雨傘屋「すなあそび」

本当の「コメディ」とは、笑いの中に
ほんの少しだけ「毒と哀しみ」がまざっている。


 まあ、人生もおんなじやね、うん。
そういうことを感じることができるから、こちらが逆に
「ありがとうございます」と思わず言ってしまうわけで。

 自分が「対人的」なところで「めんどくさい」ところが多々あり、
この「弱点」を頭のいい人、というか少々意地汚い人に
突っつかれた時はさすがにしんどい。

 けれども、この「めんどくさい」ところを「嫌いではない」と
わかってくれている人もいる、それもありがたい。

 そういうことを考えながらハコの中に入ると、表演部には
砂、砂、砂だらけ、客動線はきちんとビニールで養生しているけれど、
それがわからないくらい灯りを極端なくらい落としているから
客席部に辿り着くまでが非常に難儀する。

 がだ、客席にたどり着いて、座って、表演部のどまんなかにある
「砂山」を見てしまうと、わけもなくわくわくするのはなぜだろう?

 もしかしたら、この「砂山」には人が埋まっているかもしれないし、
人が埋まっていないにしても山の真ん中にでっかい棒を
一本おっ立ててここにいるみんなで大砂山崩し大会やりたいな、
なんて「妄想」をしていたらいつの間にか前説が始まり、本編が始まる。

 ある砂浜である夫婦が何かを掘ろうと準備をしている。
夫は何かを掘る前に海にまつわる歌を歌わないと調子が狂うらしい。
けれども、ある部分からの歌詞がなかなか思い出せない。
というわけでまた最初から歌いはじめるけれど、同じ所で引っかかる。

 妻はその様子を見て、呆れながらもお昼ごはんの準備をする。
けれども妻は妻でサンドイッチと紅茶は持ってきたけれど、
肝心のゆで卵と角砂糖を忘れてきてしまった。

 忘れてしまった、という事実に気がつくタイミングで
若い夫婦ふたりがいいタイミングで「ゆで卵」と「角砂糖」を
何故か知らないが、売りにやってきたではないか!!

 がだ、それを必要としていない状態になってしまったから
もういらないよ、いやいや、買ってくれないと帰ることができないんだよ、
という押し問答が繰り返されて、さあ掘るぞ、というけれど一体何を掘る?
という押し問答がまた始まって、なかなか本題の「掘る」という行動に
たどり着かない。

 押し問答が繰り返されている間にも、「救世主」というものを探しに
牧師らしき存在がツルハシ持って砂山にやってくるわ、
更には医者とその婚約者らしき看護婦がやってきて、
「まい・すいーともうちょう」はどこ?てな具合の勢いで砂山にやってくる。

 そうして三者三様、それぞれのやり方で「砂山」を掘り始める。
けれども、ほっても、ほっても何も出てこない。
出てこないところに何かが「おわり」を告げる合図とともに、
「リアルな」看護婦さん、しかも3人やってきた瞬間に、
今まで掘っていた人々は生を失い、その周りを看護婦たちは
ぐるぐる回りながら熊本語で何かを話している。

 そうすると、場の空気は「夏の海」から「秋の海」へと
一瞬にして変化する、その様子が「人生の終わり」と重なって
さらには「松原遠く」で始まる歌と「佐渡の砂山」という歌の持つ
「空気感」の対比が恐ろしいくらいに見手に伝わってくる。

 そうだとすれば、いま、板の上で起きている状況は
「現実」なのか、それとも、あの「考古学者になれなかった」男の
頭のなか、しかも、もうすぐこの世からさようならする寸前で見る
ひとつの「妄想」だったのか、色々と判断しかねない。

 この世からさようならするときに見る「妄想」だとすれば
あの医者は主治医だったのか、水着の若い夫婦は息子か、
それとも娘夫婦だったのか、そして牧師は・・・。

 見れば見るほど、考えれば考えるほど、思えば思うほど
用意周到に仕掛けられた砂の落とし穴に嵌まり、気が付くと
物語から這い上がってうまく現実に戻れない。

 こういう状況に嵌ってしまうと、正直、何が「幸せ」なのか
訳がわからなくなり、わからない状況でほんの少しの毒を
飲んでしまうと「幸せ」という存在自体があるのか、ないのか、
さえもわからなくなってしまう。
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