WET BLANKET 「髑髏城の七人」

すべては「髑髏」で始まり、
「髑髏」を以って区切りと成す。


 そういえば、「髑髏城の七人」は数年前、当時の福岡学生演劇が
「ぽんプラザ開設記念演劇祭」にオールスターキャストで
やって、このメンバーがそのままWETとなり、「演劇」という
「時間」を作ってきた。

 その時間の積み重ねが可動式の客席を出さず、
平土間に椅子を直置きして、最低限度の段目を出して
表演空間を広く、厚く作る「形」につながったのだろう。

 故に、ここ数作のWETには「力」というか「圧」がものすごい勢いで
客席になだれ込んでいる、という事実を感じることができた。
その反面、演者にかかる負担が半端なく、休演振替、という
事態もあり、その他にも人生の「節目」が集中してやってきた。

 そうなると一番最初に戻って自分らがどこまで行ったのか、を
見定める必要ができたのかもしれない。
だから「髑髏」を再びやるのか。

 と、なれば、「髑髏」を自分が初めて見たとき、どんな感覚で
どんな感情で見ていたのか、そしてどういうことを考えていたのか、
よくわからない、どうしたんだ?自分。

 そんなことを考えながら、客入れ音のX-JAPANやら
デーモン小暮閣下の歌声のうまさに聞き入っていたらもう本編。

 いろんなところをぐるぐる回っていると「西日本」と「東日本」は
その場所に住んでいる人の生活だって、考え方だって、
文化だって、大きく違ってくるのだ。

こういう「違い」が摩擦を起こして生まれた「世の中の狂い」を
「江戸」という「第六天」で表現したことがお話の土台。

 どの土台にエンターテイメントという形で「遊郭」、あるいは「苦海」を
明るく楽しく見せながらフォーメーション・ワークの美しさで
集団プレッシャーを仕掛けて迫力と圧力を作り上げている。

 これらの力と圧で「日本版レジスタンス物語」をまだまだ荒削りながら
やってのけた、という事実に進化を感じた。
・・・「集中」させながらところどころに「弛緩」をバランスよく混ぜている。

 進化を感じれば感じるほど、「女性の勝利」と「男性の敗北」という
ひとつの現実が見えてきて、いろんなことを考えてしまう。

 その上に「助六」やら「研辰の討たれ」、「白波五人男」という
「歌舞伎」の「形」があり、その「形」に「あしたのジョー」や
「必殺仕事人シリーズ」、森田康光の「そろばんずく」という
「現代ドラマ」の「形」を加えてみると更に考えてしまう。

 こういう力の加減を必要とする「圧の高い戯曲」を
「ああ、楽しかった、面白かった」で終わってしまう
「エンターテイメント」からその先にあるものを考えさせる
「演劇」にまで持って行ったところでWet Blanketという「物語」は
ひとまず終了。

 「演出に著作権」云々、というところで議論があったけれど
「道の途中」にいるものに必要な物は何なんだろう?
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