早川倉庫杯 くまもと若手演劇バトル DENGEKI

「ストラテラカプセル」の使い方。

 どうやら、「演劇」というものの「伝え方」、「見せ方」というものに
ある意味「戦略性」というものが必要になってきたのかもしれない。

 というか、熊本行きの荷物を作った時、飲まなきゃいけない
薬のセットを忘れて、昼の部は何とかなって、宿に入り、風呂に入って
落ち着いて、夜の部、時間間違えたかな、というやりとりを
古田さんとしていたら、突如「ストラテラ」という言葉が頭を。

 おまけに満席で、不安な状態を拭うため「息吹」を
やって落ち着かせようとするが、息が途切れている。
何とか乗り切ったが、不安が止まらない。
現実、疲労が脳みそ、前頭葉からダイレクトに心臓へ、
姿勢を変えて寝てみると疲労が奥歯から前歯へ移る。

 どうもならないから長崎直行の予定を切り替えて
朝早いバスで福岡に帰り、薬のセットを飲んで、安堵する。


 一通りすべてのプログラムを見たが、
翌日の本戦には「残るべきところ」が残った。
その差は「形」の有る無しと安定した「質」の提供、
ただそれだけ。
この事を踏まえながら、話をしていこうと思う。

【予選Aブロック】

熊本高校演劇部

 こうして見てみると、「演劇」というものは「演者」という
「楽器」の響かせ合いで作られていくのだな、というところを
メトロノームを使い、ひとつの戯曲の複数場面を演者毎に
バラバラと読ませている、メトロノームのかなり早いリズムに合わせて。

 この様子、稽古が始まる前、もしくは本番、というかゲネプロが
始まる前の心と体、そして喉を温めて「私という楽器」を
チューニングして、いつでも板の上に出る準備だよ。
こうしなければ、さあ、そこでなにかやれ、と言っても
十分に声は出ないし、身体も動かない、当然心も。

 きちんとチューニングできたところで
今度はメトロノームのリズムを「演目そのもの」のリズムに下げて
「仲直り」というミッションをするが結局は事故で死んじゃった。
というお話をぶちかます格好。

 見せ方はすごく斬新なんだけれど、メトロノームの入れ方、
リズムの変え方、止め方が雑なせいか、
流れを「殺して」いる傾向がある。

 更にいただけなかったのが一番最後の「謝罪」という名の
「言い訳」をしてしまったこと。

 要するにDENGEKIに相応しくない戯曲を出した、
けれども納得いかない、チェルフィッチュの岡田さんも
評価して云々と、うーん、なんだかんだと、言い過ぎだ。
・・・だったら、九州戯曲賞という「評価の場」があるから、
それに出せ、出して知らない人から「評価」してもらえ。

RIKKA

 「アイドル甲子園」ですか。
その企画、もう「スカパー!」が半年、というか
一年かけての「企画番組」としてやっているんだよなぁ。
47都道府県から1ユニットずつ「参加料1万円」で甲子園方式の
トーナメントを戦い、買ったほうが参加料総取りして
次の段階に進む、故に優勝賞金は47万円、それに舞台衣装の新調が
おまけとして付いてくる、審査の仕方はよくわからんが。

 で、このお話の優勝商品がスマホのケースに「鼠の国」での
カウントダウンライブの一枠、だとしたら参加料は10万円、
それとも100万円なのか、と下衆いことを考えてしまう。

 熊本のダンススクールできららのみきてぃが一枚噛んでいるところだ、
ということは「身体言語」の使い方やら物語の持っていきかたから
よくわかる、自分の「居場所」と「立ち位置」を見つけるため
苦悩呻吟して「新しい」「自分」の「居場所」と「立ち位置」を
見つけた、そして遠回りも悪くないよね。

 構造はちゃんと「行って帰って」ができていて、
ダンスもそれなりにキレキレ、しかしバランスが良くない。
「からだ」と「こころ」がうそをついているとセリフが聞きにくい、
否、セリフが聞き苦しくなる、それだけでしんどいのに、
「ロリ趣味」が好きじゃない自分にとっては見ていてすごく苦しかった。

演劇ユニット永久磁石

 また、改めて「ゲド戦記」全巻セットを読みたくなってきた。
というか、「世界」はこういうふうに「終わっていく」のだろう。
構造はF's Companyの「ロン通り13番地」のスピンオフ、
「ロン」という「人体」をベースにした「人工人間」が何らかの形で
無人島に「存在」している。

 さらに言えば、究極の性能を持った人工人体は
「男性性」と「女性性」というものの並立、両存を
可能とするのかもしれない。
おまけにいろいろな意味で「遠く」まで見渡せる。

 故に、何らかの事情で忌み、嫌われ、ここまで流された。

 ある日、醜い生き物が流れ着き、この人体に恋をした。
というか、この醜い生き物も「人工人体」のなりそこない。
このふたつの「醜悪なれど、悲しきいきもの」たちが
「男性性」とは、「女性性」とは、「人間性」とは、というものを
考えるように仕向けられ、結局、「国家」というものが
あらゆる「性」を「規定」している、この窮屈さを皮肉っている。

 この窮屈さがひどくなったから、どこかへ行って、死んで、
その結果「国家」というものが破壊され、分解したんだよな。

 がだ、ある年代、世代には刺激が強いお話だ。
この回のお客さんはほとんどが2番目のアイドル甲子園の
関係者、子供と、その親御さんで性や社会システムに関して、
ある意味保守的だ。
そういうところに関する「嫌悪感」があったのかな。

 「ある棋士の肖像」を持ってきたほうが・・・うーん、どうだろう?

DO GANG

 取り合わせが人間と「ネコ」という名の「犬」、
そして「人間ビートボックス」という形で「掴み」はオッケー。
更には男の名前が「偽男」と書いて「ブラフマン」と読ませる。

 ・・・流石、徳富蘆花、徳富蘇峰の血を引くなんとやらだ。
所謂「自宅警備員」を拗らせてパソコンのスキルは知らない間に
身につけてはいたが、「世の中」に出るのが怖いので、
この培った技術をどう活かしていいかわからない。
おまけにこのへんてこりんな「名前」のせいで余計に苦しい。
だから、とにかく死にたい、死なせてくれ。

 それを受ける「ネコ」という名の「犬」もなんか説教臭い。
もしかしたら、これが「ハラッサー」と呼ばれる
「善意をまとった悪意」というものかもしれない。
この善意と悪意が入り混じった感情で他者の人生を云々されると
私の心は「バカヤロー」と言いたくなる。

 生きとしいけるものにはそれぞれ「目的」があって、
この「目的」に息をするように取り組んでいるものだ。
それを「努力」とか「才能」だとか「苦労」という言葉を
「介入」させてしまうから人生が余計ややこしくなる。

 この「ややこしさ」を見続けてしまうと、なんだか腹立たしくなる。
まずは外に出て、生の人間にぶつかれ、繋がれ。
・・・話はそれからだ。



劇団ヒロシ軍

 こういうお話は、男にとって心が痛いのです。
インターミッションの時、心と体を温めているところから
「演劇」というものをおっぱじめているよ。

 「演劇」を諦めた男と「演劇」にしがみついている女のお話。
このふたりが交わる場所がある小さなTV局のTVショッピング
番組の制作現場。

 こう来ると、宍戸錠の自伝「シシド-実録日活撮影所」を
彷彿とさせるお話の作りだ。
どんな世界、どんな仕事でも「立ち位置」や「居場所」の数には
限りがある、この限りある場所を力ずくで取りに行かなければ
どうにもならない、そのためには「戦略」も必要になる。

 そうなると、生きる、とは相当過酷なのかもしれない。
向いている、向いていない、と自分で判断するよりも
「仕方なく」やらなければいけないことでも懸命にやるしかない。

 その懸命にやった結果があの「すれ違い」だった。
さらには女はあの場面で最後の最後に「女優」を見せた。
なんかくやしくて、切ないわ。


【予選Bブロック】

熊本大学演劇部

 「味噌汁のお椀」という小宇宙ですか。
ここに「外国人」、「男子同性愛」という「見えない差別」と
「一味違う三角関係」というものをぶち込んだ、という趣。

 ふつう、冷たい味噌汁を「意図的」に作ることが出来るか?
できるとすれば生まれてこの方母親の料理の手伝いをせず、
家庭科の授業も受けず、ひたすら受験勉強して「他人」が
作った「ご飯」しか食べたことのない人なのだろう。

 そういう「世間」というものを全く知らない人間が
地球滅亡の危機に際し、冷たい味噌汁椀が「ノアの箱舟」となって
彼らを救ったものの、「三角関係」のバランスを保つため
前にも後ろにも進めない。

 このカオス感をギターとカホンを使って、「ABCヤングリクエスト」とか
「MBSヤングタウン」、「ヤングおーおー」を彷彿とさせるリズムで
表現はできているが、「第七インターチェンジ」がよく使う
「フリップ芸」はこの狭い空間には合わない。

 まあ、「一度壊れなければ」わたしたちは「新しくならない」という
「宇宙の真理」にまで行き着いたことは良しとしよう。

劇団鳴かず飛ばず

 初めて「アウェイ」でたたかう「緊張感」なのだろうか、
なんか心と体がカチカチになっている。
おまけに「時間」というものをうまく「コントロール」できているのか
できていないのか、正直分からない状態で板の上に入る。

 ・・・打ち合わせの段階で「この音の後に演技面入って設営ですよ」と
言われてはいるのだろうが、その「段取り」をすっ飛ばそうとして
我に返る状況があった。

 けれども、全てが暗くなり、「自分たち」の光と音が掛かれば
「遊びごころ」が満載のエンターテイメントをガチでぶちかましやがる。
福岡にかつてあった「ぎゃ。」という女の子だらけのエンターテイメントを
ガチでやるところは時折ファンタジーやらメルヘンを混ぜるけれど、
鳴かず飛ばずは「お客様を楽しませる」という点でガチを仕掛けてきた。

 まあ、江戸時代、徳川、というシステムによって
「目出度い熊本、哀れな鹿児島」という扱いを受けていた。
それくらいえげつない「差別」というものの陰を鹿児島は持っていて、
年に一度の「鹿児島演劇見本市」の中でもこういった「差別」を
極めてソフトに扱った演目がよく見られるのです。

 この文脈で「俺達は哀れなんかじゃない」と差別を逆手に取り、
・・・鹿児島が泣くから「鹿鳴館」だと?今度は俺達が熊本を
キャンと泣かせてやるわ、と言わんばかりに時空を自在に
行ったり来たり、弄り弄られ、反発心と反骨心の圧も凄い。

さらには、宮崎メディキットの搬入口近くにある銅像の人、
「川越進」にまつわる「宮崎県、鹿児島県から分離、独立を果たす」話
まで持ってくるものだから、正直ぶっ飛んだ。

 名刺代わりの強烈さは残した。
がだ、熊本のこういう「因縁」を知らない人はマジで引く内容。
私はここに戦慄してしまった。


with a clink

 これを見て、わたしはきたむらあかねという人間が
いけだみきの「演出助手」として重用されている、という事実を納得した。
多方面で彼女の仕事ぶりを聞く機会があるが、「音」と「身体言語」、
そして「立体空間」の把握とイメージの保持能力が秀でていて、
付いた名前が「人間USB」とのこと。

 自分も、これから演劇スカウティングの合間に「演出助手」の
仕事をする機会があるのだろう、がだ、そうできるのかとても不安だ。

 そういう人間USBが「演劇作品」を作ったら、あまりにも圧倒的すぎる。
「音」と「身体言語」、「立体空間」に対する
「心地良い」と「心地良くない」の「基準」に全くもって「ブレ」がない。

 もし、山下久美子が中島みゆきの「夜会」とおんなじことをするならば、
こんな風にやるのかな、というくらい音と詩がしっかりしている。

 さらには、音と詩に対して皆のからだが素直に動き、
おまけにrockな隠し味が効いている。

 「ブレ」がないから「本」を巡る冒険、「欠けている」と「満ちている」、
「未知と既知」、という「言葉の海」をこれでもかと味わわせる。
そして、現実は「貯水タンクから水が溢れ出た」というオチまでつける。
ああ、実際に「言葉の海」に入るとこんな感じなのか。


純白奇劇団

 ゆーこねえさん、ぶっ飛んでる。
こらまた、「第七インターチェンジ」が「品川心中」で
演った「落語・改」をさらに過激にして「お血脈」という
演目を演る、という趣。

 いや、まあ、ゆーこねえさんって「女王様」気質があるねんな。
出し受けする関係が長く続いてはいるが、そんな一面見せたことない。
さらには「出囃子」が「鼠の国」の「電光行進」で掛かるあの曲ですわ。

 そうして、噺家が座布団の前に座り、手ぬぐいを傍らに、
扇子を座布団の前において「結界」を作るか、と思いきや
いきなり子供劇団とのなんだかんだというマクラに入り、
「身体」を使ったくすぐりから気がつけば本題に入る。

 落語とは「結界」を自由自在に動かすことが芸の売りとは聞いたが、
ここまで「結界」をぶっ壊して、落語の「お血脈」という演目を使い
現代が抱えている「罪」や「毒」を混ぜて加えて、徹底的に
カオスにして「遊びまくった」らこんな具合になりました、と
顔中、体中絵の具まみれ、汗まみれで言われると、何も言えない。

gojunko

 最近、「形」というものに対して考察を深める機会が
ラベルの「ボレロ」を通して持つことができた。

 まずは「日本舞踊」と「ボレロ」のかけあわせ、に衝撃を受け、
次はこの元ネタである「野村萬斎+日本舞踊」と「ボレロ」の
かけあわせをYouTubeで見て、そうなると「シルヴィ・ギエム」の
「ボレロ」、とうとう仕舞いには元版たる「マイヤ・プリセツカヤ」の
「ボレロ」にまで行き着いてしまった。

 こうやってひと通り見て、感じたことは音も、身体言語も
「限られたパターン」の組み合わせで見せて、効かせて、感じる。
ポイントはただ一点、「何か」と「常に接合」するということ。

 「演劇」だと「物語」に接合することになるのか。
そうなると「誰にも愛されなかった」が
この炎のような「運命」を引き受けて生き続けなければいけなかった
「女の一生」という新しい解釈としての「ボレロ」が生まれた。

 まさしく、曽田正人の「昴」、宮本すばるとプリシラ・ロバーツの
「ボレロ」を通して「魂レベル」で「邂逅する」感覚が
「腹違いの姉妹」を通して伝わり、最後は「カノン」を重ねて
「不幸な一生」を生き抜いた「魂」を浄化させやがった。

 がだ、流産、死産はデリケートな領域、自分も上の妹に
降りかかった出来事をうっかり思い出し、吐きそうになった。


 諸事情により、本戦は見ることができなかったが、
え?最後の最後で意外な展開になってしまった。

 開会式に抽選で決めた順番の綾?客層の違い?
違う訴求力の差なのか?・・・もやもやは残る。

 正直、今年はwith a clinkが獲るか、と思ってた。
そしていけだみきから堂々「暖簾分け」をして
本格的に「広い世界」へ戦いに行く、そう信じていたのだが。
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