劇団ルアーノデルモーズ「ミツバチと時間のワルツ」

修羅場感が半端ない。

 この劇団に対して、当初感じていた「アウェイ感」というものが
公演回数を重ねるに連れて薄まっていている。
初めてこの公演に足を踏み入れた時、「ああ、これが生きている世界、
というものが違う」ということなのだよな。
こんなことを感じると「いま、そこにいる場」にいることがしんどくなり、
「見ること」すらしんどくなってしまうのです。

 がだ、「身体的魅力」としてもともと備わっていたものに
「身体言語」というものをインストールして、公演ごとに
アップデートしながら作品を作っていくことで
「ファッションモデル」という「職業」が「演劇をする」ということを学び、
「何を伝え、何を伝えないか」を正しく判断し、「場」に応じた
「感情のコントロール」を学んだ。

 故に、彼ら、彼女らは「ファッションモデル」以外に自らを「表現する」
ことのできる「仕事」を徐々に手に入れつつある、という現実が生まれた。
現実はさらに彼ら、彼女らを「演者」として次なるステージ、
「自らの身体言語だけ」で勝負するしかない「ガチの演劇」に
足を踏み入れさせようとしている。

 こういうことはさておいて、表演空間をひと目見て、驚いた。
なんていうか、これ「ハニカム構造」というものやないですか。

 ざっくり言えば、「部材」というものを「蜂の巣状」に組んで
形を作れば、かなりの強度が生まれ、使える空間自体も
最大限のものが生まれる構造だ、ということ。

 さらにいえば、「蜂の巣」という「自然の営み」を
「人間の生活」に「落とし込んだ」デザインは2015年でも
(21世紀も、もう15年経過したのか!!)全く古さ、というものを
感じることなく、むしろより一層の「新しさ」すら感じ取ってしまう。

 お話の構造として「自作の構想」がうまくまとまらない
売れっ子の小説家、「何か良からぬことを企んでいる」陰の勢力、
そして「メジャーデビュー」という「一つの目標」を窺うロックバンド。

 これら三者三様の「ドタバタ具合」を「断片的」に見せていきながら、
はりーの可愛くてえげつない「ミツバチ」という存在が「運命」という
「花粉、あるいは媒介物」をあっちにやったり、こっちにやったりして
さらにはおバカまるだしで振る舞うことで「生きるとは何、死ぬのって何」という
「硬い話題」を「柔らかく」見せている。

 「硬い話題」を「柔らかく」見せてしまうと、「幸運も不運も紙一重」という
こともわかるし、「人生、どう転ぶかわからない」ということも良くわかる。
そして、そうなることの「必然性」や「意味」というものまでも
きっちり見せている。

 そうなるためにはそうなるための「事情」というものがあり、
この事情が「必然」を生み出し、最終的に「必然」は成果や
結果へと「昇華」していくのだ。

 この「昇華」はまさしく「修羅場」そのもの。
ひとつ油断すれば足元を何かに掬われ、気がつけばすべてを
失ってしまう、この様子がえげつない。

 えげつない「修羅場」を通り抜ける「紙一重」を
「新しい世」行きの「修羅場」を通り抜けるための「列車のチケット」を
ミツバチがやりとりするさまを人はよく見ることができず、
「なぜ」を重ね、そして繰り返していく。

 ミツバチ自体も「使者」として働く以外のことを
「上から」教えられていない、故に、「なぜ」と言われても
その「なぜ」に答えようがない。

 答えようがない「答え」を探す、ということは
必然として「立場」というものが入れ替わり、立ち変わる中で
「チャンス」や「役割」、そして「居場所」は変化していく、
もし、その場でじっと待っていたらチャンスも、役割も、何もつかめない。
・・・だったら「自分」から掴みに行くしか、道はない。

 自ら「つかみ」に行くことで困っている人を
気がつけば「助ける」ことになり、その助けてもらった「恩」が
まわりまわって自らを「助ける」事になる。
そうしてみんな、それぞれの「チャンス」や「役割」、
そして居場所を見つけ「黄金の毒の国」へと足を運ぶ。

 また「ゴールデン・ゴールデンポイズン」を見たくなったではないか。
・・・こんどはかわさきゆうVer.で。
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