劇団ワンツーワークス「生まれた理由」

産まれたから、生きるしかないやね。

 今週も、また熊本。
ゆえに新幹線の手配をぎりぎりまで伸ばしてしまう。

さらにいえば、帰り、終わってすぐ福岡に帰るか、熊本に残って
翌朝帰るか、新幹線にするか高速バスにするか何も決めていない。
というか、もしかしたら公演間に合わないかも、という危険まで抱えている。

 現実は木曜の芸工大での講座から仕事でくたくたの出し殻になった体を
引きずって何とか新幹線に乗り、うまく乗換えが利いて水前寺。

 最近、父が死んだことや、田坂さんの結婚、こやなぎの「できちゃった」、
札幌橋口さんのこれまた「できちゃった」、
ついでに言えば私と「大切な人」との関係というように
この半年、いろんな「産まれて、生きて、死んで」という出来事が多すぎた。
おめでたい、と思うと同時にものすごい「せつなさ」と
いうものまで受け取ってしまう、正直複雑だった。

 「言葉」や「法律」に頼る「結びつき」のほうが
いろんな意味で楽なことはわかっている。
けれども、けれども・・・それに続く言葉をこらえるしかない。

 それにしても、客入れ音のカーペンターズ、心のやわらかいところに染み渡る。
心地よい音が心に染み渡ると同時に前説が始まり、気がつけば物語に入っている。

  「産まれる」ことを通じて「いま、私が生きている世界」が
板の上にありありと存在していた。というか、「産まれる」という
「はじめの一歩」というものを通してその「行為」をする人々が
いったいぜんたいどんな道を歩いてきたか、手にとるようにわかってしまう。

  ゆえに、これらの「集合体」として日本という国の
「現実」もしくは「現状」まで知ることになる。

 みんな、「産みたい」と考えて、思っている、これは「人間」というものの習性だ。
 しかも、私たちが「動物」に近くなっていたころは
「自然の成り行き」に任せていたら、 そうなるようにできていたのかもしれない。
  
 けれども、第二次世界大戦が終わると同時に
私たちは「動物」から離れ、「自然」を「包摂」することをやめ、
「拒絶」するようになり、近代化と利益としての
「経済的」、あるいは「物質的」な豊かさを手に入れた。

 これらの豊かさを手に入れた代償として
社会は高度に「複雑化」、「制度化」されて
「人」は「ヒト」ではなく「モノ」となり、もうどうでもよくなって
ある意味やったもん勝ち、悪く言えば「やけくその投げやり」になってしまっている。

 そうなってしまった時代において、「少子高齢化」というものは必然なものなのか。
「育児休暇」だとか、「子供を産み育てながら自己実現」だとか、
「理想」というものが本当のところは「焼け石に水」で
どうにもならないところにまで私たちは追い詰められているのかも。

 こんなことを私の生まれて、生きてきた「時間」というものと重ねて見てみると
ものすごく重たいし、他者のいろいろな「重い」思いまで乗っかってくるから
一つ一つのエピソードが生々しい。
生々しいから、いろんな感情がまぜこぜになっている。

 わたしたちは「生きている」ということを選んでいるだろうし、
あるいは局面しだいで「死ぬこと」すらも選んでいるかもしれない。
正直、私にとって「今」がベストの人生なのか、そうなのかわからない。
けれども、産まれたから、生きていくしかない。
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