北九州芸術劇場 「彼の地」

北九州市というものが丸のまま板の上にある。

 そういえば、「私と北九州」って、「私と福岡」よりも結構長い関係だ。

 というか、母方の実家が北九州にあって、大分中津にある父方の実家と
セットで年末年始、そしてお盆とよく長期間行った、というか、
わたしにとっての「九州」は「福岡」と「大分」、この2つだけだった。

 ものすごく小さい時には小倉の到津ら近辺、すこし大きくなると
戸畑の浅生通り、それから戸畑の牧山、大学は八幡の枝光と平野、
なんだかんだあって演劇でまた枝光に戻り、その他いろいろなところで
「生きて」居たんだな、そんなことを開演前じわじわと思い出す。

 それくらい、表演空間というものがものすごく「立体的」で
戸畑か、黒崎の工場群が頭のなかにふと蘇り、黒崎の化学工場の
煙突からもくもくと出るあの「酸っぱい」匂いまで、とは言い過ぎか。
おまけに、客入れ音からして見手をズブリ、ズブリと「物語」に
入り込ませる、というか染み込ませる空気ができていた。

 空気を十分作った上で「白一色」で演者が表演空間に入り、
ただ一人、「色を持った異質な存在」が最後に入ると本編が始まる。

 人はみな「異者」から始まる、といえば少し語弊があるな、
それよりも「認識レベル」というものを少し下げて「他者」から始まる、
としたほうがまあ、妥当なのかもしれない。

 生活の縮図、即ち「居場所を探し、見つけ、生きていく」という
たくさんの断片をここまで正確に「演劇」という「身体言語」というものに
落とし込まれると「他の場所」から全く「予備知識」のない状態で
「ある場所」にやってきた、というか放り込まれた時の半端ないアウェイ感と
派生する「言いようのない不安」がじわりじわりと蘇ってきて
正直、別の意味で恐ろしい。

 結局、わたしは「何か」を知らないうちに「諦めた」ことで
わたしの「立ち位置」というものを見つけて、その「立ち位置」に
「存在」して「何かを為す」ことで「わたし」がわたしに為っていて、
また、より良き月日の積み重ねを重ねようとしている。
ただ、これらの「現実」と「事実」のみが「居場所」としてそこに在るのだ。

 これらの過程には少しの受容とたくさんの「拒絶」の中で感じる
「痛い」、「苦しい」、「辛い」、そして「うれしい」、というものがあって、
更には様々な「立場」や「役割」がグルグルと入れ替わり、立ちかわり
動いて、流れ回っている様はまさしく「繋がり」というものになってしまう。

 「繋がり」というものを「人の営み」に重ねると不思議にじわじわくる見後感。

 さらに言えば、演者それぞれが今まで使ったことのない「帯域」を
「敢えて」使うように仕向けられていて、ものすごく新鮮だった。
特に高山力造のなんとも言えない味を持ったおっさんとか、
脇内さんの中性的な感じ、タダに北九州弁を喋らせると
親戚のお姉さんだったのか、という発見などいろいろ。

 丸井、再来年には博多駅隣にできるぞ。
・・・なぁに、新幹線でほんの15分だ。
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