非・売れ線系ビーナス「キリエ礼讃」

「ラッキーチャーム(縁起者)」の一生。

 非売れ、ぽんプラザホールに得意技の「歌謡劇場」をひっさげて
久しぶりの帰還を果たす。

 それまでに、いろいろなことがあったんだよなぁ、と思い出しながら
きちんと幕で表演部を隠している、ということは
ガチの「エンターテイメント」をするんやね、そうしていると
いつの間にかオーバーチュアーがかかり、幕が開く。

 そこには「上の世界」と「下の世界」がイントレ足場で
はっきり分けられた表演空間が存在し、カオス、いや「起きてしまった」
出来事の跡地に立って、出来事の「欠片」を見つけた瞬間、
物語とエンターテイメントの「スイッチ」というものがはいってしまう。

 一度スイッチが入ると、キリエ役の女の子が歌、ダンスキレキレの
足立梨花かよ!!という出来、そして不思議な「パワー」というものに
他の演者が引っ張られ、それぞれがキレキレの歌、
キレキレのダンスをぶちかます、それだけでもまじすげぇ。

 さらにはキリエに「対比する」ロメという女の子を
ダブル・キャストにすることでAVというか・・・エロ動画も好きな
自分にとってなんとも言えねぇや。
なりきよVer.はある「熟女系エロ動画」で有名な某女優を思い出すし、
あだちまみVer.はこれまた「痴女系エロ動画」で有名な某女優を
思い出して・・・次行くよ、次。

 「ヨゴレ感」と「清純感」という相反するふたつの空気が
エンターテイメントというものでしっかりと中和されているから
エグい「性」の物語が「聖」なる物語へとうまくすり替わっている。

 「すり替え」の隠し味として「アダムス・ファミリー」の「ハンド君」やら
「レ・ミゼラブル」のバリケード、に代表される映画やミュージカル、
更には「AKB襲撃事件」という事実などをうまくパッチワークしている。

 物語の基本的な骨組みはミッション系の学校を出た人が
座組の大半を占めているからなのか、「キリストの生誕物語」の
すべてを「借用」して「ラッキー・チャーム(縁起者)」という存在として
産まれて、生きて、死んでいく過程を見せていく。

ぶっちゃけ言えば「親切せずにはいられない」、
「チヤホヤせずにはいられない」非凡な存在は現実に何万人、
何十万人、何百万人、何千万人に数人の割合で存在し、
凡人たる我々は彼ら、彼女らのことを「スター」とか「カリスマ」とか
言って信じられないくらいの大金を払い、彼ら、彼女らを「消費」する。

 そうすることで「ラッキー・チャーム」たる彼ら彼女らは
たくさんの「親切」や「好意」を受け取って身にまとい「親切」や「好意」を
与えた、というか支払った存在に対して「幸福」あるいは「幸運」を
お返しし、また、たくさんのあたらしい「幸運」や「幸福」を受け取って、
身にまとい、光と力にして「次」を開いていく。

 がだ、「ラッキーチャーム」たる彼ら彼女らは
自身が「ラッキーチャーム」であることに気が付かないものだ。
故に、「ラッキー・チャーム」であることを「努力の賜物」という
正反対の言葉で「ごまかして」しまいがちになる。
その「ごまかすこと」は凡人にとっていささか鼻につくものなのだが。

 あるいは「凡人ではない」ことがあまりにも恥ずかしいと考えてしまう。

  けれども、凡人はラッキーチャームを狂おしい程に欲する。
愛に飢えているから人は親切を求めるとも言うが。

 それを見て、一度「ラッキー・チャーム」であることを自覚し、
「受け取ったもの」をどう「返したらいいのか」という
考えなくてもいいことをひとたび考えてしまえば持っていた
エネルギーの回転が逆方向に向いてしまい、気がつけば
「不運」へと転じてしまう事が多々あるわけで。

 「不運」へと転じてしまうと自らを巡る状況は「楽界」から
「苦界」へと化けてしまい、「カリスマ」や「スター」から転じた
狂信的な信仰は殉教という行動に変化し、これら異様な状態から
逃げ出すためにますます苦界へと歩みを進め、気がつけば
「歌舞伎町」も「吉原」も裸足で逃げ出すほど、えげつない
日本最強の苦界、「飛田新地」へと流れ着く羽目になった。

 この流れ流れていくところでわたしたちはキリエという存在を通して
「善」なるものに隠されている「悪」と「悪」なるものに隠されている「善」
それぞれに目を向け、考えることが出来たのかもしれない。

 キリエ自身も村西くんという存在を通して「善」の中に「悪」があり、
「悪」の中にも「善」があることを知ることとなる。
そういうことを教え、知ることが出来る関係を本当は「愛」といい、
「愛」が仲立ちをしている「関係」は異性、同性問わず性的に
ムラムラしないし、セックスどころか立ちもしない。

 更に言えば、「愛」というものは「見返り」なんて必要としないし、
そういうものを求めることなんてできない。
「見返り」を必要としたり、求めたりしたらそれは「親切」や
「好意」というものに化けてしまい人と人の間がややこしくなる。
ややこしくなる一番の例が「同性婚」というやつを認めるか否か。

 こういう重たいものをライトに見せるなんざ、エンターテイメントって
なんか凄いな、と感じてしまう。
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