劇団うりんこ 「妥協点P」

わたしの敵は、外にはない、わたしの「中」にある。

 ものすごく大変だ、というか、大変になってきた。
あれ、2枚はすごくしんどい、さらに堪える。

 さて、ものすごく広いイムズに物凄くシンプルな空間を
しつらえた趣、その後ろにだだっ広い空間が
これまた半端ない空気の塊をもって、今、そこに、存在していた。

 この空気の塊を見ながら、ああ、これからわたしとわたしの周りが
さらに動き始めるのだな、その準備を始めていく。
いくところはいかなければいけないし、そのためには
絞るところは絞らなければいけない。

 まずは4年掛けて「居場所」を固め、「方針」を固め、
「方法論」というか「やり方」が決まり、その中で浮いたり
沈んだりしながら一つの形を作るのだろう。

 お話の肝は「高校の文化祭でやる演劇」をめぐる考察。
学校、という「同調」を強く要求される集団に違和感を
感じることのできる、または違和感そのものを
「表現」することのできる「女子」が「戯曲」という
「爆弾」を集団に「投下」した。

 投下された「教師」という大人たちは自分たちが
今まで「信じていた」ことに沿った「書き直し」を命令する。
「女子」はのらりくらりと時間的にも、内容的にも命令には応じる。

 このやりとり、というか「心理戦」が「同調圧力」という
ものによってガチガチに硬直してしまった「感性」というものを
これでもか、これでもか、と揺さぶっていくように仕向ける。

 がだ、硬直化した感性で心地良く生きてきた人間は
こうして「揺さぶられる」ことは自分の根っこに大きく関わること、
自分の根っこを揺さぶられた結果、「生に関わる疑問」を
生じさせたらえらいことになる。

 故に、「芯に問われていることはなにか」を知ろうとせず、
「生活空間で起きた瑣末な出来事について論じる」という
「妥協」しかやらない、てかできない。

 しかし、硬直化した感性を揺さぶって壊す、ということは
「生に関わる疑問」に答えることから始まるのだろう。
この疑問に応え続けた結果が「芯に問われていることはなにか」を
求めていくことにつながる、ここには「逃げ」という「妥協」は
一切存在しない、と言うかできない。

 次元が違うから、話が噛み合わないんだよ。
話が噛み合わない同士が不毛の論争をするから
時間だけが過ぎていく。
しまいには「うずまきポテト」を売る、というところにまで
いろいろな意味で追い詰められる。

 この様子を見れば見るほど、「日本という国を学校にサイズダウン」した
場所で起きたお話、ということがじわじわと見えてくる。

 だから、日本という国は「可哀想」と世界中から言われるんだ、
という「無言の現実」を思わず受け取ってしまう。

 「自由」って一体何なんだろう、「不自由」って一体何なんだろう、
これらの「何なんだろう」に対応して「表現」は、あるいは「演劇」は
何ができる、というか、どうしなければいけないのか。
突き詰めて言えば、わたしたちはわたしたちの心のなかにある
「同調圧力」がわたしたちの「妨げ」となっている。

 「表現」や「演劇」はこの「同調圧力」を破壊して、
様々な思いや考えをグルグルかき混ぜて、ぶつけあうための
「触媒」になることがこの問いの答えになるのかもしれない。
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