野田地図「エッグ」

「救済されなかった、救済できなかった魂、
あるいは記憶の物語」

 「ワンチャンス」をものにした、と言うかできた。
そめごころの「Death Disco」を見た時、この「エッグ」に
重なるところが多々見られる、だとしたら「エッグ」初演を
見に行っていない自分は「Death Disco」をうまく整理できない。

 こういうことを考えていたら、奇跡的にエッグ再演するぞ、
今度は北芸でもやるぞと連絡があったが、その頃は
色んな意味で準備ができなかった、故にチケット第一次争奪戦に
ものの見事に出遅れ、第二次争奪戦も出遅れ、「リセール」での
出物があっても指をくわえて見送る以前、「ああ、もう見に行けないのか」
というところに最後の最後で演出プラン確定による「追加席」が出た。

 最後の最後で上手くタイミングが合って何とか手に入れて何より。

 なんか、高校生の頃、初めて「夢の遊眠社」をももちパレス
大ホールの下手、一番端っこの客席にぎりぎり学生服、
高校のテストで日曜登校の隙間からようやらやっと潜り込んだ
あの頃とおんなじ気持ちだ。

 あの頃は高校生「的」チケットなんていうありがたいものもなく、
4000円から5000円もする決して安くないチケットをよく買ったな、
というか、買えたものだ、自分。

 そう考えてみるといまどきの若者って恵まれている、というか
恵まれすぎている、「場」も「情報」も全て用意されていて、
「負担」というものも余りかからない、半分の「苦労」で
最大の「結果」が出せるから現実的になるんだろうな、と開場前の
雑踏を見ながらふと思っていた。

 さて、座席の位置、思わず驚いてしまった。
リアルに「スカウター・シート」という位置を貰ってしまったぞ。
一番後ろの音響や照明のコントロールブースの近く、
天について若干の「見切れ」はあるけれど、気になるレベルじゃない。
後ろを振り返ればお客さんのなんだかんだを見ることのできる
大変便利なポジションだ。

 前方表演部に目をやると、なんというかアンドリュー・ロイド・ウェバーの
「オペラ座の怪人」、開場時から開演までの空間のつくりを彷彿とさせる
「全てが終わってしまった感」が野田秀樹の流儀で表現されている。

 全体的な空気は「演劇」というか「ライブ会場」のノリでおしゃれな
客が沢山いる中で「サッカー場」のような猛々しい音をぶちかましている。
この違和感、というものが今回の肝だったのだろう。

 ふと正気に帰ると、板の上では野田秀樹が自らが具有する
「両性具合」をうまく引っ張りだして修学旅行中の「女子高生」
(ここが物語の肝!!「男子高校生」は混ざらない)に「場所の物語」を
語り、これを「スイッチ」にして「全てが終わってしまった場に残された」
夫婦が現れ、気がつけば「飛ぶ劇場」の名作「Iron」を意識した
「ロッカールーム」が現れて、物語が動き出す。

 物語の柱は「開催されなかった」、「開催された」、
「これから開催されようとしている」、「3つの背景」を持った
「東京オリンピック」というスポーツイベント。

 このスポーツイベントで開催されるはずの「エッグ」という
実際には存在しない、そして断片的にしかルールや
どう競技するのか、見せないがどうやらクリケットという
実際にあるスポーツと似ているところはあるが、少しだけ似てない
スポーツを仕立てあげ、ここにもまた「オペラ座の怪人」の
人間関係、というものを巧みに混ぜ込んたフィクションを仕立てあげた。

 歌姫クリスティーナがイチゴイチエで、ファントムがツブラヤ、
ラウールがアベベ、という「三角関係」というものとして
そこに存在している。

 隠し味として「野球のオリンピック除外問題」や「ドーピング問題」
「隠れ性別問題」、そして「アベベ・ビキラ」という大変優秀なアスリートが
東京オリンピックのち、どんな人生を送り、死んでいったか。
という「現実」というか、「事実」という超弩級の毒を用意周到に仕込む。

 全ては嘘で、全ては事実、あるいは真実。
否定もありで肯定もあり、それが生きている、ということを
丹念に記録する「記録係」として寺山修司が「存在」し、
更には、この「記録」に「プロパガンダ」や「医療による大量抹殺」、
嘘や事実や真実すべてを突き詰めていくと、時代というものが
「女性の勝利・男性の敗北」という結果の継続と「常に生贄を求める」、
「生贄を求める」ということは「救済されなかった、救済できなかった魂、
あるいは記憶の物語」というものを「受け入れなければいけない」
という要素が明らかになっていく。

 これらの記録や要素にロック音楽とコンテンポラリーダンスを
ガチで混ぜて、場面転換にはブレヒト・カーテンを効果的に使う。
一つ一つがかなり刺激的で、挑発的な作りになっている。

 刺激的で見手を常に挑発しているから、いままで「鵜呑み」に
していた「物語」が実は「半分が真実・半分が嘘」だということを
じわじわと知ることになり、知ることによって生まれる違和感と
反発感が見る人によってはすごく感じるのだろう。

 そめごころの「Death Disco」をこの文脈で整理してみると
「東京オリンピック」に加えて「3・11東日本大震災」と
「フクシマ」の原子力発電事故を絡めて、スポーツの要素は
少なめに、その代わり、「差別」というものでわたしたちは
「殺し合い」をしている、という「事実」や「現実」にまで踏み込んだなと。

 「前に進んでいる」からこういうことがわかる、そして
「救済されなかった、救済できなかった魂、あるいは記憶の物語」を
どういう形であれ、救済することができるかもしれない。

 逆に、「前に進むことをやめる」ということは「救済されなかった、
救済できなかった魂、あるいは記憶の物語」を消去すること。
故に、滅びることしか選択の道はない。

 故に、この物語は「前に進むことをやめた」から
ああいうふうにして、壊れてしまった。
そしてある一欠片が天井の一番高いところにくっついて離れないのだ。
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