演劇ユニット永久磁石(nomad) 「龍とあたくし」(dengekiリベンジ版)

「変化する勇気」と「変化しない勇気」。

 それにしても、「物事の起点」になっている自分が
当初は別の日程を建てていて、この演目の予約の予の字すら
入れていない、ということはいかがなものか。

 去年、熊本のdengeki予選ステージ終わって、
脳みそがしんどい、しんどい言ってどうにもならないので
朝早くの高速バスで、一度家に帰り、天神バスセンターに着いて
1階下の西鉄福岡駅に降りて、太宰府行きの急行に乗る前、
このカンパニーから「ことばのパス」と言うものが出た。

 出来には自身を持っていたが、どこが良くて、どこが悪かったのか、
この回の見手のほとんどがアンケート書いてくれていないので
途方に暮れている、助けてください。

 このパスを受けて、電車の中で、降りて家への最寄り駅の
ホームにて苦悩呻吟しながら「パスの返し」を書き上げて家に辿り着く。

 で、この「返し」を受けてくうきプロジェクトの中で
「リベンジ公演」と相成った次第。

 こういう状態を作っておいて、どういう変化が起こったのか
「見ない」ことを選んだなんてわたしはいったい、何をしているんだ?
そんなことを考えて、身悶えしていたら、あなピグモのイベントで
ふたばがバカダミアン出るよ、ということで行って、見て、その流れで
この演目を見ることが出きて、まあ何より。

 お話は「ノアの箱舟」のように地上から何らかの事情で
「隔離」されている空間での命のさざめきや愛のさざめき、
それらの聞こえそうで聞こえない声を「あたくし」という
男性性と女性性の両方を持った「人工人間」が拾って、
「毎日の生活」という形で見手に伝えながら、「あたくし」という
「人工人間」が「人工人間」になる前、「人間」だった時の記憶まで
混ざりこんでしまうと「わたしって、一体何のために生きているのかな」
そういう疑問と生活の中に「龍」という何かが入ってきた、
あるいは入ってきつつある。

 この「何か」が入ってきたことによって起きる「変化」を熊本dengekiでは
「異物が入ってきて、今までの世界が崩れていく過程」として捉え、
カオスに満ちた「殺し合い」という形で見せていた。

 今回リベンジ版は「殺し合い」を「育て合い」という形で
物語の「軸足」を移し、「人工人間」の人物像も女性を強めにしたものから
ほぼニュートラルにしたものへと調整し、「何か」というものも
「つかみ所のない架空の生物」から「女性的な人工人間」として捉えた。 
 「気がつけばこんなに醜くなっていて、それでも生きているのはなぜ」
という「内省」から醜さを笑い飛ばして開き直る。
そのきっかけが「龍」という何かだった、そうしたらわたしの
生きているところは以外にも広く、以外にも素晴らしいところではないか。
こういうところにまで「うまく変化させたな」という見後感。

 もしかしたらこのお話は「ふたつの物語」が連なっているかもしれない。
そういう「可能性」も同時に生まれた。
結局、「変わる勇気」と「変わらない勇気」のさじ加減が大切なのかも。
 
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