劇団ぎゃ。「左様なら王」

「幸福な終わり方」、「幸福な終わらせ方」。

 「楽しい時間」はあっという間、とは本当だな。
何時かは終わりがやってくる、とは言え
とうとう「この日」がやってきた、と思うとなんとも言えないや。

 ゆきえさんも、みさかも、ぎゃ。につながってきたみんな、
「演劇」というもの、エンターテイメントというものが
ものすごく大好きで、大好きなものをもっと大好きにして
大好きなまま続けていくために必死こいて走り続けた、
そういう一年を12回も続けてきたのか。

 そういうことを考えてみるとわたしは「人生、始まった」ばかりか。

 つらつらと考えていたら前説からぎゃ。をぶちかまして
本編に突入する、スマホで歌詞を見ながら「魔笛」かますとは。

 板の上に「文学の人」が居る。
苦悩呻吟しながらあたらしい「物語」を書こうとしているけれど、
もう「物語の泉」が枯れ果ててしまったのか、元からそういうものが
なかったのか、しっくり来なくて物語を作ること自体を放棄しようとする。

 そんなところに「月」という「異次元」から「エンターテイメントの人」が
やってきて、たくさんの「繋がり」という物語をしたのち、
「最後の物語」を静かに始める。

 昔、昔、ある国にひとりの賢く、優しい男がおりました。
男は大勢の大様にこき使われて、とても疲れていました。
あまりにも疲れ果てて逃げ出したら、そこに魔女がやってきて、
「森の奥深くに、男がいるから訪ねて、仲良くなれ」といいました。
男はそのとおりにして、心を通わせる所にまでなると
また魔女がやってきて、「今日は新月、森の男を死に招けば、
お前が王になる」と囁く。

 そして、森の男は男に森の男がかつて王様だった頃の話をし、
ものすごく深くて、重い「過ち」の話までして新月の元へ
自ら死へと足を踏み入れ、男は王となった。

 けれども、「民主主義」という誰も責任を取らない
「王様」が大量にいる時代によって収拾がつかなくなり、
賢者だけでは社会は改善できなかった。

 ここで、また現実に戻って「自己実現」や「自己主張」って
いったいぜんたいなんなんだろう、という問に辿り着く。

 この問をいままでのぎゃ。をぎゅっと詰め込んだ
「エンターテイメント」に加えて、宝塚歌劇そのものが持っている
「極彩色のガーリーさ」や「毒々しいほどのキラキラ感」で
歌って、踊ってをぶちかましているから外で行われていた
大濠公園花火大会にも負けないくらいのエネルギー。

 さらに、演劇を通して彼女たちが結んだ「縁」にまつわる物語を
「ニーベルンゲンのマイスタージンガー」や「魔笛」、
「ハムレット」や「リア王」というガチの古典の持つ要素を
うまく混ぜあわせて、「民主主義」というか「現代日本」に対する
「皮肉」というメッセージまで込めている。

 これが、ぎゃ。で学んだこと、演劇で学んだことを
次に繋げる「決意表明」だったのか。

 わたしも12年サイクルのなかで演劇と取り組み、
結果的に、演劇の中に立ち位置と役割を見つけた。
なんか、マヤ北島氏がいたであろう位置にいつの間にか(以下略。

 そして、次の12年についての取り組み、というか、なんというか、
新しい戦いが始まった。
・・・はじまりはいつも大変だ。
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