ミナモザ 「WILCO」@日本劇作家大会豊岡大会公開稽古ver.

「戦争とは経済」でもあり、「戦争は自己表現」
さらに言えば、「戦争とは人生」なのかもしれない。


  わたしたちは「人を殺す」という手段の他に
より良い「やり方」を未だ、見つけて実行できずに居る。

オリンピックだって、サッカーのワールドカップだって、
スポーツはみんな「戦争や軍隊」の「価値観」をズルズルと
引きずり続けていて、そういったものに「別の価値観」を
見つけてない。

というか、日本民族は「内部闘争」という形で
他者を「殺した」ことはあるが、「民族生存」のため
侵害する異者、という存在を「殺して」生き残ったことがない。

 その差が「決定力不足」とか、なんだかんだと
言われるものだから一体どうしたものか、思案投げ首が数年。
というか、ワールドカップ・サッカーだって、五輪だって、
「戦争」というものの「代替行為」じゃねーか。
そんなことを思うと、ずっと抱えていた「力み」がいつの間にか取れていた。

 こういうことをつらつら考えるといつの間にか本編。

 ・・・「サバイバルゲーム」、いわゆる「サバゲー」、
その室内会場「バトルフィールド」からお話が始まる。
「アウトなのか、ノットアウトなのか」というところで色々話がこじれて
仲間割れしてしまう、そして殺人、からようこそ、物語へ。

 次はある「暑いところ」での「リアルな」戦場。
「助ける」立場と「殺す」立場が混ざり合うことで
ある種の「気持ち悪さ」がじわじわと湧き始めてくる。

 この「気持ち悪さ」を抱えて、自衛隊の「現実」を見せて、
「彼」がなぜ「戦い」じゃなかった、「戦争」というものに
身をおいたのか、子供の時の「思い出話」から
ゆっくり見せていく。

 そして「彼」は「フランス外人部隊」という「傭兵組織」の
取っ掛かりに入隊し、そこで技術を学ぶことになる。
というか、これが「今現在の戦争」というものなのか。
何者かを「征服」するのではなく、ただ「お金」のために
壊して、殺す、そして奪う、そうしなければ「経済」というものが
回っていかないほど、経済は硬直化し、疲弊している現実。

 ・・・確かに、「軍隊」という組織に入れば、訓練や
人間関係で嫌な思いはするけど、住むところも、着るものも、
食べるものもある、おまけに結構なお金ももらえる。
けれど、わたしが毎朝毎夕自衛隊の駐屯地、正門近くを
歩いて思うが、覇気、というか生きているのか、死んでいるのか
よく分からない人の群れを見たら色々と考えてしまう。
考えてしまったがゆえに外へ出たのだろうか。

 けれども、「外へ出た」としても結局はどこももおんなじだった。
人間である以上、住んで、食べて、来て、生きていかなければ
いけない、そうなると「生きるリズム」は多かれ少なかれ
似通るのは道理。

 けれども、わたしたち「日本民族」、もう少し広げて
「東アジア民族」の殆どは「自らの生存」を懸けて「異民族」を
「殺した」経験、というものが全く無い、とは言いすぎだが、
殆ど無い、「無い」が故に「自らの手」を「使って」、「人を殺す」と
いうことに慣れて「居無い」、慣れて居無い「齟齬感」から
産まれる新しい「苦しみ」がじわじわと心を襲う。

 というわけで、「わたしはひとりも殺せなかった」。
散々「人を殺す」訓練をして、欧米人やアラブ人、
その他の「生存のために人を殺したことのある」民族のように
「ためらいなく引き金を引く」準備はできた。

 「人を殺す」から、何時かはわたしも何者かに
「殺される」という「覚悟」もできた。
その覚悟があるからわたしはわたしでいることができる。

 ・・・なのに、現実は何一つ「覚悟」を成し遂げることができなかった。
何一つ「目的」すらも成し遂げることができなかった。
というか「何もしたくない」を格好つけて言ったからこうなっちゃった。
なるほど、軍隊体験者に少なからず「自死者」が多い理由の一端が
よく分かった、そして「戦争や軍隊」という「必要悪」の存在も。

 この「現実」に立ち向かって、粘って、やり切ることが重要なのだ。
今回は「公開稽古」ということで、8割の出来だったが、きっちり伝わっていた。
本番はどのような化学変化が起こるのだろう?
 
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