KOKAMI@network 「朝日のような夕日をつれて2014」

これは「演劇」というエンターテイメント。

 プレオーダーで手に入れたとはいえ、前から2列目ですよ。
えげつなくいい位置だ、あとは厄介な方々が近くにうようよ
しなければ尚いいのだが。

 カンパニー名、"KOKAMI@network"を当初"KONAMI@network"と
空見してしまい、「はあ、鴻上さん、コナミという金主を掴んだのね」と
思ってしまったのは内緒だ。

 さらに言えば、「第三舞台」の「封印解除兼解散公演」、
わたしの「大切な人」がどこぞの誰かから福岡公演昼の部の
チケットを貰って見に行ったわけで。
・・・貰ったなら貰ったでちゃんと言ってね、時間都合つけて(以下略。

「朝日のような夕日をつれて」という演目自体も
数年前、久留米大学の演劇部がやったのを見たとき、
とても暑苦しくて、だらだらとした感じがしてとてもしんどかった。
そういう記憶しかない、おまけに客さばきと終演後、
どこに出たらいいのかわからないくらい扉という扉が
締まりまくって、迷子になった、というか遭難した。

 こういうことをつらつらと考えていたらキレキレの
コーディネーションから本編に気がつけば引っ張り込まれている。
そして、舞台装置のLEDビジョンがいい味出してる。
なんていうか、「時代を写す鏡」として板の上に存在している。

 けれども、「人間が一番面白いおもちゃだ」という基本線が
ものすごくしっかりしているから恐ろしく見やすい。
さらには「温故知新」という形で今と昔のバランス加減がいい。
ぶっちゃけ言えば、この戯曲は「ゴドーを待ちながら」という
戯曲に対する鴻上尚史さんなりの「お返事」なのかもしれない。

 ゴドー、ゴドーと言っているのですが、
「ゴドー」っていったいぜんたい誰なのですか?
なぜ、「ゴドー」を待っているのですか?
そして「ゴドー」はここに来るのですか?
・・・おまけに待つの、疲れません?

 この問がはっきり見えているから、ひとつひとつの切れ味がすげぇ。
さらに鋭い身体性で重量感ある物語を巧みに使っているから
「人生」というものを底深く見せていることができている。

 うーん、「日常」というものはものすごく「退屈」なのかもしれない。
故に「非日常」という「暇つぶし」を人間は必要としていたのかも。
けれども「暇つぶし」は「人潰し」というくらい依存性が高い。
ここに現代の流行りである「SNS病」という「本音を思わず吐き出す」
「言いっぱなし、聞きっぱなしにせず、議論という喧嘩をふっかける」
という「世の中の病」が混ざるとすんげぇカオスになる。

 すんげぇカオスの中で「ありのまま」とはなんぞや、
「クリエイティブ」とはなんぞや、「生産」とはなんぞや、
「消費」とはなんぞや、そして「批評」とはなんぞや、と
矢継ぎ早に問われて、「だとしたらどうなんだよ」という
「答え」しか今のわたしには出すことしかできなくて、
どうしようもない絶望感にとらわれてしまう。

 その絶望感で世の中を見渡してみれば、嘘つきやペテン師は
この世の中、まっとうに生きていたら沈んでいる様子を横目に
何かよく分からない高みに向かって昇っている。
けれどもその高み自体に登ってはいるものの高みそのものが
もしかしたら沈んでいるのかもしれない。

 さらには「世の中のありとあらゆること」が「記録されている」、
その中でわたしたちはどこから来て、どこへ行くのか、
おまけに「過去を肯定するノスタルジー」まで見せておいて、
最後の最後で「実は精神病院、閉鎖病棟の治療でした、全ては」と
落としに行く、やっぱりこの世は狂ってる。

 「狂っている」世の中に立つことは苦しいが、何かしら楽しいのかも。
スポンサーサイト
プロフィール

itumo25254you

Author:itumo25254you
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR