事情により、
「プラン審査」開始10分前に気持ち悪くなって帰ってしまった。

おまけに福岡で育って東京に新しい道を探しに行った
ただかおりがほぼ一年ぶりに福岡で演劇をしにやってくる。
見たいのだが、テストマッチ前提で日程組んだからなぁ。
けれども事態は二転三転し、ここ京都で見ることができた次第。

いろんな意味で福岡では賛否両論巻き起こしそうな作品だ。
それくらいハイインパクトで、尚且つ多種多様な「見方」が
できるような作りになっている、仕掛けになっている。

主な構造は「コンテンポラリーダンスの身体」にセリフを載せて、
原作が持っているであろう「独特な文体」を表現していく。
このもがき、あがきを時間や距離の「隔たり」まで見せながら
気がつけば追体験している、というかしてしまう。

この「追体験」は人によってはものすごく苦痛に思えることも
また、その逆もある、そこで行われている「演劇」がハイインパクトで
あればあるほど、心にかかる負荷も比例する。

さとねーさんの14+がこの企画で世に出たとき、
「14歳の国」という戯曲を使って今思うとハイインパクトな「演劇」を
作り、その負荷を素直にきついです、と表現すればよかったのに
「追体験」を「賛否両論」にすり替え、「人生の違い」を受け容れるどころか、
意味のない比較にしてしまった結果、数年間、多くの人を巻き込み、
様々な「名誉」を傷つけてしまった「戦争」に発展した。

そうならないための手段として「余韻の時間」という
見た人同士でしゃべる場を作る、という試みは有効だ、と感じた。
一番良かったのは「落ち着いて考える」時間に大半を割くことで
モードの「切り替え」やメンバーの空気を確かめる事ができたこと。

「落ち着いて考える」時間を持たなければ「耳を澄ませて聴く」という
行為もやりにくい、と言うかできないのかもしれないともいうけれど。

飛ぶ劇場「睡稿 銀河鉄道の夜」

世の中はすべて「非対称(アシンメトリー)」なのかもしれない。

この演目を始めてみた時はたしか
「ぽんプラザ開設10週年記念・九州地域演劇祭」で、
自分も「ハンバーグ工場で働く」という人生の旅を始めた頃。

2回めはなんだったんだろう、たしか「小さな戦争」の最中、
いろいろ諦めなきゃいけないことを諦めようとしていた、
その状況での葛藤の中で生きてきた。

そして、今回はこの「小さな戦争」から始まる
自らの葛藤がじわじわと膨らみ始め、気が付くと
「このまま、わたしはハンバーグ工場で働き続けていいのだろうか」
「仕事内容、受け入れ体制はものすごくいい、けれども現場の空気が
人生を雑に生きてきた人達によって荒らされていることがきつい」
という感情を抱えながらここ数年間、ところどころ休みながら働いていた。

がだ、こないだ熊本で起こった地震と自分の周りで起こった
「人生のもがき・あがき」を見て、感じて、様々なやり取りを
していたらこれらの嫌な感情をせき止めて
なんとか働いていたことが突然できなくなった。

・・・仕事、辞めちゃった。
というか、「何者かとたたかっている」という「抵抗感」を手放した。

そういうことを「一般席」に気がつけばすんなり座り、その流れで
もりおかとかあなさこ、はやまさんに開演前の客入れの流れで
つらつらと話している。

長すぎる前置きはここまでにして、今回の「銀河鉄道の夜」ツアー、
名古屋での「高校演劇セミナー」の示範公演はガチの「劇場」で
京都、北九州市枝光公演は今までの表演空間より天地とも
ぎゅっとした空間、という「正反対」の環境で公演を打つ。

ということを表演部でウォーミングアップが
「参加席」と共に始まり、「一般席」もそれに合わせて
「息を合わせ」ようとしている様を見ながら以下のことを考える。

前々回、前回は「スポーツのような」演劇という面が強く出て、
ひとつひとつのムーブやマイムに見ての「反応」がビンビン伝わってくる。
けれども、今回は「ガチの演劇」や「スポーツのような演劇」というか、
「コンテンポラリーダンス」の要素が強い「演劇」へと変化している。

泊さんの書く「セリフ」に演者個々が「演劇」という旅をして
身につけた「身体言語」を載せてより雄弁に喋ってる、体全体で。
見手もつられて、また体全体で「反応」をものすごい精度と密度で
伝えてくるから、「物語」が息をしている、息をしているから生きている。
生きているから、宮沢賢治が文学、と言うものを使って
「伝えたかったこと」も きちんと伝わっている。

宮沢賢治、という書き手は「農業」という「立ち位置」で五体と五感を
使って働いて、言葉を紡いできたきた人間だった。
五体と五感を使って働いてきた人間にはごまかしが効かない、と
いうのは「実感」として本当なのだ。

「ごまかし」のない、「実感」のあることばで明治期でいう「帝国主義」、
2016年現在では「新自由主義(=市場原理)」に支配された
「ある辺境の土地」のある意味「無駄」を許さない、
それでいて荒々しい「労働」と「生存」しかない「現実」を見せ、
この「現実」の対比として「銀河鉄道の旅」という乏しいけれど、
「宗教」や「芸術」を使いながら楽しく生きていた「過去」を効かせている。

・・・だから、冒頭部と結末を「近代科学」の「授業」にしているのか!!
そういえば、泊さんはかつて「キリスト者」だった過去があり、
「伝統宗教の疲弊」を目の当たりにして「正しい街」を書いたのか、と
いうことまで思い出してしまった。

多分、「生きること」ということは、「目的地の見えにくい旅」を
なんかなし、続けていることなのかもしれない。
私はどこから来て、どんなところを通り、どんなことを成して、
どんなことを成さなくて、そしてどこへ向かうのだろう?

この旅には、色々な「生き方」があり、「いろいろな死に方」がある。
これらは全て「非対称」なのだ、というのは板の上にある演者が
着ている衣装にメッセージとして込められている。

「生き方」や「死に方には、様々な形があり、
そこには「運の善し悪し」ですべてが決まってしまう
「無邪気であるが故の残酷さ」を抱えた現実があり、
これが経済や文化(分化)の格差につながり、ひいては
所得や、希望の格差へとつながってしまうのだろう。

いつもの生活がある日突然良い方に転がって多くを得ることもあるし、
悪い方に転がって自らの命を含めたすべてを失うかもしれない。
これらはすべて様々な時代の空氣がそうさせるのであって、
個々人の努力だけではどうにもならない。

どうにもならない、がどうにか生きなきゃならない。
ホントはね、「自ら死を選ぶ」ことができたら「苦しい目」に
あわなくて済むからどんなにいいことだろう。

けれども、様々な場面で起こっている「すべて」の要素を取り込んで、
これらの要素を飲み込んで消化してみたら、
世の中で起きる出来事や、運、不運というものは
すべて紙一重のバランスで存在していた。

ということは、私達が「生きている」という事自体が
「ほんとうのさいわい」にたどり着くための糧になっているのかも知れない。
故に生きよ、兎に角生きよ、生きて立ち位置と役割をまっとうせよ。

そう考えていると「運がいい」ということは誰かを何かしらの形で
「食べて」生きているわけで、「運が悪い」ということは他の誰かに
「命」を始めとした「何か」を差し出している、
これを「喜んでその身を捨てる」から「喜捨」というのだ、
という現実が板の上にあった。

さらに、2016年の社会には「持つもの」は「喜んでその身を捨てていない」
我が身、我が立場可愛さに差し出すことを嫌がってはいないだろうか?
という思いが妙に突き刺さる。

さて、わたしも新しい人生をそろそろと始めますか。
新しい人生における立ち位置や役割は薄々わかっているけれど、
そこに至る過程が不安であり、楽しみでもある。

劇団ショーマンシップ 「柳暗花明~博多・柳町の栄落~」

まずは前向け、萬行寺。

いや、まあ、しくじった。
必ず日程を確認していたのだが、あまりにも人生が
急展開しすぎていて、日程変更かけようにも
ベストの日程がすでに完売していて、更に言えば
ずっと月曜の楽日にチケット手配していた、と勘違いしていた。

で、月曜日チケットを取りに行こうとしたら驚いた。
・・・日曜日、夕方の回でどうやら予約したらしい。
となったら、来た回も全席完売、「間違えました」と
頭下げてそのままお帰りしたほうがいろいろ都合がいい。

そう自分が考えていても先方さんがそう考えていなかったら
「結論」というものに対して「押しくらまんじゅう」になってしまう。
なってしまったらこっちの都合を引っ込めて、おとなしく見るしかない。

・・・まあ、開場前の「花魁行列」という趣向に救われたけれど。

福岡の「風俗史」を扱った演目、といえば、
非・売れ線型ビーナスの田坂哲郎が「たさか歌舞伎」という形で
劇団ぎゃ。に卸した「博多女王街テクニカラバー」という戯曲で
呉服町にかつてあった「楊ヶ池神社」の人魚姫伝説との合わせ技を
使い、遊女の「強さ」の裏にある「切なさ」というものを見せる一作がある。

今回は「たさか歌舞伎」で扱った時代よりほんの少し後から
物語を進めていくことで、福岡という街の「中心軸」がどう変化したか?
ということを「柳町」という福岡を代表する「色街」の変化として見せる、
ことが今回の趣向。

まず、福岡最初の色街は今でいう川端のリバレインから競艇場に
向かう道すがらにあるラブホテル街に面影を残している。
その場所に黒田藩以来、営業を続けていたある遊郭が九州帝国大学
(今の九大医学部)を誘致するため、今の中央区清川ホテル一楽近辺、
アパホテルやらサニーやらがある、つい最近までカオスだったところ、
そこから通りをひとつ外れると雰囲気を少し残すところに移せと。

ここまでが「博多なんとかテクニカラバー」で話されたこと。
【第一話】
【第二話】
まずは、「間夫」という「存在」がいなけりゃ、
「女郎」という「商売」は暗闇の中を生きなきゃならぬ。
自らの意思に反してこの「苦海」に身を沈めたのならば尚更。

で、第一話は「間夫」という存在を見つけて
「暗闇」を抜けだした「女郎」の物語。
・・・その前に「間夫」って、なんだよ?
「間夫」っていうのは今流行の言葉で言えば「アモーレ」、
言葉硬く言えば「大切な人」のことさ。
そんなことをコミカルにりえぞおが見せている。

この物語は第一話が肝。
「間夫」たる一人の男が見た「色街」の姿でもあるわけで。
・・・この男の「正体」はまた後ほど。

第二話は逆に「間夫」になるべき存在を諸々の事情で
失った女郎がそうなるに至った状況に対して復讐を果たす物語。

ここまではいままでの場所から移転してなにもないところから
新しく「商売」を始める、なんとかするために渡辺さんが
近くに路面電車、というものを走らせようと頑張っている。


【第三話】
というわけで、此処から先は福博電車(後の西鉄福岡市内線)の歴史と
重ねあわせて物語を説明しなければ「奥行き」というものができなさそうだ。
中身は大正デモクラシーから幸徳秋水事件に至る出来事を軸に
「純愛」と「偽愛」の間に揺れる女郎のお話。

1910.3.9

福博電気軌道、大学前—黒門橋・呉服町—博多停車場前間(6.4km)、
運輸営業開始(3月8日開業式挙行)
→ようやく近くまで電車、やってきたよ。

【第四話】
此処から「女郎」という「職業」に若干の「変化」が始まる。
この「変化」というものを体現した姉妹の女郎のお話。

1911.10.2

博多電気軌道、博多駅前—取引所前間(3.8km)、
運輸営業開始(10月1日開業式挙行)

1911.11.2

博多電灯、福博電気軌道を合併し、商号を博多電灯軌道に変更


1912.6.29

博多電灯軌道は九州電気を合併、商号を九州電灯鉄道に変更

1912.11.15

九州水力電気、博多電気軌道を合併


1914.4.22

九州水力電気、大学通—博多駅前間、運輸営業開始(循環線全通)
→新柳町に安定した交通手段が供給できるようになる。
ということは、ある程度のお客さんが質的にも、量的にも
やって来るようになった。
もしかしたら、ここが「職業」としての女郎、というものの「転換点」かも。

1929.7.1

九州水力電気、福岡市内の電気軌道事業(福岡鉄道部)を
博多電気軌道(5.17設立登記)に譲渡

1932.3.25

東邦電力、今川橋—西新町間、運輸営業開始
(今川橋—西新町間の軌道事業を博多電気軌道より譲り受ける)


1934.10.26

福博電車設立

1934.11.1

福博電車、東邦電力の福岡市内電気軌道事業、
博多電気軌道の電気軌道・バス事業を譲り受け、運輸営業開始

1938.10.1

福博電車に女性車掌55人が登場

1942.9.1

5社合併、西日本鉄道としての最初の組織改正実施

1942.9.22

商号を西日本鉄道へ変更登記完了、福博電車は福岡市内線となる

【第五話】
ここで第一話の「間夫」が夢野久作という人物である、と正体を明かす。
そして彼の代表作たる「ドグラ・マグラ」がもしかしたらこの「苦海」の
物語かも知れない、そして「間夫」の養子、女郎に初めて出会う。
1945.6.19

福岡市内線、福岡大空襲により循環線天神町—千代町間など被災


1947.5.3

福岡市内線、新憲法祝賀式典に合わせ、花電車運転(戦後最初の花電車)

まあ、本編としてはここで物語が終わるわけだが、街自体が終わった
きっかけとなった出来事として、以下のことがある。

1964.7.1

福岡市内線、馬場新町—住吉間(博多駅新線)1.6km、運輸営業開始

1964.12.7

福岡市内線、馬場新町—管弦町—住吉間1.2km、運輸営業廃止
→電車が通る場所、ほんの少しだけ遠くなり、より客足が遠のいてしまう。

物語の最初から最後までを一貫して貫いている「テーマ」は
「女郎」は「間夫」がいなけりゃ暗闇、と「まずは前向け萬行寺」、
そして、「風俗」とはなんぞや?
これら3つやねん。

現代は「風俗」とひとまとめにしているけれど、
古き時代の「遊郭」というものは「風流」、あるいは「粋」という
物質的、ではなく、ある意味精神的なもの、ことに重きを置く
「世界」だったのかもしれない。
・・・だから一話と二話には「粋と不粋」という空気が漂っていたわけで。

これが三話、四話になるに従い、
「風流」から「俗流」へと「粋」というものが徐々に失われていく、
それに合わせて遊びも時代もそれぞれ変化していく様、
この様と響き合って、それぞれの生き方、働き方の変化、
さらには博多駅、天神、中洲と街の中心軸が変化していく。

そうなることで柳町の遊郭から中洲のみつばちを始めとした
「高級クラブ」、ミナミを始めとした「キャバレー」、戦後すぐの
「福岡国体」(平和台球場と今の国体道路はこの時できた!!)以後
生まれた南新地の「トルコ」(いまのソープランド)街、へと
歓楽の内容が細分・変化したがゆえに立地は移動し、
現代ではキャバクラ・ラウンジ、セクキャバ、特浴、ヘルス
デリバリーヘルスというものに代表される「ゆるくて、ふわっとした」
存在にまで細分・変化してしまった。

これらすべての細分・変化を加不足無く、さらに重すぎず、軽すぎず
「エンターテイメント」というもので見せる。
さらには福岡、及び日本を背負って立つ若き力まで引っ張りあげて
きちんと「戦力」にしている、マジで凄いわ。
プロフィール

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