大池企画「いないかもしれない 動ver.」

人と人の間には、こっ恥ずかしい思い出だらけ。
 フィジカルに個々人の「物語」を載せるやり方は
福岡にあるvillage80%というカンパニーのやり方といっしょ。 
がだ、こっちのほうが演劇としてはアグレッシブ。
心の奥底にあるこんな柔らかいところにまで
「触れていく」ことができるのか、という驚き。
だからこそ、静ver.の方も見たかった。

 私はひとりになった時、いつも子供の時「やらかした」しくじりの記憶が
泉のように湧いてくる、もしくは憤怒や憎悪というものに化けて、
これらの感情を噛み締めれば噛み締めるほどいたたまれたくなってしまう。
仕事の内容が恐ろしいほど激しく、なにか不安を抱えて眠れなくなったり、
食事を摂るタイミングを間違えてしまうとこのいたたまれなさが掛け算で
わたしの体と心全体にのしかかってきて、
「生きてる価値なんてないじゃねーか、早く死にたい」という感情まで
増幅されてしまうといろんな意味で収拾がつかなくなる。

 こんな状態が表演空間自体に再現されている。
いろいろな「思い出」が自分と「他者」を分ける「境界線」を
作っていて、ああ、こうやって私はわたしを守っていたのか
そうしなければもっとひどいことになっていたのかもしれない。
でも、もっとひどいことにすることも望んでいる私も存在する、
このことを改めて知るように仕向けられて物語が始まる。

まずはランドセルをボール代わりにしてサッカーでいう
「鳥カゴ」のムーブマイムを始め、同窓会の「一次会」が
いつの間にか始まった。
まずはお互いの近況報告を当たり障りなく。
その中に、未婚、既婚のお話やら、関西と関東の文化の違いやら
人の生死のこととか、積もる話をしていたらもう時間。
そういう「今」と「昔」が入り混じった空間で生まれた
個々人の意識をきちんと話す相手に込めている。

 「二次会」に移って、今度は「話題」というものを
ボールというものに込めてゆっくり、まったり回しながら
いろんな意識を相手に返しては出し、出しては受けている。

 こう言った作業をやられると子供の頃の嫌な思い出が
じわりじわりと炙りだされて正直、嫌な気持ちになる。
この嫌な気持ちに向き合うことでわたしはわたしになったのかもしれない。
わたしがわたしになるための道具として彼女は「まほうのクレヨン」を使い、
絵を書いて、書き続けることでこの嫌な思い出を何とかした。

自分は、演劇のスカウティングを始めたことで何とかしたのかもしれない。

 結果、みんなそれぞれ、嫌な思い出を持っていて、
その思い出が頭の中からじわじわ湧いてきて、
なんかいたたまれない感覚に襲われる。
そのいたたまれなさを乗り越えたのかどうかよくわからないが
「大人」の関係としてまたはじめてみようと踏み出してみる。

 なんか、自分もある女の子に対する因縁話を思い出し、
「ああ、元気かな」といういたたまれなさを抱え、福岡に帰る。
次の日、下の妹の娘が幼稚園の準備クラスに入った話があり、
その縁でどうやらある女の子と下の妹が仲良くなりだしたらしい。
・・・さらにいたたまれなくなってしまう。
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