ノアノオモチャバコ 「胎内」

ガチ、もしくは、新しい「アングラ演劇」。

 なんともはや、すさまじい空間のつくりだ。
いつもの客席と表演部の中間、仮設の列が数列分入る位置に
主な表演部を作り、いつもの客席、ロールバックのまま黒い幕で隠し、
客席はいつもの表演部に仮設で作っている。

 この塩梅が「行き場」のない「密室感」具合を開演前から
作り上げられていて、「演劇の神様」が厄介な人に対して
「この場所に来ないで」とひっそりと、うまく指し示している。
・・・なんていうか、ああいうことをしたから「演劇の神様」は
その厄介な人に怒っているのかもしれない。

まあ、空気が悪いかもしれないが知らん振りをする。
終演後、声をかける人もいなく、逃げるようにその場を立ち去る
姿を見て、ものすごく痛々しく、可哀想で、哀れだなと。

 可哀想で哀れな様にぴちょん、ぴちょんと水音が客入れ音で
かぶさっていて、不思議な剣呑さを抱えながら本編に入る。

 第二次大戦数年後の混乱期、なにかしくじって東京から
逃げてきて地方の洞窟、というか防空壕に逃げ込んだ
闇商売で一旗揚げた男と女。

 この洞窟、というか、防空壕にはすでに復員兵という
「先客」がいた。

 まずはそれぞれの生々しい欲と俗をこれでもかと見せやがる。
これでもか、と見せていくから人間というものが生きていく上で抱える
ありとあらゆる「負の感情」がどわどわと吐いて、吐いて、吐き出して
吐き出した先の「えげつなさ」が見えてくる。

 「えげつなさ」に加えて、「強い」とか「弱い」とか、
「利口」とか「馬鹿」とかいろいろな立場が
入れ替わり立ち代りする半端ない緊張感の物語。

 ここに、「魑魅魍魎」という「身体言語担当」が
「ナマのからだ」を使ってうまく動き、
いろいろな打楽器を使って「ナマの音」を奏で、
演者の「ナマのからだ」と「ナマの声」を使って、
物語に強烈な「圧力」を加えている。

 さらには「出口」をなくした、という極限状態が
まじ怖いし、恐ろしい、とやけに迫ってくる。

 ああ、これが日本人、欧米人の「死生観」の違いというものか。

 本音を言えば、「おおごと」が起こったあとでも
「ちゃんと生きていかなければ」とは欧米人は言うけれど、
日本人、というものは何をもって「ちゃんと」と思うし、
「大事」が起こった後ほど「死」というものに
引き寄せられてしまう傾向があるのかもしれない。

 ・・・これを物事をわかった「振り」をしている人たちは
日本人、あるいは儒教的思考を持つ東アジア人は
「内向的」思考を持っている、とレッテルを貼る。

 この事実を踏まえていけば、
更に個々人の死生観の違いまで見えてきて、
この違いが生活指針の違いにまでなるのかという発見。

 これらたくさんの違いがグルグルと混ざって、
ありとあらゆる「負の感情」が、「罪」や「罰」が
加わって、混ざってしまうと、あら不思議、
全てが浄化してしまう。

 すべてが浄化すると同時にさあっと幕が開いて、
客席という「山」が現れ、そこを「這い上がる」ように
新しい人生が始まる、再生を選ばず、「獣の道」を歩むものもいるが。
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