福岡女学院大学在校生×OG特別公演 「Tenjinki(天神記)」

「三十一文字」を緩めた言葉が
ツイッターの「140文字」なのか。


 「福岡女学院」を出た女の子たちの「赤」にまつわる伝説が数多い。

 まずは、ここの高等部を中退して東京に行った
某女優が「凱旋」してきた時の格好が
「赤いコートに赤いスーツ、駄目押しに赤いハイヒール」だったという話を
事あるたびに母から聞いたり、
田坂奥の「赤い靴のなんたらかんたら」とか、
とどめは猶本光の筑波大学進学のため浦和「レッズ」レディースだ。
・・・この伝で行くと、「まだ、あるだろ」という気持ちになる。

 そんなことを考えつつ、あまりにも私の家に近いので、
「お金を下ろす」というルーティンをすっ飛ばし、チケットをピックした後に
財布にある現金の少なさにビビって一度来た道を
コンビニに向かって歩く、その歩くさまを母に「抜かれた」らしい。

 無事にお金を下ろし、安堵してハコの中に入る。
普通のシアタースタイル、板のど真ん中に八角形…じゃなかった
五角形のコーナーロープも、ましてや金網もない「リング」がひとつ、
囲むように「控えの椅子」が存在している。

 客入れ音は「博多磯貝」という居酒屋チェーンの各店舗で
かかっているような音で、あの店の雰囲気やら何やらをふと思い出す。
というか、客席の空気がアメーバのようになんだかぬめっとした
ある意味、コミュニケートできていない空間に戸惑っていると
表演空間に黒一色の演者が三々五々表演空間に入り、
体と心を暖めつつ、整えている。

 身体のサイズが大きいのやら、小さいのやら、太いのやら細いのやら
それぞれ違う、それぞれ違うから身体の使い方も違う、
身体の使い方が違うから身体の起こし方、入れ方が違う。
さらに言えば生きてきた「人生」すらも違う。
それぞれの「違い」をもった「人間」という「楽器」が自ら集い、
これから「演劇」という「交響楽」をおっぱじめようとしている。
 
 「きむかなスタイル」という演出、あるいは「コンダクト」で。

 さて、「菅原道真」が「太宰府」に流刑するきっかけとなった
「えげつない」出来事を、きむかなが持つ一味違う「エロ」と
「身体言語」の「掛け合わせ」、さらにはオール女子で演ると
どうやら「過激な宝塚歌劇団」になってしまったくらいに
すべてが「濃厚」である。

 これを見ると、宝塚は「世間の常識」に洗われて
「世間」というものに沿った「認識」と「意識」で動いている。
・・・「食べていく」ためにはそうしていくしかないのだが。
この集合知が「すみれコード」というものか、という発見。

 お話も空気の作り方も歴史解釈も、所謂「一般的常識」をぶっ壊して、
「飛び越える」を超えてしまうと妙に納得するのだな。
今も昔も人生の様々な場面で「女性という性」は「知」に働いてしまい、
「男性という性」は「情」に棹さすか、「意地」を張って
「窮屈」に生きてしまうのかもしれない。

 というか、「日本」という「システム」は意外と、以外にも
「女性」というか「女性という性」が「支配」というか「中心軸」に
据えて存在している、ということを「権力争い」の中で見せている。

 だから、「宮廷」の中で起きた出来事、「出来事」を起こした
「人間」が男性でも、女性でも、「外見上の性」をそのままそっくり
逆に入れ替えても「違和感」というものはさほど起こらないのだな。

 「外見上の性」が「女性」であっても、「内面的な性」を
「男性」として立って、居て、振る舞えば「男性性」で生きていて、
逆に「外見上の性」が男性であっても「女性」として立って、居て、
振る舞えば「女性性」として生きている。
・・・本当はそれぞれの中にそれぞれの「性」が「併存」して、
時と場合に応じて自由自在にコントロールしなければ、
ということがどうやら「世界の潮流」らしい。

 けれども、日本という「システム」は「両性併存」を望まない。
・・・だって、大宰府に菅原道真を「流刑」させた「藤原氏」というものが
あまりにも「女性的」で、手を替え品を替え、姿を変えて
この21世紀まで生き続け、この国を「支配」している。

 ・・・ほら、「日本の支配階層」を形作る人たちの顔をよく見てご覧。
「男」という外面の中に「女性」というか「女性という性」を
「飼って」いるだろ、だから普通の人々からみたらやることなす事
すべてものすごく気持ち悪い。
逆に「女」という外面の中に「男性」というか「男性という性」を
「飼っている」から妙に猛々しくてこれまた気持ち悪い。

 その気持ち悪さを紀貫之は「おんなもすなる・・・」という形で
「土佐日記」に反映し、意地を通した菅原道真は「気持ち悪い人々」から
「祟られるから、怖い」と「天神様」として祀られる。

 こういう「残念無念」を始めとした「もろもろの感情」を
三十一文字に込めたのが「和歌」であり、
十七文字に縮め「季語」という縛りを加えたのが「俳句」、
少し脇道にそれて「川柳」、「狂歌」、というものになったのか。
さらには三十一文字やら十七文字は「全角」で情報量が多い。
情報量が少ない「半角文字」で効率的に「意味」を伝える
「試行錯誤」の結果がツイッターの140文字にまで辿り着いたのか。
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