ヨハクノート 「余白の音」

人間は産まれて、生きて、死ぬだけよ。

 なんかやる、という話はいろんなところから聞いていたが、
最初の内は、木曜日から始まっている大野城から松山、そして広島、
という「演劇遠征」に当てるお金がぎりぎりいっぱいで行けないよ。

 けれども、フェイスブック上でガラパのしいきっつあんが
「いいから来い」とこれでもか、これでもか、と熱を込めた
「言葉」を発するは、まどかぴあ、夕方辺りに終わるから
春日原駅まで歩いて、西鉄電車に乗って、井尻で降りたらいいじゃねーか、
とわたしの中にいる「悪魔」がささやき、止めはオフィスに去年演った
「道真」の「なぜそうしたのか」から「やってみてどうだったのか」までの
「記録」を出す必要が出てきた。
・・・こうなったら行くしかないよね。

 空間に入ると、ものすごくぎっちりした空間に
分厚い辞典を始めとした本が山のように積まれている。
そして、客入れ音の「FM福岡」、金曜日の名物プログラム、
「ぶっち・カウントダウンレディオ」、録音ではなく、
実際にその日放送している分をうすーく流している。

 この「サラッと聞けば意味のない声と音」を聞きながら
昔、金曜日はこれを聞きながらずっと働いていたのか、
月曜日から木曜の夜の入り口はこれがコンバットさんの
番組になるんだよなぁ。

 そういうことを思い出しつつ、聞き流していたら、
突然「前説」という「意味のある言葉」が突然耳に飛び込んでくる。

 「前説」を聞きながらこの「演劇」というか「劇団」の持つ
「ルール」というか「決まり事」をなんとなく探っているともう本編が。

  基本線は、ソーントン・ワイルダーの「わが町」という戯曲を
「いま」、生きている「わたしたち」は完全に「存在していない」
いつか来るかもしれない「将来」の「わたしたち」に寸を直した趣向。

 「いま」、生きている「わたしたち」がやりたい放題やってしまったせいで
物語に存在する「将来」の「わたしたち」は淀んだ空気を吸い、青空も、
月も、星も見ることができない。

 そんな状況でも、「将来」のわたしたちは普通に「産まれて」、
普通の日常を「生きて」、時期が来たら「死んで」いく。
この様子は、なんていうか、わたしたちは「止まっている」かのような
「速度」でいつ来るかも不確かな「終わり」に向かっているとおんなじで。

 「普通の日常」で問われるは、「どう生きて、どう死んだのか」、
そして、「何を、どう、諦めた」のか、「何を、どう、諦めなかったのか」。
この二つを私達がいつも「生きて、息をする」のと同じ「リズム」で見せるから
「距離感」というものがきちんと出ている。

 これが「演劇の基礎」、というものなのか。
がだ、物語の味わいはあくまでも「パンとスープ」、
初めて見る人にとっては少しとっつきにくいところがあるかもしれない。

 「ご飯と味噌汁」でこういう「演劇」しているところが・・・。
宮崎こふく劇場の永山さんが得意としている「演劇」と同じじゃないですか。
今度はヨハクノートに永山戯曲を取り扱わせてみて、化学変化を見てみたい。
スポンサーサイト
プロフィール

itumo25254you

Author:itumo25254you
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR