プロジェクト大山 「御開帳」

アラサー世代の女の身体言語は美しく、そしてエロい。

 うっあー、という感じだ。
ドアから表演空間に入ると、ミラーボールがキラキラ光る、
全体的な明るさはなにか薄ぼんやりしていて、場末の飲み屋に
迷いこんでいる、それにしても油物を食べてしまうと
体中から揚げ物油の匂いがするようになった歳になっていた。

 このカンパニー、アートワークスからしてキャッチーで
セクシー、それでいて「無手勝流」、あるいは変幻自在、
というものを流儀としていることが良くわかる。

 ・・・なにか、「コンテンポラリーダンス」というものを使って
「エンターテイメント」というものをぶちかましような雲行きだな。
こういうことを考えていると、高校時代、「最後の音楽の授業」が
「成果発表会」というもので、そこでわたしが「歌」というものを使って
「エンターテイメント」というものをぶちかまして、
締めに担当の先生によるショパンの「革命ソナタ」をピアノで弾いて
という、なんとも言えない状況をつくりだしたことを思い出すと本編。

 真っ暗になり、パッと明るくなって、上半身を赤い膜で「隠して」
ポアント(つま先)の芸を見せつけられると、クラシックバレエという
確かな基礎技術が乗っかっている上での身体言語に圧倒される。

 この長年鍛えあげられた、圧倒的な「身体言語」で
「女性」という存在が何を思い、考え、生きているのか、と
いうものを見せつけられると、全てが美しく、色っぽいのを
通り越して「エロス」というものをこれでもか、と魅せつける。

 これがまあ、光と影の塩梅までもが絶妙だからたまらない。

 「たまらなさ」というものを感じれば感じるほど、
「男」と「女」という「特質」は「独立した存在」ではなく、
「わたしという存在」に併存して、時と状況によって
細かく、細かく「変化させていく」ことが本質なのかもしれない。
そんなところまで行き着いてしまう。

 問題は「内面的変化」と「外面的変化」のギャップ、というか
落差、というものをどう考えていくか、「内面的変化」を
「隠す鎧」としての「外面的変化」に対する考察をもう少し深めたい。

 けれども、隙を見せると背中からずぶりと刺される感覚で見るのは
少々、辛く、生きた心地がしなかったが。
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