万能グローブガラパゴスダイナモス 「西のメリーゴーランド」

「またいつか」は「くる」かもしれない、
もしかしたら「こない」かもしれない。


 ずっと昔、縁あってこの劇団の基礎トレーニングを受ける機会があり、
一通り受けて、他の劇団の基礎トレーニングとすり合わせた結果、
「ガラパはラグビーの要素がものすごく強いな」という印象を受けた。

 この印象を強く感じたのが、ランパスの要領で「言葉」を
ボールにして回していく、というトレーニングを受けたとき。

 「サッカーの要素」で演劇をすると「言葉」というボールを
パスする時、すこしのブレも吸収・修正できる幅の広さがあるのだが、
「ラグビーの要素」で演劇をするとぶれ、というものを全く許さない
精度と密度を要求される、この「妥協のなさ」が
ガラパをガラパたらしめているひとつの要素なのかもしれない。

 新しい「節目」を迎え、今までやってきたことを誰にでも「わかる」ように
「見える化」、「見せる化」できるように再編成したのが、
前回の「ひとんちでさよなら」。

 この公演の中で、できたところと出来なかったところを見極め、
様々な手当をして、この公演を迎えた次第。

 今回の表演空間は、ごく普通のリビング、極めてシンプル。
・・・シンプルすぎるほどシンプル、けれども「事の起こり」なのか
「事の次第」なのか、はたまたその両方が「混ざっている」のか、
曖昧になっている空気を抱えている。

 この曖昧さはもしかしたら「パブリックな時間」から
「パーソナルな時間」へと移っていく途中で流れている
ものすごく曖昧な「時の間」と同じものなのかもしれない。

この「時の間」の曖昧さ、「空間」の曖昧さ、
「コミュニケーション」の曖昧さ、その他多くの「多層・多面的」な
曖昧さを幾重にも貼り付けて、序盤はグイグイと物語を進めていく。

 進めていくムーブとしてラグビー南アフリカ代表(スプリングボクス)が
試合でよくやる「ムカデ行進のようなドライビング・モール」を
仕掛けてきた時は「ここまでやるか、ここまで来たか」と
唸らされてしまった。

 この半ば強引、とも取られかねない物語の進み具合で
いつもと同じ「行き(生き)違い」、「勘違い」、そして「擦れ違い」の
お話を「場面」(scene)ではなく「局面(phase)」で繋いで、積み重ねて、
さらに「次」をどうするか、どうなるのか、たくさんの「思い」や「考え」、
そして「思惑」を混ぜ込んでいくと、
ぐるぐると加速しながらいま、そこに在る全てが動き出す。

 もしかして、わたしたちがこれまでも、これからも
「生きている場」というところは元々複雑な構造をしていて、
というか、その「場」自体が歪んでいるかも知れない。

 故に、「目的」というものに「行くこと」ができても、
元の場所、あるいは別の場所へと「帰る」ことができないようだ。

 更に突き詰めれば今、「生きている」のか
「死んでいるのか」正直、わからなくなる。

 「生きている」、ということは「魂」と「肉体」が
調和している状態だとしたら、「生き物」とは
元々「魂」を「運ぶ」ための「容れもの」であり、
「当たり外れ」次第ではとんでもないものに
「載せ替えられて」しまう可能性が在ることさえも示している。

故に、「同じ展開」は二度と来ないのだ。
「またいつか」は「もう遅い」と同義なので、思ったら、今やれ。

  こういう「魂」と「肉体」の関係、という「大きな出来事」を
「男と女」や「家族」という「小さな出来事」に
載せ替えたら密度がよりえげつなくなり、そのえげつなさが
それぞれの「役」が持つ「キャラクター」に反映されて,
物語のはじめでは個々のキャラクターが突出していたが、
物語がすすむにつれて、個々のキャラクターは
「一つの作品」という「塊」に化け、物語に挑んでいくように持って行ってしまった。

 ・・・ああ、これが「めんたい演劇」というものなのか。
これからはこういったスタイルを突き詰めて「新しいコメディ」を
作り上げていくのかもしれない。
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