大体2ミリ 「悪い天気 リーディング公演」

より過激な、「春雨じゃ、濡れて参ろうぞ」。

 「リーディング公演」であるがゆえの空間のシンプルさ。
上手の方にある「ト書き読み」が入るポジションにアナログ式の
ブラウン管テレビ、そして鉄の棒が一本立っている。
これらの存在がなにか意味深なメッセージを持っている。

 けれども、開演前、流れている空気はなんだか緩い。
おまけにもっさりとした感じで物語が始まろうとしている。

 その空気の中でこれからわたしの生活と演劇というものが
グルグルと動いていくのだろう、グルグルと動かさなければ
すべてが前に進まなくなる状態なのだろう、しんどいけれど。
とにかくふんばろう、うん、とまとめていたらもそもそと本編始まる。

 雨が降りそうでなかなか降らない空模様。
公園のベンチに「存在している」ひと組の男と女。
・・・空間の作りと相まってより一層意味深な状態を作っている。

 この「男と女」は夫婦なのか、それとも「わけあり」の関係なのか
よく分からない、そういう「関係」で人間、長い間生きていると
「天気が転機」となることが多々ありまして、というさわりを始める。

 冬には冬の「からだ」があり、春には春の「からだ」、
夏には夏の「からだ」としてそこに存在し、秋には秋の「からだ」がある。
それぞれの「からだの変化」というものが諸々の事情や加齢によって
しんどくなってくるものだ、という会話が延々と続くのを聞くと
わたしの身にも重なるところが多々あって切なくなる。

 さらにアトピーなのか、アレルギーなのかわからないなら
病院いけよ、という話をしていたらヴォルフガングさん、という
「謎の人物」が唐突に現れ、ベンチの傍らにある街灯がチカチカする
「状態」を持っていた傘の「一撃」で直してしまう、というありえへんことが
起こり、今度は蓄膿症かよ、とカオスが深まっていく。

 深まったカオスに「メガネ」に関する「意味」や「本質」、
おまけの「存在」について「問い」というものを繰り出されると
いつの間にかわたしの頭がぐにょんぐにょんしてしまい、
「なんだか邪魔」という「精神的な」ノイズと「雨音」という
「物理的な」ノイズというふたつの「ノイズ」が酷く重なって、
よりわたしの頭はぐにょんぐにょんしてしまう。

 板の上ではセックスだの、食べ物だのいろんな方向に
話は飛んで、いま、板の上で起きている状況が
「お互い、たいへん飲み過ぎていて何をしでかすかわからない」から
ありえないことがありえるようになる、しまいにはそれぞれの持つ
「心の声」まで聞こえてしまったら収拾がつかなくなってしまう。

 気がつけば雨は激しくなり、あらゆる意味でぐちゃぐちゃの
どろどろになって、話の行く末が見えなくなり、見えても
結局、何も内容のない殻の話だから、しまいにはブチ切れて
ぶっ壊れて、いつのまにやらホラーと化してサンドストーム。

 演劇の基本である、「行き違い・すれ違い・勘違い」を
極限まで突き詰めやがった唐突感の連続、とはこのことか。

 リーディング公演がこうやってあまりにもカオス過ぎると
実演になったら更にカオスが強くなり、かなりやばくなりそう。
・・・この戯曲、演出家泣かせの戯曲だよ、本当に。
14+のさとねーさん「夫婦」にもう一枚「誰か」をかませたら
より楽しいことになりそう。

 がだ、最後の「雨に濡れながら(真っ裸で)放尿したい」と
女がのたまうセリフは飯野のおねーさんが言うから
「変態」にも聞こえないし、「エロ」の方向にも流れない、
なんと言えばいいんだろう、何かのウップンを晴らすための
「咆哮」という「ねぎらい」の意味として取れてしまう。
そして、思わず飯野のおねーさんを抱きしめてしまいそうになる。
・・・バスタオル、というものをもって、広げて。

 このセリフをみやむらじじが言うと「性的な意味」でえげつなくなるし、
もりおかひかるだと「性的な意味」でやけくそに聞こえてしまう。
さらにはたさきこぱるになるとこのセリフ、あるいはより過激なせりふを
言いながら実際に放尿してしまう可能性が。

 うーん、その差は一体何なんだろう?
スポンサーサイト
プロフィール

itumo25254you

Author:itumo25254you
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR