万能グローブガラパゴスダイナモス 「ガラ博」(その二)

すごく心に刺さる、「真夏のひな祭り」。 


ものすごい緊張感のさなかに迷い込んでしまった。
いたたまれなくなって、見えないところに隠れて、
もそもそとパンを食べる。

その前に時間があったので、天神のコナスポで走りこんで、唐人町。
程なくして緊張が解けて、わいわいと雑談をはじめる。
この時間が、なんというか良いリハビリになるんだよなぁ。
最近、ギスギスしたところに身を晒し続けていたからか
ものすごくしんどいことになっていて、演劇そのものが嫌いになっていた。
・・・今はここまでしか言えない。
ものすごく疲れていたから少し休んで、ガラ博からぼちぼちと。

(杉山組)
 結論、女の子は歳を取ってもかわいい。
初手から掴まれました。
立石さんと濱崎さんの並びが、というかイチャつき具合いが
ただとよこやまの並びとイチャつき具合に見えてしまった。
ていうか、始まる前にボーっとしていた時、さっと女の子が
通っていたのを見て、「あれ、今のただだよね」と
よく見ると実は立石さんだった、言うことがあったわけで。
あのふたりも、きちんとキャリアを積めば違った形で
いい年のとり方をする、ということがわかってまあ、何より。
その様子を見ることが出来るか、わたしの命の問題なのだが。

 さて、前置きはそのくらいにしよう。
話を追ってみると、どうやら「タマ」という存在がいて、
その存在をめぐる女の子の諸々話、というのが「芯」として存在していて、
結婚、だとか、妊娠だとか、いろいろな変化がやってきた。
その「変化」に対する不安とかいろんなものを話すために
「タマ」という存在を使って集まったのだろうか。
そうしないと「不安」というものは毒性が強くなって、
この毒は心と身体をおかしくしてしまう。
・・・男はそこのところ、きちんとできひんもんなぁ。

 さらにはこの結婚や、妊娠、というものがいわくつきだったことがわかり、
「実は、わたし男でした」というカミングアウトまで飛び出して、
静かな「混沌(カオス)」とはこういうことなのか、という発見までやってくる。

 で、秀逸は「場」の見せ方。
じわりじわりと「ここは地球ではない」という「何か」を見せている。
「地球ではない」というと、ここは一体どこなのか、と考えるとなにか懐かしい。
・・・そういえば、小学校の何やらかにやらで玄海少年自然の家に合宿行った時、
談話室に少年SF小説があって、近い将来、地球がおかしくなって、
各国が宇宙空間に「宇宙島」という小さな国家を作るお話を読んだな、と。
その「宇宙島」から地球に帰るロケットに乗る「抽選」が当たって、という
お話で「やっぱり、人間は地球からエネルギーを貰って生きている」なんてことを確認できた。

 演者としての杉山さんは「かぶりもの」を取ったら
涼風真世の空気感、特に宝塚歌劇時代の「PACK」のそれと同じだな、と
周年記念演劇祭の「夏の夜の夢」で感じたことがあった。
がだ、書き手として見てみたら、引き出しが数は少ないが
ひとつひとつが広くて深い。
まさか、とは思うが「宇宙島サンフラワー」読んでいたのかもしれないな。
だとしたら只者じゃない、ということを感じてしまった見後感。

(横山組)
 「くそったれな毎日に折り合いを付ける」という意味で、
「ファッションモデル」という商売は存在理由があるわけで。
・・・ああ、また「挑発的な言葉」を使っちまった。

 こらまた初手から掴まれるなぁ。
ガラパでも、外の仕事でも「女の武器」をまったく見せないけれど、
知らない間に独特のフェロモンがチロチロと湧きだしてがただの持ち味。
今回は趣変わって、フェロモンがドッカーンと爆発している。
髪長いし、ローラのようなやばい化粧にやばい服。
・・・言葉悪いがお姫様抱っこして(以下略。
そこに地味編であべが女装している。
あの粘っこいネガティブ、という持ち味に地味な女の服を着せると
どこの会社にでもいる、「何かに深く傷ついたがゆえに地味であることを選んだ」
女の子、という存在がそこにいた。

 この両極端な女の子ふたりが入れ代わり立ち代わり「葛藤」を見せている。
・・・入れ代わり立ち代わり?なにか違うなぁ。
女の子の持つ「ほんとうの美しさ」に気がついた男がいて、
それでも当の本人はどこが「ほんとうの美しさ」なのかまったくわからず、
どこをどう見せたらいいのかわからない、わからないからメディアによって
作られたファッションモデルのような「綺麗」を「美しい」と間違えてしまう。
・・・この「ふたつ」は元は「一つ」だった、ということだった。
てなことをおもうと、色とりどりのお洋服が実はソフトな「鎧」に見えてくる。

 だれもがみんな、ファッションモデルのような「違う自分」になりたいのだ。
人生のあらゆる局面において「積極的」に攻めることができるような立ち位置に。
けれども、現実は消極的を選ばなければいけない状況に陥ってしまうわけで。
そんな「消極的なわたし」を「積極的なわたし」が挑発し、抵抗するバトルがあって、
こんなバトルにうんざりして、疲れ果てる。
・・・「わたし」は「わたし」からどうしても逃げられない。
ということは「いつか」は永遠にやってこない。
だとしたら「なりたい、ちゃんと、でもできない」という「悔しさ」を噛み締め
そして「ちゃんと」とは何なんだ、ということを探しつつ眼前のことに取り組む。
そうすることで「ちゃんと」を超えた「本当」にたどり着くのだろう。
・・・深いよ、深すぎる。
スポンサーサイト
プロフィール

itumo25254you

Author:itumo25254you
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR