バカダミアン 「にえ湯」

女帝エカテリーナ。

 わたしは小学生の時、この人物に池田理代子の漫画で
「ゴージャス感」というものに側頭部を撃ちぬかれ、この漫画の
「原作」であるアンリ・トロワイヤの本を読んで、冒頭部の
「台所」から「貧しさ」、それも恐ろしいくらいの貧しさと
その対極にある婚礼のところ、エカテリーナが纏う純白の絹、
プラチナと真珠、そしてダイヤモンドの光、光、光、を
圧倒的な精密さを持つ筆致に脳天を撃ちぬかれた。

 もう、側頭部を撃ちぬかれ、脳天までやられたら
続き、読めないじゃないか、ちらっと読んでも、
「性的な部分」の印象だけが目立って完読できぬまま今に至る。

 がだ、徳永玲子姐さんから演劇に触れてから、
何時かは「女帝エカテリーナ」を演劇に起こしてみたい、という希望を
心の奥にそっと隠して、いろんなことを学び、こうしていま、ここにいる。

 ここにいたら、なんとバカダミアン、というところが
福岡でも有数の「無茶ぶり劇団」がエカテリーナをやる、
やる、を飛び越してやってもうた。

 わたしのプランにもある「観客参加」やら、
おまけにはガラパのたさきこぱるにのなかふたば、という
福岡で、いま結構イケてる若手女優を引っ張ってきた。

 こうなったら、行くしかない。

 さて、本編は北海道、というか蝦夷の国から漂流した
こきたねぇ日本人の男と女、この二人が「物語の観察者」、
その前にオーバーチュアの「漂流シーン」を観客参加で作る。

 ひと通り、作って、見せたところで気がつけばロシアが
トルコ、クリミアを征伐したところからエカテリーナ、突拍子もない
ところから登場、おもいっくそ「女帝感」を出しまくり、
「色情妄」までぶちかまし、そこにトルストイが絡み、
「農奴の現実」、そして「土に生きる」というトルストイの思いから
エカテリーナの「過去」というものをフラッシュ・バックさせる。

 ここに、実はエカテリーナ、「ロマ」で迫害によって天涯孤独となり、
その不運から抜け出すために「ブードゥ神」という「トート」の力を借り、
代償として「我が身」を「にえ(贄)」にした、そのかいあって
ドイツの名家に紛れ込み、ピョートルの嫁となり、なんだかんだあって
見事、ロシアを我が手に収める。

 けれども、心寂しく色に狂い、理想と現実の間で苦しみ、
命が尽きれば「因果はめぐる堂々と」と云うオチまで
圧倒的な密度と精度、そしてスピードで見せている。

 ・・・なるほど、エカテリーナ、トルストイ、ポチョムキン、ピョートル、
それぞれの「関係性」はアンドリュー・ロイド・ウェバーの
「エビータ」、エヴァとチェ、マガルディ、ペロンの「関係性」だし、
ブードゥ神という「トート」はミヒャエル・クンツェの「エリザベート」を
うまく使っているな。

 更には圧倒的な密度と精度、そしてスピードで見せるため、
少女、成年、壮年、老年と「四人のエカテリーナ」が
入れ替わり、立ちかわり板の上を挑発していく。

 60分物でこういうものができるのならば、
今度はガチで「女帝エカテリーナ」、上演時間休憩込みで
最大150分、場所はぽんプラザホール、もしくはあじびホールで
やらなければいけない、欲を言えば西鉄ホール福岡フェス公募枠で。

 その尺に対応できる物語の整理は必要だけれど。
エカテリーナはひとりに絞る、トルストイとの関係性をメインにするか、
ポチョムキンとの関係性をメインにするか、農奴制をめぐるエピソードを
ロシア革命の萌芽にまで持っていくのか、あと難破船の日本人など。

 更には「観客参加」のシーンをエルミタージュを訪れた観光客、
という設定にして、物語の世界に迷い込み、そのままその場所で
「物語の観察者」としてみる、というアイデアもありかな。

 そのアイデアを携えて演出助手で修羅場を体験したい。
自分もアンリ・トロワイヤの本を完読して、テクストレジから、
物語の三分岐、香盤と出捌けの図面を書いてその時に備えなければ。

あと、みどりことじじをぶっこんでもみたい。
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