九州戯曲賞リーディング公演 「タンバリン」

We are the Champions of the"World"!!


 ごとーかおるさんもごとーかおるさんだ。
今までいた劇団を離れて、新しい劇団を立ちあげなければいけないほど
「表現したいこと」が漲りだして、このエネルギーを戯曲という形で
原稿用紙に文字でぶつけた。
 ぶつけた結果が「九州戯曲賞・大賞」だったのか。

 ギリギリまで「リアル」を追求し、ここにおしゃれな感覚を加えるという
戯曲の作りになっているから出演する演者にボクシングの技術を
「インストール」してからこの戯曲を「作品化」という形にしてしまった。

 驚いたのは技術指導という形で”sparky-K”、もしくは「鬼塚勝也」という人が
こういう形で「演劇」の中に入ってきたこと。


 この物語を高山力造という福岡で一味違う「身体言語」の持ち主が
どう扱って、あたらしい化学変化を見せるかが今回の肝。


 演劇をやり始めてから、ボクシングやレスリング、柔道を始めとした
すべての格闘技は「コミュニケーション・スポーツ」である、と
いうことがわかってきた。
ついでに、演劇は「コミュニケーション・アート」なのだが。

 人は誰しも「本能」だけで動いているわけではない。
かと言って「理性」だけでも動いているわけではない。
「殴る」や「蹴る」、そして「組む」という「身体言語」というものを使って
相手と「会話」をしている、ということはもしかするとわたしたちも日々の労働で
「黙々と働く」という行動を通して格闘家と同じことをしているのかもしれない。

だからこそ、この「会話」をより良くするために
身を削るほどの修練や鍛錬を「生活」としているのだろう。

 故に、「格闘技」は突き詰めると「哲学」へと変化していくのかもしれない。
このことは「嘘」や「ごまかし」というものを「排除」する作業を必要とする。
というか、「嘘」や「ごまかし」というものは一体どこから来る?

 このことを突き詰めたらある一つのことに辿り着いた。
「建前」と普通に呼んでいる
「しゃべる」言葉や「文章」などで「表現」する言葉と
「本音」と普通に呼んでいる個々の「からだか発している」言葉の
齟齬、というかずれ、溝、が「嘘」や「ごまかし」になる。

 というか、やっぱり「本音」も「建前」も戯曲の中には「残って」いたか。
goto版では女性4人芝居で、「からだの中から出た本音」のセリフ部分は
きちんと言葉にしていたけれど、異性たる「男」のセリフ部分や、
「建前」のことばを「タンバリンの音」で表現していて、その具合に唸らされた。

 高山力造版は「本音」担当と「建前」担当を分けて、
「建前」担当に「仮面」を付けさせて「からだ」で喋らせる仕掛けにした。
タンバリンの音は「本音」と「建前」のズレや齟齬がもたらす
「心のさざめき」として使っている、ここにも唸らされてしまう。

 「本音」と「建前」の齟齬やズレを「消していく」過程を
ふつうの生活を生きている、普通の女性に落としこむ。

 この心が折れそうなほどしんどいことや
他者とボクシングで会話をするという希望、
寄る年波というものが「その希望を容赦なく打ち砕いたこと、
嘘をつかず、ごまかさず「出しきった」充実感、
「恩師」でもあり「血は繋がっていないが、母」でもあるという繋がり
それぞれをを再確認し、歩みはゆっくりだけれど
また「新しいわたし」へと進んでいく。
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