演劇ユニットそめごころ 「赤鬼」

「生きるために人の肉を食べる」から「ひとでなし」?
「生きるために嘘をつく」から「ひとでなし」?


  結論から先にいう。
・・・こういう野田秀樹戯曲の「表現方法」もアリだ。

 実を言うと、土曜昼の部に行くよう手配をしていた。
けれども、金曜日の夜からあまりにも眠り込みがひどくて、
おまけに外に出るしたくをだらだらするものだから
夕方に変更せざるを得ない状況に。

 というわけで戸畑で電車を降りて枝光アイアンまで
とめどなく歩き、ジョイフルでご飯を食べ、
商店街の休憩スペースで寒さをしのぎながら時間をつぶす。

 本当にのこされさんは色々なつながり、というか
「縁」というものをわたしと枝光に残してくれて、ほんとうに有難い。
この繋がりがなければ、わたしはどう時間を潰せばいいかわからないし、
もしかしたらこの街を訪れることがなかったのかもしれない。

 そんなことを考えながらハコの中に入り、表演空間に入る。
・・・こういうアイアンシアターの使い方もありやね。
というか、野田秀樹戯曲を「子宮」のような空間で表現することが
正直、すごいと思います。

 「子宮」のようなものすごくこだわった空間が
「人生」というものがえらく凝り固まっているなぁ、と
思わせる感じに仕上がってなんか一筋縄ではいかない空気が。

 一筋縄ではいかない空気と私のコンディションの悪さが重なって
なんとも言えない状態で物語の中に入る。
あ、野田秀樹戯曲の肝である「身体言語」を補うように
「ことば」がうまく入っている模様。
まあ、強いて言えばもう少し体が滑らかに動けば言うことないのだが。
高都さんのトレーニングキャンプでしこたまやられて、
こないだの高知では敢えていかなかったわたしが言うことではないが。

 このお話は「わたし」と「他者」と「異者」の関係性における
「わかり会えない」切なさがこれでもかと盛り込まれていたのだな。
まず、板の上に存在している4人がそれぞれ、「普通の世界」では
「異者」と呼ばれている存在だったわけで。

 まず、「発達」というものが遅れている、という意味での「異者」、
「嘘を簡単につく」という意味での「異者」、「売春」を生業としている
という意味での「異者」、そして「赤鬼」という「異者」。

 それぞれの「異者」がそれぞれの「違い」を理解したり、
拒絶したりしながら「関係性」というものを作って「異者」から
「他者」に変化させる様子とより大きな「集団」という
「異者」から拒絶され、排除される様子がよく砥がれている
夢の遊眠社や野田地図のような重さはないが、
鋭い切れ味で表現されている。

 わたしたちは生きなければならない、ということは
わかってはいるけれど、その「生きる」ということを
実行するための「手段」について若干の「こだわり」と
いうものがあるのかもしれない。

 そのこだわりがあるが故に、わたしたちは「知恵遅れ」や
「精神障がい」、「発達障がい」、または「詐欺師」、「売春婦」、
そして「外国人」というものに対して「憤怒」と「憎悪」を以って
対応し、排除している、という現実まで見せている。

 こんな「閉鎖的」な場所から逃げ出そうとするけれど、
それぞれがそれぞれを深いところで「助ける」ことができず、
結果、遭難して元の閉鎖的な場所に戻り、「思い知らされて」
すべてを諦めてしまうか、「諦め」を超えて死ぬことを選ぶか。

 「生きる」ことを選ぶか、「死ぬ」ことを選ぶか、
毎日、毎日、わたしたちはこの選択をつきつけられている。
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