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KAKUTA 「ひとよ」@豊橋公演

「父帰る」というか、「母帰る」だったのかもしれない。

 コロナウィルスになってから、お金があって、社会的信用のある人「しか」
エンターテイメントを享有できなくなった。

 ・・・だって、ローソンチケット取り扱いの一部とJリーグチケットは
携帯電話料金に上乗せしてチケット代を払うことができる、おんなじ仕組みで
演劇の配信(そういえばCapriの時空の滑りが織りなす恋愛もそのシステムだった)も
あるにはあるけれど、世の中のほとんどのキャッシュレス決済は「借金前提の」クレジットカード
じゃなければ、誰も、どこも、相手にしてくれない。

 SMBCとか、JCBが発行する銀行デビッドカードだったら楽天市場などは相手にしてくれる。
しかし、鉄道会社、チケットぴあ関連(どうしてチケットぴあはd払いを導入しないのだろう?)、
あとなんだ、そう言うところは銀行デビッドカードなんて相手にしてくれない、変更やキャンセルが
ややこしい、と言い訳するがそこはうまくシステム…何も言うまい。
SMBCやJCBの発行したプリペイドだったら、もっと相手にしてくれない。
デビットやプリペイドは「対面販売」でなければ力を発揮しない、とコロナ禍で強く感じた。

 だとしたら、演劇やエンターテイメントよりも、今はじっくり自分の根っこをよりよくしたい、
根っこをよりよくするための妨げをなんとかやり過ごし、一年半以上じっくりやって
こないだひとつの成果、というものを見せて、出してきた。

 そして、「ひとよ」という演目が映画になり、あれっ、実演見に行ったっけ?
スカウティングメモ引っ張り出して確かめてみるが「跡々」ともう一本は
KAKUTA見に行っていた、けれども「ひとよ」は行っていなかった。

 久しぶりに遠い所の空気も吸いたいし、近鉄特急の積立金カードも取りに行きたいし、
あわよくば大阪から入って「ひのとり」で名古屋に入って、なんだかんだしたいな、とは
当初は思っていた。
しかし不安感がじわじわとやってきて、ジェットスター名古屋往復にしよう、と
予定をまとめ、金曜名古屋入りの日曜終演後福岡に帰る、という日程でまとまりかけたが、
今度はジェットスターが便そのものを減らしにかかり、日曜間に合うか間に合わないかという
行きの便、月曜早朝の帰りの便を提案され、より一層不安になって出発当日を迎える。

 結局、中部国際空港第2ターミナルの降機口からターミナルの出口までが経費節減の折、
エスカレーターや動く歩道なしの階段クロスカントリーに困り果てたところに一度上に上がらないと
名鉄の駅にたどり着けない、ということもあり、2日間の名鉄フリー切符を買い、特別車座席券を買い、お茶を飲みながらホームの上で劇場さんに「遅れます」の連絡を入れて心を整え、電車に乗る。

 豊橋について、駅からまっすぐ劇場に着き、登録作業をして、びっくりするくらい良い対応で
席に着き(これが本当の「蛍さん」の仕事だった!)今そこにいる日常とは別の日常を実感する。

 ざっくりいうと、このお話は「機能不全家族の破壊と再生」というものが肝なのだ。
そして、どんなに家庭の中が機能不全に陥っていても金や地位があるから外から見て
「このおうち、ちゃんと機能しているじゃん」と見えてしまうのかもしれない。

 加えて、「タクシー会社」という「緩衝帯」や「防波堤」のような
「信頼できる、信用できる、安心できる」場がそこにできているので、
そうそう悪いこともできないし、誠実か、不誠実かよくわからないが、関係も長く続く。

 そういうなだらかな関係を見ながら私にはあるお話が頭をよぎる。
「あれっ、これ菊池寛の父帰るを現代にアレンジしたやつだ」
「著作権切れていたら青空文庫に所蔵されているし、著作権が切れてなかったら
明日本屋に行こう」というふたつのことを考え、帰りの空港で父帰るを初めて読み、
あれ、短編小説か、と思ったら短編戯曲だったんだよな、本当に構造が一緒だった。

 「ひとよ」は母がDV野郎たる夫を成り行きで殺して、刑務所に入って、出所するが
家に戻るにはいたたまれ過ぎて日本全国を放浪するけれど、「生き場所」を求めて
また家に帰る、家に帰ってどういう作用が起こったか、というお話。

 対して、「父帰る」は興行師の父が好きなことをやりすぎてしくじって、
どうにもならずにこれまた日本全国を放浪するけれど、「死に場所」を求めて
家に帰ったものの、息子の「憤怒と憎悪」がすべてを台無しにして…というお話。

 家庭が機能不全だと、いろんなことが歪んでしまい、何もかもがうまくいかなくなる。
それを解決するのは「殺人」をはじめとした「破壊行為」なのかもしれない、と
思い込んでしまう、実際「父帰る」は父を追い出すという「破壊行為」をして、
「ひとよ」はDV夫を本当に殺し、嫌みなことばかり言う姑も殺した、
そして、飲酒依存と薬物依存のダメおやじも「手に掛けよう」とした。

 本当に、人間という生き物はどんなにまともでも「憤怒と憎悪」の記憶があれば
「憤怒と憎悪」の対象が目の前にいれば、どんな残酷な事でもやってのける。
わたしだって、一つ間違えていたら本当に残酷で取り返しのつかないことをしていたのかも。


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Author:itumo25254you
演劇を見て、感じて考えて書いていきます。
ひとつの言葉が次につながるきっかけになりますように。

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