北芸✕北美「画狂老人@北斎」

アーティストはいかなる表現方法であれ、
「自分のより良き、理想の線」というものを
生涯をかけて、追い求めていくものかもしれない。


 というか、わたしたち凡人もその一生を掛けて
何か「より良き線」を追求することを何処かでやっているのか。

 「画狂老人」というタイトルの一部とあの「長すぎる」サブタイトルを
うまく作り替えてあげるといろいろな意味でしっくり来るなぁ、おい。

 前置きはここまでにして、北九州、初夏の風物詩、
「美術マニア」と「演劇マニア」が同じ場所に集って
「混ざっていく」年に一度の試みがやってきた。

 いつもは「美術館で働く人々」と「劇場で働く人々」の
体の線や着ている洋服の違いを入場前から感じるところから
物語は始まっているのですが、今回は時間も時間だ、
そういうところをすっ飛ばしていきなり物語へと入る。

 ・・・物凄くシンプル、おまけに机と椅子の並びが
アーティスティック、更に背景の「富嶽三十六景・神奈川沖浪裏」の
生々しすぎる波濤がどーんと、客入れ音の心を揺さぶる津軽三味線、
なんだか異様な状態から演者が入り前説が始まる。

 今回の前説は諸注意事項の伝達の前に出演者が
「携帯電話の電源の落とし方」というものを懇切丁寧に教えている。
そう言えば、前回のバスキア、こちとら演劇マニアは
前説から物語にじわじわと集中していこうとするのに
隣の美術マニアが携帯の電源落としを執拗に(以下略。
・・・というか、北芸の方々もこれ、読んでいるのね。

 そんなこんなで本編に入るとのっけから心、突き刺してくるよ。
「歌麿 54歳没・國重・54歳没」
「手塚治虫 60歳没・石ノ森章太郎 60歳没」
「藤子F不二雄 62歳没」・・・おい、赤塚不二夫は?

 そして、「北斎 90歳没」と先人たちが「命を削った様」を
しっかり見せてからの「川村鉄蔵 77歳」という
この歳にしてはあまりにもポップで、あまりにもキッチュな
アーティスト、しかも若い感性、というものも持っている、
そんな人物の「生きている・生きていた証」を
「なぜ、そうすることができたのか」ということを丁寧に紐解く趣。

 まずは若いころ、漫画家としてキャリアを始めた時、
出版社の担当編集から「長所」を見出され、伸ばすための参考として
彼の終生の「テキスト(教本)」となった北斎の画集と「北斎漫画」
という「描画集」を手渡され、川村鉄蔵という一人の人間が
「定規などの道具を使うことなく、自らの手のみで書いた理想の線」を
追い求める行為を始めたところから。

 当初は先人たちが書いた漫画作品を「追跡」し、
それらを模倣し、オリジナルを加えて「自分の作品」というものにする。
この「経済的活動」の合間に北斎を参考にしながら「描線」を学ぶ。
そのせいか、少しづつ画力が上がり、そこそこ売れるようになった。

 けれども、担当編集の力不足もあるが、「物語」や「性格」の
「描線、描画」まではうまく手が回らず、「追跡・模倣」の繰り返し
にも限界が訪れ、連載は打ち切り、運の悪いことにちょうど家族を
作ることになり、生きるための仕事をしながら北斎の描線に
自らの描線を重ね、より「自らの線」についての学びに没頭し、
気が付くといつの間にか「ひとり」になっていた。

 この様子を見てわたしはある5月の昼下がり、とあるサッカー場の
入場待機列で交わしたある会話、というモノをつとつと思いだしていた。

 そういえば、わたしもわたしで「描線」というものにおいて
ものすごくこだわり、というものを持っていたのだな、
「線を書く」という「行動」において、時と場合で線の太さや
色、その他もろもろを違えさせていくし、使う道具も違えさせている。

 さらに、演劇が終わったあと、美術館の学芸員による
レクチャーで「富嶽三十六景」は海に面した「表富士」の主線の色は
「墨」ではなく、「紺」というか「藍」を使い、反対側、山に面した
「裏富士」の主線の色は「墨」を使っていた、これが肝、という話を
聞き、「こういうこだわりがあるから絵が生きるのか」ということと、
自分のこだわりに対して「これでいいのだ」と思えるようになった。

 さあ、また本編に戻ろう。
奥さんが生活に頓着することなく、子供の一生はわたしが面倒見るから
あなたは本当に好きな絵を納得するまで書いて、という「愛情表現」を
「離婚」という普通では「悲しい」出来事として示して、通り抜ける。

 通り抜けた先がシルバー人材センター、市民センターという
公民館の少し進んだ形で行われる絵画講座の講師に収まって
「描線」というか「描画」を教えていた。

 その中で「絵」というか「線」というものに卑しいも貴いもなく、
「書くこと」自体が尊い、という出来事があり、「自らの理想」とする
「描線」をじっくり、ゆっくり追い求める環境を手に入れた。 

 そこに憎みあって別れたわけじゃないから色んな意味で
「家族」との「漫画」を媒介とした交流は結構あって、結果として
孫が世界有数の「コスプレイヤー」という「職業」になってしまった。

 彼女が「川村鉄蔵」という存在に出会い、「いままで」と「これから」が
「合体・融合」したら不得手だった「物語」や「性格」の線が
なんとなくまとまり、「紙の印刷物」から「インターネット」という
「発表の場」が大きく様変わりする時代に乗っかって人気が爆発した。
世界で売れ始めると、もう止まらない。

 そこまで来るのに50年も長い時間が掛かったわけだが、
普通では挫けてすべてをやめてしまいそうになるのに、
川村鉄蔵は成し遂げた、なぜ?

 それは、「うまくなりたい」という一念を貫き通せたこと、
貫き通すための縁として「あなたは北斎の生まれ変わりだ」という
ただ単純な「思い込み」を生涯信じ抜けたこと。
このふたつが自身を励まし、救っていた。

 けれども、人生とは皮肉なもので病という寿命の終わりは
爆発的な歩みを少しずつ止めようとするが、最後の気力を
振り絞って、大きな仕事を自分なりにやり遂げて、遠いところに
行ってしまった、享年78歳。

 さて、この作品を現実的に支えていたのは渡辺明男という
ひとりの「漫画家になりそこねた男」が演者となり、
実際に演劇で使われているアートワークスを自ら書いたこと。
彼のアートワークスたるや、石ノ森、ではなく石森章太郎から
山上たつひこまで、メジャーの「線」からマイナーの「線」まで
ありとあらゆる「線」の書き分けが出来ている。

 さらには、はやまんずるい、はやまんずるい、はやまんずるい、
おまけに、じじえろい、じじえろい、じじえろい、と言わんばかりの
「こども」から「おとな」、そして「ろうじん」、さらには「昔」と「今」という
時間まで縦横無尽に渡り歩くかのような「衣装の早変わり」という
「コスプレ」も作品を現実的に支えていた。

 とは言いつつ、人生という山道を同じ強さで踏み、
同じ速度で歩き続けた人間の強さを泊さん、十分に遊ばせながらも
うまく表現しやがったな、と。

 さて、北斎の影響は「AKIRA」やら「谷口ジロー」だけにとどまらず、
意外なところにまで続いていた。
・・・そう、「シャルリー・エブド襲撃事件」で亡くなった
ティニューというイラストレーターにも。
たまたま、彼が描いた「20年前の九州」の「描画展」に顔を出し、
じっくり見てきたのだが、構図や線のこだわり、素材の選び方、
まさしく「現代版の北斎漫画」そのものだった。
この発見を記して、今年の北芸×北美の締めとしようか。
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