block 「バケツ」

虐待と差別は確実に心の奥底から壊してしまう。

・・・故に、「すくわ」なければいけないのだよ。

 block、といえば旗揚げからだいたい真夏のクソ暑い時に
公演を打つのが常、なのだが、今回は「夏の終わり」というか
「秋の始まり」というのか、どちらかはっきりしない時に
公演を打ってきた。

 表演空間の真ん中に、大きい「箱」というか、
「ドア」のある「何か」が「鎮座」していると
その「事実」だけでひとつの「世界」が出来上がってくる。

 この「世界」が教えてくれることは、
「人は所詮、凡夫であり、持っている知は程度の差こそあれ、
 凡知でしかない」ということ。

 更にこの教えは「生きるときには生きる・死ぬときは死ぬ」という
「普遍の道理」にまで発展していくさまをわかりやすく見せている。

 がだ、こういう現実や道理を知り、目の当たりにしても
凡夫の凡知であったとしても、生きている以上、
やらなくてはいけないことがあるのではないのだろうか?

 「わたしも至らない、あなたも至らない」ということを知る。
知ることができれば、「至らない」が故に
この世の全ては勝ち負けなしのおあいこであり、
だからこそ全てを「赦さなければ」いけないことを理解する。

 しかし、この事を知ってか、知らずか、あるものは
自らと異なった「異者」を「排除」しようとし、
また、別のものは「凡知」を飛び越えて何段か飛び超えた
先の「叡智」というものを手に入れようとしている、というか
手に入れた「振り」をしていることが多々見受けられる。

 「叡智」を手に入れたからか、はたまた手に入れた
「振り」をしているからか「赦す」という行動ができない。
「赦す」という言葉を忘れてしまったのか、
それとも元から「赦そう」とする心持ちがないのか。

 そこのところがわからないがゆえに起きる「ありえへん」ことが
板の上で連続して起こり、起こってしまったことに対する「反応」として
「噂」や「都市伝説」という適当な言葉ででっち上げ、ごまかし、
一番大事なことは、隠して見えないようにして
現実を個々人の都合の良いように「加工して」生きているから厄介だ。
・・・これが「バケツおじさん」の正体、というか真(心)の姿なのか。

 「バケツおじさん」が映し出す「真(心)の姿」は「虐待」という
「親が子供を愛することができない」という問題や、
この問題の背後にある「差別」、そして「貧困」までこれでもか、と
見せつけ、一度触れてしまったがゆえの「どうにもならなさ」から来る
「悲しくて、悲しくて、とてもやりきれない」感じが強く残る。

 こういう悲しみ、苦しみを題名は何か、忘れてしまったが、
筒井康隆がよく書くSF小説に 21世紀の世相を加えて、
「コンテンポラリー演劇」という形で見せたら、
こうなってしまうのか。
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