野田地図 「MIWA」

「歴史」と「人生」の旅人になった130分。

 ここ最近、世の中にある全ての物や事が「彼の人」に、
否、「彼の人」へと引き寄せられつつある、というか引き寄せている。
・・・こんな話を当の本人がうっかり耳にしたら「言葉使いに気をつけなさい」と
あの上品かつ、重みのある口調で言われてしまいそうだが。

 自分を東京という「感性の戦場」に引っ張り込むきっかけを作った
あるノンフィクションライターさんが久しぶりに出した本も
「彼の人」のことを扱った内容だったし、自分も自分で「彼の人」の
精神空間が傍らに存在している日常を生きている感じがする。

 ・・・そう、「彼の人」の名は「美輪明宏」、またの名を「丸山明宏」。
池袋に行って、そういうお話を見に行くように「縁」というものは
「仕向けられていた」わけか。

  北九州芸術劇場というところは大きいハコ、中くらいのハコ、小さいハコの3つに
分かれていて、大きいハコは「ホール」、中くらいのハコは「シアター」、
小さいハコは「プレイハウス」と英語で表記されている。
しかし、東京芸術劇場は大きいハコは「ホール」、中くらいのハコが「プレイハウス」、
小さいハコは「シアターイースト」と「シアターウェスト」。
どこがどう違うのだろう、と考えながら、開演前の変な重圧感を感じることなく
アシッド感の強そうな客入れ音を聞きながらいろんなことを考えているともう本編。

 これって、「精子」だよな、「受精」だよな。
「踏み絵」という形はとっているが、「リボンの騎士」の冒頭部、
神様がこれから生まれいづる魂に「男性」か「女性」か与えるところを
野田秀樹の「感覚」でやるとこうなるのか。

 「リボンの騎士」は「お家騒動」という「戦場」に「武と剣」で戦いを挑む。
対して「MIWA」は「日常」という「戦場」に「音楽と歌」で戦いを挑む。
さらには「不思議の国のアリス」という「果てしなき追いかけっこ」や
「鬼という相手のいないかくれんぼ・鬼ごっこ」というふたつの「虚構」があり、
この2つの「虚構」を包み込むようにイエス・キリストの誕生、
「三島由紀夫」と「赤木圭一郎」というそれぞれの「リアル」が存在している。

 かつて、自分は越路吹雪の歌を「鉈の切れ味」と表現したことがある。
そして、今回は美輪明宏の歌をあらゆる意味で「斧の切れ味」と表現したい。

 だって、一つ一つのことばや物語を感じるとき
「奥歯」に力を込め、手をぎゅっと強く握り占めているほど
心に引っかかる「切れ味」の「重さ」が半端ない。
切れ味も、重さも半端無いから、気がつけば自分の心の傷に
自ら指を突っ込んでいた感覚がする。

 さらには、「強さ」というものが生み出す「毒」と
「チャイルディッシュ(稚気)」が「男」という存在そのものを
滅ぼしてしまうのか、という「事実」までも見せつけられる。

 時と場合によっては「チャイルディッシュ(稚気)」
というものは魅力的に映ることがある。
しかし、ある時期を過ぎてしまえばその魅力が
通用しなくなってしまうことが多い。

 いつかはわたしのかたすみにある「稚気」を棄てる覚悟を
持たなければならないのかも。
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