HANARO project vol1. 福岡/釜山 劇団・作品交流

日本と韓国、福岡と釜山。
少しずつおんなじで少しずつ違う。


 ハンバーグ工場の仕事を終わって、博多駅からバスで
薬院にダイレクトで到着。

 薬院、というと「福岡麺通団」なのだが、今回の場所は麺通団と
通りの反対側、けれどもわたしは「麺類の口」になってしまっている。
そういえば、場所の近くに番頭さんやらさかせがうまいうまい言うてた
うどん屋があったな、寄ってみるか、と思ったら音楽ライブのため
今日の夜の部、うどん、そばの提供はなし、18時から開店。

 でも、わたしの口はより一層「うどん、そばの口」になっている。
・・・仕方がない、薬院といえばウェスト一択。
冷やしのおろしぶっかけそばに今回はちくわ天で落ち着かせる。

 そばを食いながら今回のトータル興行時間について考える。
そういえば、「四畳半の翅音」はガチで演ると90分だよな、
韓国側の戯曲も90分サイズのものを持ってくるとして
そうなると180分の興行になる、とすると19時半開始で
・・・終わるのが22時半?こりゃ大変だ。

 そんなことを考えつつFUCAへと歩き、その中にある
カフェでまったり茶などしばきながらメモを作り、
その中でもそもそと雑談する。

 今回の趣向については主催者発表を引用することがベストかな。

"福岡と釜山の文化交流事業として、
福岡側は2011年釜山日報新春文芸戯曲部門当選作品
『クリスマスに30万ウォンと出会える確率』(作:オ・セヒョク)を、
釜山側は第三回九州戯曲賞大賞受賞作品
『四畳半の翅音』作:島田佳代(演劇集団非常口)を
それぞれ製作し、福岡・釜山で同時に上演致します。"
(引用終わり)
 
 「釜山日報」いうたら福岡でいう「西日本新聞」で
福岡市総合図書館にも1階の「新聞閲覧室」ではなく、
2階の外国書籍コーナーに置いてあって、昔はよく読んでいた。
「広州日報」や「北京晩報」を読むついでに写真だけ眺める、
ついでに広告も、という感じだが。

 となると、「西日本文学賞」の「戯曲部門」というやつが
釜山にはある、ということか、目からうろこやね。
規模やレギュレーション、そして賞金「総額」はどんな塩梅なのだろうか、
すごく気になるがハングル、という壁がなぁ。

 九州戯曲賞も、すこしずつ「ステイタス」というものが上がりつつある。
規模、というか、参戦数は公表していないから掴みようがないが
ツイッターやら何やらで「一次審査」通過したが「最終選考」には
引っかからなかった、個別選評読んでる、という話をちらほら聞く。
レギュレーションは前シーズンに九州「在住者」が「書いた」30分以上の
戯曲(400字詰め原稿用紙=1分換算)のみ、賞金は大賞50万。

 こういう風に「九州戯曲賞」というものを媒介にして
「戯曲」という「言葉」をまずは「音」として「立ち上げ」て、
次は「角度」を変えて「音」にする、さらには「演劇作品」として
「立体」となり、とうとうわたしたちと「違う」感覚で「立体」として
「立ち上がる」様子を見る。

 いろいろな意味で、「演劇」という「旅」が始まり、そして続いている。
願わくば「戯曲」という「言葉」の奥底にある「何か」を共有できたら
この「旅」にも意味がある、と思えるのだろう。
 

 そんなことをじわじわと考えたらもう本編だよ。

「四畳半の翅音」

 この戯曲を気がつけば、一年以上も追いかけていた。
まどかぴあリーデイングから鹿児島リーディング、
「立体」に立ち上がった様を非常口の本拠地伊佐で見て、
さらには福岡でブラッシュされたものを見た。

 その流れと自分が持てる限りの
「韓国という場所で起こりうること」を総合してみたら韓国国内でも
このお話で語られる「差別の集合体」が存在していて、
「光州事件」はこの差別が為した「事件」だった。
「新羅」と「百済」の関係性やら「両班」と「白丁」までは行き過ぎかな。

 少しややこしいことをつらつらと考えてみると
現実に立ち上がっている表演空間からびっくりする。

 これが、釜山の、そして韓国の「四畳半」なのか。
というか、この部屋、もしかしたら「オンドル部屋」だよね?
タンスも、鏡台というか文机も、そして流し台の作り、
飲み物を入れるグラス、焼酎の瓶、さらには「ベビーチーズ」。

 日本と韓国は「生活様式」からして似ていて、似ていない。
たぶん、「家事」という「労働」を「立って」やるのか「座って」やるのか
という違いがそう見せるのかもしれない。

 そして、「貧しさ」というものが日本は何かしら「隠匿」されていて、
韓国は逆に「貧しさ」というものが「開き直り」になっている。
この「四畳半」の空気を感じていたらわたしが演劇を始める前、
心と体を壊したあの空気と、時間と、出来事を思い出して、
正直、吐きそうだ。
・・・ああ、これが「吐きそうなほど、懐かしい」なのか。

そういう空気の中で「選別する・選別される」から
「選別する・選別される」ことで生じる「淘汰」を「能動的」に
生き延びるのか、「受動的」に生き延びさせられるのか、というお話を
大胆不敵に「交通整理」して、「生きることへの祈り」を込める
「マダン」という韓国独特の演劇ジャンルで味付けした趣。

 この趣だから、「生かされる」から「生きる」に人生の方向を
切り替える「悼みの作業(グリーフ・ワーク)」を通して
あたらしい「生」というものを見つけ、進みゆくお話に特化させた。

「クリスマスに30万ウォンと出会う確率」

 色々思い出してみるとガチの「韓国戯曲」というものの「実演」は
初めて見るのだな、ということにうっかりと気がつく。
菊沢さん(野田地図のアンサンブルでお馴染み)の引きで
トゲピを見たり、きむ・ちょりのMAYは見たけれど、
純粋に「メイドイン・コリア」で「演劇」という「万国共通」の
「身体言語」を見るのははじめてなのかもしれない。

 不思議な「幕」で覆われ、そして周りはさざめいている。
・・・「嵐」の前の「静けさ」というものはこういうものなのだろう。
幕がすうっと「取れる」と3つの箱馬、という椅子。
周りにはぬいぐるみやゴミ、もしくは食べ物。
箱馬、という椅子の目の前には「ディスプレイ」を模した幕が。

 ここに、何か訳あって離れ離れに暮らしている「家族3人」、
クリスマスに諸々の事情で「30万W≒3万円」を
それぞれが必要としている。
父は日本、特に九州より恐ろしく「寒い」ところで
「生命線」の「ガス」が止められてさあ大変、
母は警察に支払う「袖の下」、息子は「女の子」と遊ぶお金。

 けれども、みんながみんな「10万W≒1万円」しかもっていない。
持っていない、ということを正直に言えばいいのだが、
なんて言えばいいのだろうか、「見栄」というか「意地」といえば
いいのだろうか、「変なプライド」が邪魔をしてうまく言い出せない。

 それどころか「取らぬ狸の皮算用」までおっぱじめてしまい、
グルグルと身内でお金を回している、この事実に気が付き、
三者三様の「欲」と「己の馬鹿さ加減」というものを
それぞれが自覚する。

 こういうお話がMMSTにかかると
ヨーロッパ文学的に「化けた」、というかエッジィな「現代文学」を
「装丁」で見せる、というか読んでいく、にまで持っていく。

 アーヴィン・ウェルシュの「トレイン・スポッティング」や
「マラボゥストーク」のように毒々しくはないが、
「人間って、ものすごく欲の皮が突っ張っていて、なんというか
 くそったれ、だけどなにか愛しい」という空気が戯曲から出ていて、
この空気を文字的にも、音声的にも「マルチ・リンガル」で見せる。
これ、やりようによっては凄い可能性が。

 ・・・一本あたり60分、120分興行だったのでまあ、何より。
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