メメントC+ゼロソー「ダム」

もしかしたら、人間は自然に「危害」を加えて生きていたのかもしれない。

 わたしたちは、私達の心のなかに多かれ少なかれ、
「不満」というものを飼っていて、この不満を自らより「弱い」存在に
ありとあらゆる形でぶつけて「解消」しようとしている。
故に、自然も人間に「危害」を加えて生きているのかもしれない。

 これが「ハラスメント」という行為。
そして「行為者」を「ハラッサー」と呼ぶのだ。
さらに言えば、この「ハラッサー」が自らの「やっていること」を
意識せず、「ハラスメント」という「行為」を繰り返すと、時と場合によって
「エゴイスト」や「レイパー」、「サディスト」、裏返して「マゾヒスト」、
さらには「ロリコン」、「ペドフィリア」と様々な「トラブル」の元になる。

 ・・・アダルトビデオのありとあらゆる「プレイ」の元ネタは
ハラスメントやハラッサーから来ていたのか、という発見。

 てか、人間の業、というか、原罪そのものが
「アダルトビデオ」に凝縮されている。
この事実にわたしは戦慄した、そして頻繁に抜くことができなくなった。

 そういうことを「特」に「急」がない「新幹線」で熊本に向かいながら
ふと反芻してしまう、さらに木曜日の日本シリーズ第5戦、
阪神西岡の「守備妨害」が「相手殺してでも勝て」ができなかった時の
ものすごい「哀れさ」とか「みっともなさ」につながってなんとも言えず、
「結果はあくまでも結果」として受け止めるには常に何かを
「背負う」ことをやめないと、受け止めることすらできないのか。

 そんなことを考えると特に急がなくてもあっという間に
熊本に着き、どくんごのテント劇場を確認しながら、
早川倉庫までまったりと歩く。

 この「倉庫」は「時代」という空気を背負ってこの場所に佇んでいる。
130年というものすごく重い空気を感じながら中に入ると、
「球磨地方」に昔からあるお家の「座敷」の持つ「何か」が
きっちり「生きている」表演空間がそこに、存在している。

 自分は「菊池、山鹿地方」のこういう「空気感」の中を
福岡からわざわざママチャリを「輪行」して朝早くから
夕方、日が沈むまでグルグル回ってチラシを撒く仕事をしていた。
その仕事を離れるきっかけになる出来事をつらつら考えるともう本編。

 最近、「リーディング」という座って台本を持って
読んで、というスタイルにある程度の動きが加わるように
なった、「ドラマチック・リーディング」という形で今回はやるらしい。

 そういえば、DRINKからGKKにつながって、戯曲、というものは
それ自体声に出して、読めば読むほど心と体が動くように
できている、ということにうっかり気がついた。

 その流れで「ダム工事」をめぐる様々な出来事を
多方面の視点で眺めてみると、人間ってそうとうえげつない。
というか、今いるところがあまりにもえげつないから、
生きていくためによりえげつなくなった、ともいう。
そういうことを長い間、世代を超えて繰り返していくと
いつの間にか「原点」という名の「根」が張って、
初めて「場所に馴染む」といった次第。

 なぜ、「ダム」というものが必要になったのか?
「原点」という名の「根」が張る前に「喪った」人や物、
そしてことがあまりにも多すぎたから。
この多すぎた「哀しみ」や「苦しみ」を堰き止めて置くために
作らざるを得なかった「装置」だったのかもしれない。

 この「喪った」人や物、そしてことによって、「残った」人やことは
「あるべき」ところから大きく移動して、あるものは「残った」ものに
しがみつき、またあるものは「根無し草」の人生を選び、「欲」という
「悪魔」に身も心も「売った」ものも、当然ながら存在する。
 
 その三者三様の思惑や駆け引き、というものが
「ダム工事」をめぐるやりとりで明らかになればなるほど、
わたしたち「人類」はある「繋がり」から切り「棄て」られた
いわゆる「棄民」だったのだ、そういう事実、というか、
現実を突き付けられると、何も言えなくなる。

 本当は「自然」というところに「居場所」と「役割」があるから
その場所「に」、というかその場所「で」生きることができる。
けれどもその場所で生きていない人間が「居場所」と「役割」を
壊して、「自分勝手」に変化しようとしている。

 誰かの犠牲によってしか何も変わることはできない、
というけれど、誰も犠牲を引き受けようとしない、
犠牲を誰も引き受けようとしなければ、人間も、自然も
それぞれが持つ「汚さ」や「醜さ」を露わにしていく。

 「汚さ」や「醜さ」が露わになればなるほど「正論」というものは
本来の意味を亡くし、拾える金を全て拾おうとして「天災」という形で
「強姦」された自然に「人災」という形で復讐し始め、
その手で「弱き者」に対して経済的、社会的な形で
これまた「危害」を加えている。
・・・「愛している」という「偽り」に隠され、何も見えないが。

 しかし、「堰き止め続けて」いた「汚さ」や「醜さ」、
そして、「こうありたい」という思いは何時かは決壊する。
決壊して、淀んでいたものが流れた後、皆は静かに「笑って」居る。
・・・何もなかったかのように。

 こう「水に流して」しまうと良いも悪いも曖昧なものになるし、
本質的なものについても訳がわからなくなる。
・・・すべてを受け入れる「痛み」とはこういうものなのか。
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