九大大橋キャンパス演劇部 「幸せはいつも小さくて東京はそれよりも大きい」

すべてを「リ・デザイン」する、という凄み。

 数年前の8月、東京のアマヤドリという劇団が元版を
福岡ぽんプラザホールでやり、これを実際に見た(かもしれない)
熊本の劇団「不思議少年」が「熊本からのお返事」というか
「熊本からの挑戦状」という形として「東京ジャングル」という
戯曲を書いて、上演し、倍ではなく、乗の速さと強さを重ね、
今や九州で次を担う有望劇団の位置にまで辿り着いた。

 自分も自分で、この元版を見に行く日の午前中に
「飛び込んで」来た会社とわたしの「考え方」の「すり合わせ会」以来
わたしは本気で演劇とハンバーグ工場の仕事とを「掛けあわせて」
生きてみよう、と考え、九大大橋キャンパスでやっている
アートマネジメントの社会人講座を受け、総まとめとして、
こないだ公演を一本作ってきた。

 この公演での仕事とそこに至るまでのなんだかんだを
思い出していたら、このタイミングでお手伝いしてくれたところが
「原点」になる演目をやる、なんという偶然か、と驚き、ハコに行く。

 ハコに入るなり、驚いた。
表演空間の入り口に「東京」のビル群、というか「都市山脈」を
イメージしたダンボール細工がドン、と鎮座していて、
これを眺めながら表演空間に入ると白、白、白一色に
「生活感」というものがぎっちりと詰まっている、という
恐ろしく凝った空間の作りになっている。

 アマヤドリの元版はこういった、というよりか、
これよりも「シンプル」な表演空間で「一糸乱れぬポジション・ワーク」を
繰り広げていたが、フィジカルと身体言語がやや劣ることを
この大橋キャンパス演劇部はどう補うのか、つらつら考えながら
置いてあるものを見ていると、なにか懐かしい。

 今や、ほとんど見ることのできなくなっている2槽式洗濯機、
その他にも色んな意味で「懐かしいもの」がいっぱい揃っている。

 この白一色の「懐かしい」空間にドアが3枚、というギミックがあり、
ところどころに「黒」をアクセント、というかポイントで「置いて」あるから
尋常ではない、さらには「鏡」という「自ら」を写すものや
「時計」、あるいは「時間という概念」といった「心理的な軸」を
示すものが全く存在しない。

 この空間で、奇妙で、恐ろしい「事件」という「物語」が始まるのか。
いわゆる「メンヘル」で「コミュ障」の美人がある日突然、
平和に生活している「シェアハウス」の中に飛び込んで
このハウスの「生活者」のひとりである男に「しがみついた」。

 ・・・「監禁」されていたならばまずは警察行きな、というが、
当の本人は警察行きたくない、と言い、さらには真実も大事なことも
名前も、住所も何も喋らない、ということは何か「秘密」を
抱えているのだろう。

 この抱えている秘密が平和な日常をひたひたと侵食していることを
知らないまま、毎日を生き、たまたまうるさいと苛立っていた、
アカの他人が実は知り合いだったり、というようにわたしたちを
構成している「社会」というものの「歯車」の揃いや狂いの様子を
フォーメーション・ワークで再現しているのか、という発見。

 家とバイトの往復、バイトは夕方から夜中の2時まで、
それから始発の電車まで別の店で飲んだくれている、という
日常があり、「監禁」からまた別の「監禁」へと自らの意志で
「場所」だけが移動するある種変態的な日常、
せっかく一緒になったのになる前より離れ離れになってしまった
「トゲのある」日常だってある。

 これらの「日常」という断片をポップな「会話」でまとめているから
「5年前」のお話、生活空間なのに、気がつけば「2015年」の
お話に化けてしまっているほど全く古さ、というものを感じない。

 それはさておき、私達はひとつの「宇宙」を生きていて、
この「宇宙」にひとつしか「開けられていない」窓の向こうにも
また別の宇宙が存在している。

 わたしたちはどうやら「別の宇宙、異者の時間」というものを
無視しすぎているきらいがあり、これが心配する「ふり」、
わかっている「つもり」、というへんてこりんな「ピン」というものが
心に刺さって追い詰められてしまう。

 けれども「ピン」の存在や刺さっていることがわからないから
どうしていいか、わからない、わからないから他人と触れたくない、
触れたくないからうまくいかない、うまくいかないから現実と
非現実の区別がわからない。

 これらの「わからない」をごまかすことのできる「魔法の言葉」が
「向いていない」とか「XX不足」という言葉なのかもしれない。
われら幼い若者、いや、人類は安易に、この「魔法の言葉」を使い
「傍観者」になろうとするが、なろうとすればなるほど皮肉なことに
より変な形で「事件」や「事物」に関わってしまいがちになる。

 こうなってしまうと「ルール」って何? 「責任」って何?
さらに言えば、「人生」って何?
これらの問いがもくもくと湧き出てくると、結局、みんな、誰もが
「当事者」であって、いま、そこにいる場には「傍観者」というものは
誰も存在しないわけで。

 なのに、「当事者」を引き受けたら「人の機微」は理屈では
わからないことを知らないがゆえのカオスに巻き込まれる。

 こういうキツイお話をムーブマイムの精度と密度はもちろんのこと、
芸工大らしく空間全体のデザインで「見手に負担を掛けない形で
多くの情報を提供する」ように作られている。
 
 故に、流れる空気はライトな「クラブ系」なんだけれど、
どこかえげつない 。
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