鹿児島演劇協議会リーディング 「楽園の楽屋」

演劇は見ることも、作ることもえらく体力と気力を使う。

  恐ろしくしんどいけれど、何かの糧になる活動だ。

 鹿児島、という街は福岡では街が湿気が多いからかもしれない、
この湿気などで「傷めつけられ」、「取り壊されて」しまった
古くて、風情のある建物が多く、その場所をうまく見つけて
「演劇」をしていて、いい空気を作り始めている。

 今回はいわゆる「教員協会」の講堂、という場所を風情のある
演劇空間、それも「舞台裏」という形で使ってしまえ、という趣。

 それにしても、「息」がうまく通る「場所」を作っておかないと
色んな意味でしんどいなぁ、そして物事がうまく進まない。
そう考えるとわたしはずっと「息」が詰まって、あわなくて
すごく苦しかったのかもしれない。

 こういうことをつらつら考えていたらもう本編だ。
板の上ではある程度、年齢を経て、数あまたある
「修羅場」を踏み続けた女優が3人、「日常」を脱ぎ捨て、
「演劇」に着替え、ひと通り終わって「演劇」を脱いで、
また「日常」に戻る、この繰り返し。

 この「繰り返し」をどこからともなく見ているのは
人生そのものの「演出家」たる「神様」なのか、もしかしたら。

 こういうふうに「演劇」と「日常」が重なりあって、絡み合っていくと
公演期間、というものも自ずと長くなることを望んでしまうものだ。
雑談して、外の空気を吐き出し、板の上の世界の持つ空気を
吸い込んで準備をし、演劇をして板の上で起こったいらだちや喜びを
吐き出して、日常の空気を吸い、クールダウンしてまた日常に戻る。

 そして、心と体にトラブルが起こってもそんな事情なんて、
演劇は待ってはくれない、ゆえになんとかごまかして板の上に立ち、
自分の役割を、位置を、十分果たさなければいけない。

 これが「修羅場」というものであり、この繰り返しの中で
見えた景色は、感じることのできたものは一体何だったのだろう?
何をよし、として何をよりどころとし、何を嫌い、何を苦しんでいたのか?

 そして、わたしはどこへ行くのだろう?

 こういうことを考え続け、「わたしの人生」と「役の上での人生」という
「ふたつの人生」を同時に生きていたらもうこんな歳になってしまった。

 「わたしの人生」だけを生きている、ということ自体すごくしんどいのに、
「役の上での人生」というものまで生きていたらいろんなトラブルを抱え、
何がなんだかわからなくなる。

こんな状況を一体何の因果でバチかぶってしんどい思いをしてまで
やっているんだ、と嘆いてみても「自分がどうしてもやりたい」と
思って、この道を選んだのだから逃げることはできない。

 というか、「選択肢」というものは最初からあったのか、
それともなかったのか、すべての業をなし終えるまでわからない。

 集合日から稽古、小屋入り、初日から中日、そして楽日へと
同じ道をゆく同士、連帯感、というものはあるけれど、
現実には親の死に目にも会えず、普通一般の恋愛や
結婚、というものにはまず、縁がない。

 けれども、わたしはいたのうえにたつことをえらび、
こうして、いたのうえにたつことをつづけていく。

 誰か、大切な人が死んでいても、いなくなっても、
そして、わたしが死んでいても、いなくなっても、どこかで見ている、
どこかで見られている、更にはどこかで見ることになるだろう。

 「演劇」とはそういうことであり、「演劇を作る」とはこういうこと。

 自分もこんな風に演劇と関わり、父を何処か遠い所へと送った。
という「現実」と重なれば、ひとつひとつの存在が、言葉が突き刺さる。
新しい演劇と人生に踏み込んでいるとなれば、なおさら。
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