オイスターズ 「日本語私辞典」

人は「じ」より出て、「じ」を失い、「じ」で終わる。

 わははははは・・・・当分酒の顔を見るのも嫌になってきた。
人間、ひたすら飲み続けて、はっちゃけて、エンターテイメントとしての
「飲み」として変化してしまったら、反動で身体が大ボケかましやがる。

 おかげで、携帯電話やら何やら、その他たくさんのものを忘れて
家からあじ美ホールに向かっている、という現実。

 さて、名古屋の演劇業界の誇る2トップのうち、
あおきりみかんというところは親分のかのめっちと言葉のパスを
いろんな状況でやりとりしているし、その流れで公演自体も
宮崎まで遠征してみることができた。

もう一方のオイスターズ、東京でのあおきりニコイチやら、
広島公演、行くチャンスはあったのだが、身の回りで
いろんなことがありすぎて、なにもかも見逃してしまって、
今回、やっとこさ、というところ。

 ハコの中に入り、空間の中に身を落ち着けると、奥行きの深さを
十二分に活かし、背面には5×10マス以上あるグリッド骨組みに
半紙を貼ったものがそこに、存在している。

 それはさておき、人類というものは「思考」というものを
外部から入力したり、また、外部へと出力するために
どういう手段を使っていくのだろう?
 
 ぶっちゃけて言えば、人は何を拠り所にして考え、
この考えた結果をどういう形で他人に発表するのか、
「ことば」というものはその数多ある手段のひとつかも知れない。
がだ、「ことば」というものはあまりにも単純、あまりにもシンプル。
けれども、あまりにも複雑で多岐にわたる。

 故に、入出力の手段にはとっても都合が良く、
結果、このように人類の歴史上多用される次第となった。

 このことを踏まえて物語を見てみるとすべてが文化的、
且つ哲学的な世界、というものが目の前に広がっている。

 文化的、哲学的な世界とこれらの出入力にまつわるすべてを
「演劇」という形で身体言語に載せてしまうと、ムーブ・マイムの
一つ一つがものすごく滑らか、この滑らかさに強弱が程よく効いた
リズムのいい「セリフ」という名の「パス」が加わって、
正確かつ、意図的なパス回しからフィニッシュ・ワークに持っていく
事もあれば、これまた意図的に不正確なパスを出して、
強引なフィニッシュ・ワークに持っていく事もある。

 けれど、どんなフィニッシュ・ワークも、物語の枠内に
きっちりぶち込んで行くことのできる精度と密度がありすぎる。
・・・これが福岡の演劇、九州の演劇に少し足りないところかもしれない。
ガラパも、飛ぶ劇もここができているから、凄いのかもしれない。

 この精度と密度で普通の高校生の朝起きて、飯食って、
学校行って、バイト行って、家に帰ってなんだかんだして、寝る。
という一日の繰り返しが正確に板の上へと「落とし込まれて」いく。

 この「ある一日」の中で起きた「ストーカー」という「不都合」を
消していくために「ことば」というものを一つ一つ「潰して」いくことにした。
一つ一つ「ことば」を潰していくと「思考」というものの入出力が
次第に自由を奪われ、「思考」そのものがだんだんと塞がってしまう。

 入力、というものが少なくなってくると、出力が回りくどくなって、
出力が少なくなれば、入力したものを読み取る、という作業が
訳がわからなくなってしまう。

 そういった様子が文選のセンスの良さと、「直感的」かつ、
「意図的」に消していくことで窮屈になる。
けれども、窮屈の中で「やりくり」することが足りないものを
補うことに繋がり、気がつけば「豊かな言葉遊び」へと変化している。

 こういう様を見るとわたしたちが如何に「偏った」言葉の
入出力で生きている、ということを思い知らされてしまう。
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