非・売れ線系ビーナス×クロサイ 「漂白詩人」

「わざわい」の「はじまり」はいつも些細。
 
 なんともまあ、重たいものよ。
外がものすごく暑いのでどこか屋根があって、
空調が効いているところにハコのドアが開くまで立てこもりたいのだが、
なかなかうまくいかない、その中である仕事をやりこなし、ハコに入る。

 最近の非売れ、というか田坂さんは「近代古典」、それも「短歌」や
「詩歌」というジャンルから「文学の持つ演劇性」に着目しているなと。
この「文学のもつ演劇性」というものをきむかなが自らの持つ
「身体言語」というものを使って「演劇」に起こしている、そんな感じだ。
前回の「些細なうた」もそうだったわけで。

 そういう傾向に川原さんの「教養溢れる質の高い言葉」で書かれた
戯曲、という要素が程よく乗っかってしまうとどんな「化学変化」を
起こしてしまうのだろうか、というのが今回の趣向。

 ・・・のっけから持って行かれた。
「死か」から「鹿」、そして「詩歌(しか)」、
ついでに「詩人」から「死人」という風に「ことば」そのもののもつ
リズムがものすごくいい。

 この「リズム」で「穏やかな日常」から「戦争」という
「穏やかでない日常」というものが持つ狂気や混沌が板の上にある。

 なるほど、狂気や混沌を「洗い流す」が干した端からまた汚されて
また「洗いなおす」必要があるのか。
そういう繰り返しが続くとわたしの持つ何かが何者かに「染められて」いた。
故に「洗濯」は「選択」に通ずるのか、という発見。

 この発見に最近、私達の身の回りで起きている、起きつつある、
「穏やかではない」ことが「ことばの雨あられ」という形で表現できている。

 確かに「ことば」というものは必ずと言っていいほど
人を「傷つける」ことがあり、逆に人をその「ことば」で「助けること」もできる。
・・・だから、手段はどうであれ"goto"「行く」しかないのかもしれない。

 そんなことを考えつつ、わたしが演劇というものに助けられ、
「行きたかったところ」の距離、というものをふと思う。
確かに「9年前」はそこから遠い場所に居た。
けれども今は少し近いところにいるのだろう。

 触発してしまうことばが生まれた。
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