劇団ピロシキマン「現場にて」

すべてが「リアル」すぎる空間だ。

 表演空間がものごっつうリアルな「現場事務所」、
あるいは「工事現場」というものやで。
そこに在る全ての一つ一つがリアル過ぎて「工事現場マニア」と呼ばれる
人々にはたまらない空間なんだろうなぁ。

 更には客入れ音がビートルズ末期の楽曲を使っている。
そういうことをつらつら考えては見るが、ピロシキマンのほうが
ルアーノデルモーズより少しだけアウェイ感、というものを感じてしまう。

 演者の身内、というか、演劇を見るにあたって若干の素人さんが
客席に多くいると変に緊張してしまい、くつろいでみることができない。
そんな塩梅でガチガチに緊張していたら、もう本編だよ。

 今回の物語の肝は何か「わけあり」の土地に橋を架ける、
その工程の中で一癖も二癖もあるけれども、「職業倫理」という
ものだけはきちんと持っている人間の集団に入ってきた
「中途半端」な若者が揉まれに揉まれて「職業人」となる。

 というか一端の「職業人」になるための訓練として
「ラグビー・ユニオン」という「ギミック」を社会が使っていたのか。
その証拠に、トップリーグという場所にいるヤマハ発動機ジュビロ、
というチームが実際の試合や練習に使っていたラグビーボールが
板の上で「演技」しているよ。
(多分出処は村田亙つながり、だと推測するが、どうだろう?)

 そんなことはさておいて、「建物を作る」、「橋をかける」、
「トンネルを掘る」、「機械を作る」、「服を縫う」、「食べ物を作る」などと
世の中、いろんな「作る」があるけれど、これらの「作る」は
みんな「人の命」というものに大きく関わってくるし、
「作る」事によって生み出された「もの」にわたしたちは
私達自身の「命」というものを預けて生きている。

 だからこそ、「作る」ことに携わる人々には高過ぎるほどの
「職業倫理」が必要になってくるのかもしれない。

 この「職業倫理」というものを軸に、「住民ごと捨てられたある村」を
めぐるミステリーというか、ホラーが入ってきて、なぜここの村人たちは
「棄民」となってしまったのか?という複雑な気持ち、「差別」というものの
怖さ、「大切な人」を守れなかった、という後悔にも似た思い。

 これらを全て、盛りだくさんの「ギミック」で見せ、
というか、若者が事務係として働きに来た「少女」との
「約束」を守るために取った「ある出来事」によって、
「作る」ということでご飯を食べるということは、
自分一人ではなく共に働く人、そしてそれらの家族、
ひいては周りの人生を背負っていることをシンプルにみせている。

 「責任」というやつはそれだけでたくさんの人が持っている
「これから」というものを大きく変えてしまう。
その重さを教えることができるから「責任者」と呼ばれるのだよ。

 だからこそ「命を預ける」ということはとても重いことなのだ。
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