KVA あしあとの息吹 「ゴールデン・ゴールデン・ポイズン」

「人」が「生きる」上で
「なりたい・ありたい」、あるいは
「なるべき・あるべき姿」って、
一体何なんだ?


 まず、この戯曲はルアーノデルモーズ、という
「ノアール」というモデルエージェント所属の「モデル」さんが
自らの超える壁、というか「ひとつ上の段階」に向かうために
「演劇」をすることを「選んだ」ところに「初めて」書き下ろした
「長編」作品だということ。

 物語の中身をぶっちゃけると、「ファッション」という
「世界そのもの」を裏も表も全部ひっくるめて
「ゴールデン・ゴールデンシティ」や「高級分譲マンション」という
ひと目「現実でも楽園」という「場所」を「演劇の場」として落とし込み、
現実の社会に転がっている「賛否両論」を隠し味にした
結構ハードなもの。

 この戯曲を作者の直接演出とはいえ、「俳優の卵」に
扱わせること自体がかなりハードなチャレンジ。

 理由は、「たたかうからだ」になる「途中」にいる人たちが
既に「たたかうからだ」に「なっている」人に対して
書かれた戯曲を演るとどう化けるのか、ある用事とともに
行って、見ることにした。

 ・・・結論、「荒削り」であるが故に「紙一重」分の
「隙間」が生まれ、この「隙間」が戯曲の持つ肝というものを
よりいっそう際立たせている。

  空間の造りは白白白一色で「迷路」をおしゃれに作り、
「わたしたちの住んでいる世界とはほんの少し違う」のは
元版そのままに、「荒削り」の持つ「紙一重」分の「余地」を
今回は「あえて」作っている。

 この空間でオープニングの「雨の道」という群舞から
ダンスに「入る」、それから本編、という流れになる、一連の流れの
肝は「赤」を「綺麗」に見せてひとつの「疑う」とその他大勢の
「疑わない、疑うことを知らない」という「対比」を見せていくこと。

 今回はひとりひとりのムーブがほんの少しの「隙間」だらけで
「ポイント」になるべき「赤」がポイントにならず、
いきなり「疑う女」のひとり語りに入ってうああ、と見手はびっくりする。
次のダンス、「踊っている、踊らされている」から「自ら動く、
誰かから動かされている」という対比がはっきり出ないわけで。

 そういう経緯から改めて、モデル、という「職業」の持つ「(潜在的な)
身体能力の高さ」や「リズム感」というものに改めて唸らされる。
更に今回改めて座組を変えてみることで「政治」というものが持つ
「大衆扇動性」と「曖昧さ」が色濃くなって、「離婚ネタ」も含めれば
ゴールデン・ゴールデンシティの市長が福岡市のT市長とダブるのは
ある意味、皮肉、というべきなのか、なんなのか。

 物語進行のリズムはどうやら元版、見ることが出来なかった
かわさきゆう(夢空間スポーツのおねえさん)バージョンに
準拠した流れであり、物語の強度なのかなぁ、と推測する。

 故に、元版を見た時感じることが出来なかった
「しあわせ」と「しあわせを感じる」ということに対して
様々な考察を深めることができるようになったかもしれない。

 まあ、「しあわせ」というものは「苦しみ」を抜いて
「楽」な状態になる、と「宗教的」には定義ができている。
がだ、わたしたちの「足りない」考えでは「苦しみ」を
「無所有である状態」とし、「楽」を「所有している状態」としか
捉えることができていないようだ。

 だからかもしれないが、「何か」をした後に
「利益」というものをついつい期待してしまい、
「期待」してしまうがゆえに「かんちがい」・「ゆきちがい」・
「すれちがい」という3つの「違い」が人生の中に生まれ、
気がつけば「人生」そのものに「迷路」を作り、
その中で抜け道探しながらウロウロしているのだろう。

 抜け道探しながらウロウロすれば、発する言葉には
「複数」の「意味」が生まれ、「意味」を「取り違える」、
その中で「悪」という「概念」が生まれる。

 そうならないように「良き種・良きこと」を施すことが
まわりまわって「良き稔り・良き知らせ」となるのだ、という
「道理」を教えることが親の勤めだ。
そうしなかったから、なし崩しにしたから親は親でなくなるし、
人は人でなくなる。

 こういうセリフを元版も今回もきっちり言葉に出せているから
元版を見た時はみよしみゆうねーさんに関して「あれっ、子持ちなのか、
しかも、シングルマザーなのか」という見後感を抱き、後になって
リアルに二人の子持ちであり、シングルマザーではなく、
夫婦円満にというか(以下略。

 離れていても、知らなくても親は子に「何か」を「残して」居る。
その「残したもの」は「感覚」の中に刻みつけられている。
この道理を知っているから次に踏み出せるし、抜け出せる。

 この道理を知らないから「人の嫌がること」をしている「から」、
「利益」が生まれる、という「良くない種」を知らない内に蒔いて
のちのち苦しんでしまうのだろう、それを見届ける、というのもありだ。

 なんか、「夜」にざわめいて、「ミツバチ」が「時間」と「ワルツ」を踊り、
この場にやってきた、という意味で何故か感慨深いものが。
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