WET BLANKET 「新・幕末純情伝」

命は短し、恋せよ、愛せよ、懸命に生きよ、わたしたち。

 「いつか、こうへい」だから「つかこうへい」なのか。
それにしても、人類において「自由」っていったいぜんたい
何なんだろう、「平等」っていったいぜんたい何なんだろう、
これらのことを「被差別者」と「差別者」の観点から命をかけて
わたしたちに語りかけたかったのだろう。

 公開稽古の時点でとーいはとーいらしさと
つかこうへいの思いのどちらも盛り込みたかったのかも。

 そういえば、「桂小五郎」を使って
「泥を喰わなければどうにもならない」という開き直りが
「泥を喰っていた過去」を忘れてしまったという、気がつけば
「被差別者」から「差別者」にいつの間にか立場が変わっている
エピソードにも尺を取っていたわけで。

 がだ、つかこうへいの言いたかった「差別者」と「被差別者」の
関係性まで盛り込むとしたら恐ろしいくらいの密度と精度で
やっていくのか、時間自体をかけていくのか、そのどちらかしかない。

 さあ、本番の時、どうするか、そんなことを考えていたら
チケット手配に出遅れてしまった、という現実がそこにあった。
辛うじて追加販売に間に合ったものの。

 まあ、この時期は心と体の調子がよろしくないことと、
ヤフオクドームの交流戦、しかもタイガースと、そこに行こうか、
別府の開設記念競輪、別府温泉保養の旅を兼ねて本場にいくか、
サテライト中洲でボチボチやっていくか、
このふたつを前提として考えていた、故に夜の非売れまで
時間を空けていたことに、とも言う。

 そういったことをすべてぶっ飛ばして、万難を排して行くようになるとは
やっぱり、いつの間にかすごくなったわ。

 事実、凄くシンプルな表演空間で、いろいろな「立場」や「性質」が
生きている「空間」でクロスオーバーして「社会」は成立している。
そんなことを感じさせてしまうくらい、「差別者」と「被差別者」、
各々が見ている「世界」は斯くも違うのか、ということが
板の上に存在している。 

 新撰組って、実は「被差別者」が今現在の境遇から
「抜け出る」ために自らを「変化させていく」行動のひとつであり、
この「被差別者」が起こした「変化していくための行動」を
「差別者」が自らの「支配」を「さらに強化していくための行動」へと
「利用」していったことをうまく見せている。

 ・・・いいトリミングの塩梅だ。
だから、「差別者」は「支配」というものを盤石にすれば
「被差別者」の「変化」を「テロリズム」と切って捨て、
「掃除」という「排除」をやってしまいがちなのだ。 

 ゆえに、自由とはあらゆる縛りや制約を取り除く、ということを
知っている「坂本龍馬」という「女性性をもった男性」がいて、
「沖田総司」という「男性性をもった女性」がいて、
この「混ざり具合」から来る「自由」と「平等」の体現が
「男性性をもった社会」と「女性性をもった社会」の対立軸と、
「差別者」が持っている「女性性」がいかに社会を変にさせているか、
「被差別者」が持っている「男性性」がいかに自らを滅ぼしていくのか、
さえも眼の前にさらけ出されている。

 「命短し、恋せよ乙女」、「命短し、故に懸命に生きろよ、若者」
というメッセージをもらった見後感。
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