カムヰヤッセン 「山の声-ある登山者の追想」

「名人」とはなんぞや?
「先駆者、あるいは前を行くもの」とは?


 このレポートを書き出すまで、ずいぶん、時間がかかった。
というか、この演目を見に行くまでがえらく大変だった。

 前の日、広島で演劇に関する話し合い、というか
営業活動をしに行って、お金がないからネットカフェの
深夜パックを取り、それも安いやつだから夜中の3時に追い出され、
八丁堀を白島方面に、縮景園を左に見て曲がると
県庁を始めとした官庁街、抜けて紙屋町のバスセンター、
基町の旧広島市民球場跡という
「都会のど真ん中に出来た巨大すぎる空虚」を眺め、
それから高速バスに乗り、福岡に戻る。

 家に戻って、洗濯物を出し、慌てて飯を食い、
博多駅まで電車で行き、それから唐人町までひたすら歩く。
ほんま、ヒイヒイやったで。

 ほんと、ここまでしてわたしはわたしの人生を生きなければ
いけないのか、時々腹ただしくなるし、事実その翌日から
更にこの怒りをこじらせて、演劇に関する文章を書くことを休んだ。

 それはさておき、「大竹野正典」という「戯曲家」を
トリビュートする企画群が東京、大阪でここ数年頻繁にあり、
その企画の流れが福岡にもやってきた。

 彼、という「戯曲家」はいわゆる「戯曲を書き、それを劇化する」こと、
あるいはこれらに付帯するイベントなどの演出とか、その他もろもろの
「演劇に係る仕事」で日々の糧を得ることをせず、
「普通の会社員」として働き、「自らを磨く手段」として、
「普通の会社員生活に役立つ何か」を見出すために「演劇」をした。

 ・・・たまたま会社のレクリエーション活動なのか、
家族サービスなのか詳しいことを聞いていないからよくわからないが、
その場で起きた「水の事故」で亡くなって、その肩書が「戯曲家」では
なく、「会社員」だったことでなんだかんだ言っていた方もいたが、
喜びの場を取材した新聞記事、たまたま居合わせていた
某放送局の女子アナウンサーですらも、肩書が「会社員」だった。
そんなもん、と肝に銘じとかなければ色々とやってられへん。

 ということで、大阪何べん行っても、何本演劇見ても、
大竹野正典とくじら企画、というところに出会っていなかった、
故に、今回のカムヰヤッセンの公演が「彼」との初遭遇であり、
「戯曲」との初遭遇だった。

 登山を知っている人はよく知っている「ある登山家」の回想を
元ネタにして「登山」というものがどういうもので、「ある登山家」が
いままでの「登山」というものをどう変化させて「現在」に繋いでいったか、
大竹野正典という「戯曲家」のいままでやって来たことと、
生きてきたことで生まれた「言葉」を「ある登山家」の回想という「言葉」に
フィードバックさせてみると、より一層「物語」が迫ってきて、
人は「感」じて「動」く動物だったのか、という事実を思い知らされる。

 更に言えば、「コミュニケーション障害」とか、
「アスペルガー症候群」とか、「集団の中にうまく馴染めない」人間は
どの時代にも少なからずいて、そういう人たちもなんとか生きて
いかなくてはいけない、生き延びなければいけない、その手段として
大竹野正典は「戯曲」を書き、仲間を集めて演劇作品を作り、
鈴木一郎は「野球」をずっとやり続け、自分も演劇を使って
沢山の人をつなげようとしているように、この「登山家」は
「山に登る」ことをひとつの「手段」にした。
そして、間接的に植村直己が受け継いだ、という事実。

 けれども、「完璧」というものの基準がまわりの他者、
あるいは異者と異なっているので思いや気持ちが上手く伝わらず、
生活のいろんな場所で誤解や行き違いを生み、居場所を亡くす。
居場所を亡くすから、亡くしそうになるからまた別の人生に
「完璧」というものを求め、さらなるのめり込みとなる。

 けれども、こうしなければその人にあった「形」が作れないし、
その人にあった「形」が錬られて、磨かれることで「名人」
あるいは「名手」と呼ばれるようになるのだ。

 この経過というか道のりを考えると「形」というものは
ある存在や技術が「長い時間」を掛けて培ってきた
「不自由」の中にある「自由」、あるいは「矛盾」の中にある
「調和」というものかもしれない。
更に突き詰めれば自らの「自由」を守るために
自らが自らに課した「不自由」なのかもしれない。

 そういうことを知らない人は「人生」も「登山」も、
そして「演劇」も命懸けてやらへんと身につかへんし、
ましてや名人にもなれないんだ、ということを「特攻隊精神」だとか
「精神主義」だとか「根性主義」といって吐き気を催すような
嫌悪感を示すのだろう。
で、そういう人に限って「人生中庸が一番」なんてことをいう。
・・・で、中庸ってなんやねん?

 ほんまに、人ひとりが生きていくって意外と不自由だな。

 そんなことをつらつら考えると、この人生を始めた頃の出来事を
思い出し、人生を登山と捉えた「詩」らしきものを見つけてしまった。

「山ヲ登ル。」

この道をどれぐらい行けばたどり着くのだろうか、まだ見えない。

空をふと見ると頂上に向かうヘリコプター。
こっちは道なき道をひたすら歩いて
何とか山の中腹までたどり着いた、というのに。

下を見ると落ちたら終わりのがけっぷち。
慎重に一足一足の位置を決めながら歩みを進めている。

そうしていたら、この山を登り終えて、次に登る山の形が見えてきた。

・・・あのヘリコプター、そこまでも行きやがる。
乗っている奴はいったいどこの高みまで上っていくのかな。
ああ、俺も乗りたかった。

気がつけばこの山に一人で登っているよ、
あまりにも険しすぎるこの山に。
みんな、別の山を登っているのだろうか?
もしかしたら山を登ることをあきらめてしまったのかもしれない。
下手すると、どの山を登ればいいか迷って遭難したのもいるのかな。
どうしているか、気になるところはあるけれど、
もう、引き返せないところまで来ちゃったよ。

このがけからわざと足を踏み外して落ちていけば
どんなに楽になるだろうか?

・・・なんで、こんなきっつい山を登ることを選んだのかなぁ。
俺は俺に問いかける。

またヘリコプターが頂上に向かっている。

・・・俺がこの山に登ることを選んだのではない、
山が俺を選んだのかもしれない。
こんな思いをしながらたどり着いた先には
いったいなにが見えるのだろうか?
その途中にはなにがあるのか、それを知る権利を
山からもらったばかりに
こうして苦しい道を行っている。
・・・それでいいやん、登りきるしかないし、この山を。
俺はそう言い聞かせながらまた歩みを進める。
ひたすら、ひたすら、自分の体全体を使って。

 そうして身に付けたものは必要なときに使うことができれば
たくさんの「存在」の命を救うことができる。
けれども、不必要なときに使ってしまえば自らの命を
失う危険にさらされる。
その一番の例が「協調性」と「反協調性」あるいは「孤独」。

 後日、このような思いを見知らぬ誰かに話したら
あなたと同じことをやってきた「先駆者」はいるのか?
ということを聴かれたので「いない」と、とりあえず答えた。
「ある登山家」も「大竹野正典」も「鈴木一郎」も、
そして、わたしも「先駆者」だったのかもしれない。
だとしたら、この戯曲の言わんとしていること、
「先駆者は元から孤独を選ばなければいけない、選ばざるをえない」が
迫力を持って、私の心に襲いかかってくる。

 がだ、心は不思議に安堵している、あたらしい始まりとして。

 さて、わたしは目の前の事物を「どう」使い、「なに」を学ぶのか?
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