Hall Brothers 「となりの田中さん」

「努力のやり方」はひとによって違うのかもしれない。

 ここ数年、自分はハンバーグ工場と演劇の仕事で悩んでいた。
「わたし」と「他者」と「異者」の関係性、というものについて。

 演劇の仕事だったら、今現在の「わたしのしごと」についてしつこく
「良くない」言葉を吐きかける厄介な人がいて、ハンバーグ工場に
働きに行けばなんか「自分の世界」をだらだらと話している人がいて、
「お願いだからわたしの人生を邪魔しないで」と叫びたくなる。

 このことに対して叫ぶことなく、
月いちで考え、話して演劇とハンバーグ工場の仕事に活かして
いくようにひとつの流れができつつはある。

 そんなことはさておいて、久しぶりにぽんプラザ。
あの空間にまさしく「フラット(集合住宅)」を作ることができている。
さらには調度の塩梅が「四者四様」の生活具合。
しかもこの空間に存在する苗字がすべて「田中」姓。
当たり前すぎる苗字だからか、どこか尋常ではない空気が冒頭部から。

 当たり前すぎることなのだが、苗字が同じでも「人生」が違う。
逆に言えば「苗字が同じ」だから「人生の違い」がくっきりはっきりと見える。
さらには「空間の基本的なつくり」が「フラット(平等)」だから
これらの夫婦が「どんな人生を歩いて、出会って、くっついたか」が
うっすらと見えてくる。

 人間って、「違い」というものがうっすらと見えてしまうと
その「違い」がどういうものなのか気になってしまうものだ。
次に「違い」というものを知りたくなって「相手」の「生活」に
土足でじわじわと踏み込んでいく、そして「おなじ感覚」を持つ
「他者」なのか、「違う感覚」を持つ「異者」なのか選別をしてしまう。

 選別をしなければ対策の立てようがないことはよく分かる。
けれども、「わたし」がどういう人間なのかわからないままだと
「境界線」の引き方について精度と密度が曖昧になってしまう。
目の前の人はこういうふうに立って、居て、振舞っている。
けれども、私は同じ状況ではこういうふうに立って、居て、振る舞う。
その違いを掘り出してくれる人がこの空間には居ない。

 居ないから問題に対するアプローチ、責任の所在が
ぐちゃぐちゃになって結果、「コミュニケート」しているつもりになっている。

 ああ、この空間にいる人達はあらゆる人生の状況で
この「コミュニケート」しているつもりになっていて、
その中で「変わるふり」をして、今まで生き続けていたのだな。

 「変わるふり」をしていると心と体がしんどくて、そのしんどさを
紛らわせるために仕事にこだわり、人生にこだわり、
宗教にこだわり、とにかく、目の前にあることにこだわってしまう。

 目の前のことにこだわっているから「我」と「他者」と「異者」の
関係について「境界線」を曖昧にして、色んな意味で
追い込んでいることに「気がつかない」ところまで見せていた。

 どういう形であれ、みんな「懸命」に生きている。
「懸命」に生きていることを忘れて「他者」はともかく、
「異者」に対して「変わる努力」を「強要」するために
ああだ、こうだ言うことはあまり良くないのかもしれない。

 もし、言いたいのならば、「我」もそれ相応の「努力」をせにゃならぬ。
それ相応の「努力」をしていたらなにも言えない、ということでもあるが。
 
 
何にしても「強要」は良くないのだろう。
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