自宅劇場文化祭 「守祭2014」

これぞ、「おとなの文化祭」という空気。

 つくづく、まあ、わたしはダメ人間。
前の日は前の日で思うところあって久しぶりのビアガーデン。
程よく飲んで、なんだかんだして、家に帰り着く、そして寝る。
早起きするものの、またいつものように下のソファで寝る。
やばい、と気がついて、というかもろもろ慌てて家を出る。

 さらには、初夏の空気がなんとも言えず、水分がほしいなと。
それにしても、炭酸飲料等の大量摂取は砂糖のとりすぎであまりよろしくない。
となると、脳みそがゆるゆるになるリスクはあるが、そこにはビールというものを
「金麦」というやつもあるが、あれは良く出来た「ホッピーセット」だ、体調次第では
ヤバイことになるぞ、だったらスーパードライだな。

 そうなると、気がつけばひとつ間違えるとたちの悪い「呑んだくれ」に・・・。

 そういえば、「自宅劇場」というところに行くのは何年ぶりか?
色々と不義理ばかりしていて行っていないことに気がつく。
で、ことしは鹿児島からLOKEが来ているから余計に行かなければと。

 JR九州のネット予約は自由席の「2枚切符」の料金で
指定席に入れてくれる、それはそれでありがたい。
がだ、どういう会社かわからないが、どういう団体かわからないが
いろいろな意味で「お行儀」が良くない。
・・・多くは語りたくないのだが。

 で、行橋で普通電車に乗り換えて、新田原で降りて、
ふんだんに道に迷い、雑談してドアが開くのを待つ。
なんか、チケットが「花輪和一」調のイラストでなんだか不思議だ。
・・・もう、季節は夏なのか。
一通りの床の間、外からはさわやかな風、まあいい感じ。
緑がやけに多いからなのか、それとも、人工物が少ないからなのか、
ここに来るとえらくホッとするのです。

 そんなことを感じながら、前説、カンペの「のぞき込み方」に
わたしが父の葬式、「最後のご挨拶」で同じことをやったよな、
本当は「わたしのことば」で始め、「わたしのことば」で〆るように
する予定だったのが、なんていうか、思うところあって、
葬式屋が出したコメントを少し使うようにした。
そんなことを思い出し、感じながら滑らかに本編へ入る。

今回の参加カンパニーはこう言う感じ。

(A組)
演劇関係いすと校舎(行橋市) ワンチャンあるで!(北九州市)

(B組)
劇団LOKE(鹿児島市)LAY-OUT(北九州市)

 それぞれ1カンパニーあたり30分の作品を見せていく趣。

演劇関係いすと校舎(行橋市)
 意表をつく、導入部。
いつもは見手が入るところ、要するに「家の玄関」から
フッ、と人が入ってきて、「お供え物」のおせんべいを食べていた。
それを知ってか知らずか、兄が客間で昼寝をしようとしている。
妹は妹で「向精神薬」らしきものを飲んでいる、なぜだ?

 それにしても「生活感」というものが
「階上で繰り広げられているカオス」というものまで
高い精度と密度まで再現されている。
これを踏まえて物語を追ってみると、どうやら「唯一の肉親」である
母親を亡くして間もない、という時の出来事、だったのか。

 そういえば、わたしもわたしで去年の秋、父親を亡くしたが、
これよりも母親を「先に」亡くしたほうが精神的に堪えるのだな。
だから、兄は兄で「何か」を引きずっていて、妹は妹でパニクっている。
ここに、何かをほぐそうと「自然児」がセミやら何やらを持ってきて
精神的に堪える状況をほぐそうとする。
ダメ押しには外でお肉焼こう、お肉、というものだから(以下略。

 ・・・うん、見れば見るほど、一通りの出来事が記憶としてよみがえる。
あのもろもろごとをどうやって「紛らわせた」のか、思い出せない。
ただひとつ言えることは「仕事」と「演劇」があったからだろう。

 なんだかんだいっても、「次」へと進み続けるしかないのだ。
「進み続ける」ために「別れなければいけない」、
これが「本当の別れ」なのだろう、この事実にはっとさせられる。

 というか、ここのカンパニー、「連続ドラマ」のような作りを
「守祭」で試しているのかな、ということを感じた見後感。

ワンチャンあるで!(北九州市)
 インターバル短いなぁ。
地球上で「最高のイベント」は一体何なんだ?
五輪、それともサッカーW杯?
・・・ある意味正解で、ある意味違うのかも。
「遭難した」とはいえ、「地球外生物」が地球上にやってきた。
そうなると、彼らを「歓迎」することが「最高のイベント」になるのだろう。

 お話はこの「宇宙人歓迎式典」から一年後の話。
家とか、仕事とか「生活に必要な一通り」を用意して、
まあ、それなりに「生活」はしているのだが、「何かが違う」と
うまくいかないことも、逆にうまくいくこともあるわけで。

 この「上手くいく、行かない」を決める一つの要素は
「男性的」な部分と「女性的」な部分、どう匙加減を取るか?
しかし、この匙加減というものは「わたし」が調整しなければ
いけない部分と「外的要因」によって変化するところが存在している。
ここがものすごく上手いし、上手いからぶっ飛んでいる。

 「外的要因」によって変化するところって、
もしかしたら「利用されている」ということなのかもしれない。
「利用されている」から「うまくいっている」、「利用されていない」から
「うまく行っていない」、ただそういうことか。

 こんなことを観察して、「二階からはしごを外す」と
「争い」というものが始まる、ここが正直怖いのです。

劇団LOKE(鹿児島市)
 人の心はいつも晴天ではなく、時折雨が降っている。
てか、時と場合によってはいつも雨が降っている。
なぜ、雨が降っているのか、この雨はいつ止むのか、
正直、当人にも、周りにもわからない。

 わからないから、いつも心と体がずぶ濡れになって
とても、とても心と体が冷えて、情けなく、辛くなってしまう。
さらには通る道まで限られてくると余計にしんどくなる。

 こう言う行き場のない感じがギターや木琴、カホンという
「圧のある生音」、「岸田國士のにおいのする戯曲」、
そして「身体言語」の3つがうまく混ざり合って、
「母の愛」というものが受け止める、という隠し味が効いている。

 はじめて福岡にやってきた、それが凄い。
そして、「私達はこう言う身体言語を携えて、
 こういう持ち味を持っています、オファー待ってます」という
アピールが何とか出来ていた、次に繋がるようにしなければ。

LAY-OUT(北九州市)
 表演空間、一面に造花とはいえ、お花がいっぱい。
おまけに女の子という「お花」もいっぱい。
・・・これは歌舞伎の演目、「保名」というものなのか?
わたしは演劇というものを始めたときに博多座で
こないだ亡くなった團十郎のやつを見た、ちょうどこういう空気で。

 その空気を色々なサイズの違う男女で表現すると
こんなふうにお話が「化ける」のか。
下衆に言うと春の「花見」の感覚で「女子」というものを
眺めると、なんだか不思議な気分になる。

 この「不思議さ」というものが気がつけば
「人の一生」というものにまで、物語が可変していく。
可変してしまうと妙に心に何かが突き刺さる。

 ・・・人はどうして花を育て、飾り、眺め、贈るのだろう?
何か「不思議な力」というか「不思議な空気」を取り入れるために、
取り入れて、心の風通しを良くするためにそうするのかもしれない。

 最新鋭の身体言語といい、古典と現代の融合といい、
「ガチのホームドラマ」、この空間が「なんでもあり」に化けた。
そう仕向けた守田さんのチョイスがなんとも言えない。
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