DULL-COLORED-POP 「アクアリウム」

もがかねば、前に進まない、というけれど。

 開演前、ハコの中に入ってみると、「みっしり感」というものが
「すごい」というものを飛び越えて、「えげつない」レベルにまで
高まっている、表演空間を「黒い幕」で全部囲っているからかもしれないが。

 今回も恐ろしいくらい強行スケジュール。
この演目をぽんプラザで見学したのち、キャナルシティの
高速バス停から岡山まで夜行バス、それから高知で演劇大学、
帰りは広島経由で福岡まで戻って、月イチ病院、
ハンバーグ工場の新年会。

 ごちゃごちゃと荷物をぶち込むが、肝心要のスカウティングレポート用の
下書きノート、と言うものの最新版を忘れその一つ前を持ってきている。
まあ、余白がそれなりにあったから何とかなったけれど。

 それにしてもツイッターやらフェイスブックというもので
見学以前、以後のもろもろごとについてオーダーというやつが
うまく出せるようになってはいる。
見学の後、遠くに移動するための手当をするために
いろんな「ことばのパス」が回せるようになった、ともいう。

 こういうことをつらつらと考えていたら、いつの間にか空気が変わって
前説で心をほぐされていると、グレコローマンスタイルという福岡の劇団、
ここの看板俳優、山下晶氏を彷彿とさせる「熱量の高い」刑事さんが
一席ぶちかますようにお話の「背骨」を伝える。

 伝えきったと同時にすべてを覆っていた黒い幕がさっと落ちて
かなりおしゃれなシェアハウスの共用部分が目の前に現れている。
真ん中、目の前にはリアルに魚が泳いでいる水槽。

 季節はクリスマス、シェアハウスの住人が集って、
楽しくやろうとするところから始まる。
この場所、なんか一筋縄ではいかない様子。
若い、商社づとめの女の子が結構広めの一軒家を借りて、
「友達だ」とか言ってほぼ見ず知らずの人を誘い込んで
「共同生活」を始めた、それだけでもヤバイ感じ。

 その誘いに乗った方々もある意味ヤバイ。
なんていうか、「社会」から弾かれて、
ありとあらゆる「居場所」をなくした若者とは
こういうことを言うのだろう。

 「居場所」をなくした若者たちを「居場所のある」方々が「働け、働け」と
責め、「だめな奴は何をやってもだめ」とさらに責める。
その様子が「世の中の断層」というものをこれでもかと見せつける。

 ・・・みんな、たまたまじゃないか。
たまたま「居場所」が見つかって生きているだけの人間が
たまたま「人間関係」というものに難があるだけで「居場所」を
なくした人間を責める、正直、戸惑うのです。

 この戸惑いを「演劇」という言葉に「もがきながら」起こすさまと
さらには「酒鬼薔薇事件」、「秋葉原歩行者天国通り魔事件」という
リアルが混ざり、いわゆる「Z世代」の「噛み合わなさ」とか、
しんどさがじわりじわりと伝わってくる。

 この様子を見ていると、わたしもこういった鬱屈をいままで抱えて生きていた。
そんなことをふと思うのです。
そういえば、12年前、わたしも「人間関係」に難があってある仕事場を
やめさせられることになった。

 というか、いったいぜんたい「まとも」ということがどういうことを指しているのか
まったくもってわからないが、わたしにとって、いまいる場所が「まともじゃない」と
心をよぎったその瞬間じゃなくて刹那、その場所にいることを「拒否」してしまうし、
「拒否」してしまうからうまく人間関係ができなくなるし、当然のこと働けない、
日常生活もできなくなってしまう。

 そうなるとなにか犯罪や問題を起こして「刑務所」や「精神病院の閉鎖病棟」という
「異所」に永遠に隔離されることを強く願い、もしくは自殺を強く望む。

 故に、殺人衝動が夜中ごとにやってきて、家の台所から包丁を持ちだし、
自分の部屋に隠し持って居て、それを見かねた母が近所の墓場に連れ出して
「警察行く、行かない」という話を散々して、自分の抱えている噛み合わなさや
しんどさを吐き出すことでなんとか生きていて、また何らかの拍子で蘇り、
また母と話し込む、その繰り返しだった。

 それから飲んでいた薬を切り、「話すこと」で光を見出す方針を
始め、その流れで演劇に戻って来て、わたしを出していくすべを見つけ、
そうしてわたしはわたしを救っていったのかもしれない。

 この様子は水槽にいる魚たちと同じかもしれないね。
スポンサーサイト
プロフィール

itumo25254you

Author:itumo25254you
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR