ゼロソー 「チッタチッタの抜け殻を満たして、と僕ら」

「森沢優」を追いかけて。

 ・・・気がつけば、私はいま、ここにいる。
それにしても、えらい長いタイトルだ。

 ゴム池のあったリトルスターホールから通町筋に出ず、
並木坂の方に出て、菊池電車の藤崎宮前駅、そこから
電車に乗ってひと駅で黒髪町駅、けもの道を抜けて通りに出たら
はあもにい、という「裏ワザ」を使う。
・・・えらく近いが、問題は電車の本数が少ない。
おまけに道が道なので、特に日が沈んだあとはおすすめできないルート。

 たどり着いて、終演時間を確認して、帰りの新幹線を手配して
ゴム池についてのスカウティングメモの続きを書きながら
ドアが開くのを待ち、中に入ると、1980年代後半の空気だった。

 客入れ音からして、わたしがかなり見ていたアニメで使われていた
曲ばかりで、いちばんツボにはまったのが「いただきマンボ」。
てか、「イタダキマン」って、タイムボカンシリーズの中で
いちばん「異質」だったような気がするのです。

 さらに言えば、アートワークス全てが時代を先取りしていたのかも。
「大人の事情」で今まで放送されていた枠を取り上げられて、
土曜日は土曜日だが、「夜7時半」という「春から秋にかけて」は
「不定期枠」という不利な状況に追い詰められ、結果とどめを刺された。

 けれども、この「世界」というものはまわりまわって小演劇の中に
「存在」しているのかもしれない、だからわたしは遠路を苦にせず、
色んな所に行って、見て、感じて、書いているのかもしれない。

 そんなことをうつらうつらと考えるともう本編。
お盆になるとそこかしこから集合して近況報告や、
思い出を話す、「生きている」人も、「死んでいる」人も、
そして「妖怪」という生きているのか、死んでいるのか、よくわからない存在も。

 いろいろな「存在」がそれぞれの「存在」を知ろうとする中で
「チッタチッタ」と呼ばれていたひとりの「知的障害」というか
「てんかん」という病気を持っていた女の子がかつてそこに存在していた。

 その女の子はとても無邪気で、傍目から見たらとてもうざくて、めんどいけれど、
まわりにいる、家族や友達が「垣根」や「隔たり」を作らず、
ごく普通に「接して」、「生きて」いる様子がそこにあった。

 お話の肝は、宅間孝行の「くちづけ」とおんなじ「知的障害者」の現実について
「性的な」ところに触れてはいないけれど、「外部の無関心や無知」が
「偏見」という「刃」となって「知的障害者とその周辺者」を傷つけていた
現実をリアルに見せてしまうからある意味ハードなお話。

 けれども、「1980年台後半」という時代が
「ジェンダーフリー」というかあらゆる意味で「ゆるい」という「フリー」と
言うものが存在していて、この「無意識な自由」が隠し味として効いている。

 この隠し味にわたしはクリーミィマミ、そして森沢優という「女性」の
事を無意識のうちに考え、思っていた。

 ・・・どうして、彼女は突然、わたしたちの前からいなくなってしまったの?
「さようなら」も言わずに、かつて使っていたたくさんのものだけ残して。
なんか、切なくて、辛い想いがわたしの中にもあって、みんなの中にもあった。
それぞれの想いが響きあって、こういう形になった。
故に色々な思い出が泉のように湧いてくる。

 本当に、わたしにとって「劇場」は「われらが家」だったのか。
そして「演劇人」というひとつの「家族」によってわたしはわたしになった。
こういうことを改めて考えてしまった見後感。
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