演劇・時空の旅 「シラノ・ド・ベルジュラック」

いろいろな意味で、「物語」は生きている。

 この演目の初演を見に宮崎に行った時が
一番幸せな時間だったのかもしれない。

木曜の夕方高速バスで宮崎に行って、
しかも「家畜運搬車」ではなく「フェニックス・プレミアム」だったし、
ホテルはマリックス、付属のサウナもなかなか良かった。

そうそう、食い物も良かったし、演目も「その後のこと」も良かった。
あ、そうだ、この遠征からツイッターはじめたんだった。

 色んな意味でエポックメイキングな旅だったな。
それから「わたし」という存在が広がることで範囲が広がり、
次の年は宮崎で時空の旅のち始発バスで福岡に戻り、
広島で見学、それまた次の年は千年王國で宮崎から
鹿児島、翌々週に宮崎日帰り、深夜に帰り着くと福岡は大雪。
去年はハンバーグ工場の仕事がめちゃめちゃで手配を
ひと月前にやった端からキャンセルしろと、まあわたしも悪いのだが。 

 それはさて置いて、初演時の表演空間は
普通のシアタースタイルでありながら、
全体的な奥行きの深さというものを
使って「古典」という「物語」と響き合わせる。
この響き合いから今回は更に「一筋縄ではいかない」空間の
「つくり」を仕掛けてきた。

 てか、この「演劇時空の旅」という企画自体がいろいろな演劇のトレンドを
取り入れて年ごとに「進化している」ということを強く感じてしまう。
故に、前シーズンの「日本人のへそ」を見逃してしまったことが正直、悔しい。

 さらに言えば、企画もそうだし、この企画に関わっていたすべての人々が
この企画を一時離れて過ごしてきた月日というものがよりよきものになっていた。
「より良き月日の積み重ね」というものを携えて、あるいは離れたとしても
「別の場所」でこれまた「より良き月日」を積み重ねている人々が
「より良き月日の積み重ね」というものを携えて、
また「旅」をするために「再集合」したことが今回の趣向。

 初演を見た時は「愛を奪った」ことに対する「贖罪」の物語を
「演じる」ために作られた「旅の一座」の一部始終と感じた。
多分、その頃はあらゆることがいい按配(と私が思い込んでいたこと)に
対してなかなかうまくいかねぇや、といういらだちを抱え、
「甲殻類」の苗字を持つ某ファッションモデルは何もかもを「手に入れやがる」、
けれども、わたしはその女どもが「たどり着いている」とされる「高み」に
届いているか、届いていないか全くわからなくて、荒涼たる気持ちだった。

 「別々の人生」という空間や演者からにじみ出ていたものが
さらに前から出来上がっていた空間と戯曲に加えられる、ということが
こんなにすごかったのか。

 さらには、「大事な人」が出来たこと、「演劇」というもので「居場所」が
少しずつ出来た、という「事実」があり、気がつけばそういう「荒涼たる気持ち」が
消えて、なくなっていたようだ、そういう時の流れがわたしにはあったことも。

 この2つが重なると「恋と愛」というものは本当に甘く、
切ないがゆえに人を惹きつける様子をまざまざと見せられると、
愛や恋の型は一つだけではなく星の数ほど存在してるのかもしれない。

 さらには何が幸せか、それぞれなのだ、というところまで行き着いてしまった。

 「大切な人」と毎月そういうことを話しているからこそ、いっしょに見たかった。
・・・なのに現実は風邪で寝込んで、それどころではない現実。
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